領主館へようこそ 60

─────なんかムカつくけどもういい大人だ。
 ジョットは言い聞かせて表面的な雰囲気を取り繕った。
 ベータは元々引きずらないほうだから──もしかしたら今回ばかりは内心は…でも、見たところだけは取り繕えているから──大丈夫。
 ユンが萎縮していなければいいが。
 余り顔に出さないのでもうわからない。
 やきもきしてもしょうがないのだけれど。
「上に行くから」
「かしこまりました」
 離れから戻ってすぐ、ベータと二人、空き部屋に籠る。
 ベータの部屋にしなかったのは、あちらにあるのとは別の、混ぜてはいけない系の作業をするからだ。
 やることは一緒なので、淡々と…進まなかった。
「悪かった」
「何が?」
 つっけんどんになるのは許してほしいところ。
「お前があの召使いのことを好いているのに薄々気づいておきながら、申し訳なかった」
「…あのさ」
「否定しないんだな」
「そういうのやめろよ」
「断る。俺がもしお前の立場だったら、相当嫌だろうから」
 ジョットは本気で怒ろうとしたのに謎の反論に気を削がれてしまった。
 他人に興味があるとは思えないベータが、こんな。
 同居人さんと何かあったのが、ベータの心根にそこまで響いているということか。
「いいか?」
「いいも何も…何もないからさ」
「何もないとは?」
「好きとか、そういう感じなのかも、よくわかってないっていうか」
 自分でもわからなかった。
 ベータが相談相手になるとは全く思っていなかったが、ジーとは違って軽口で返してきたりしない。 
 べらべら他所で喋ったりしないのも良く知っている。
 誰かに話して多少気がまぎれたら。
 ジョットはここまでをかいつまんでから、
「体とか見た目とか…性欲かな、と思ったり。
 一応、将来的には繁殖もしようってことで、先生は生殖能力があるか確認してから集めてたんだけど、こんな歳まで訓練以外では何もなかったからね」
 その点、ジーは凄い。
 あのころあの『庭』での暮らしを味わってからも、他人に興味がある。
 ジョット自身は…。
 あんなに親しくしてくれている村人達や村長のことを、実際どうでもいいと思っている自分がいる。
 役割りを果たしてくれる役者として、使っているだけだった。 
 ベータのことを言えない身だ。
 でも、
「ベータとユンさんが喋ってるの見るだけでちょっとムカつくんだよね。
 二人とも悪気があるわけじゃないのはわかるんだけど。
 自分でもびっくりしっぱなしで」
 ベータは真剣な顔で聞いていた。
 そして、少し寂しそうに、
「良かったじゃないか。
 嫉妬…とかいう感情だろう?
 自分の気になる何かを誰かや何かにとられたような気になって、むかむかしたり落ち込んだりするという」
 ベータがちょっと考えながら話しているのに、ジョットはあのベータが真剣に自分のことを考えてくれているという驚きを隠せなかったが、
「そう…なのかな」
 なんとなく分かっているのに疑問形にしてしまう自分のことがジョットは嫌いだった。
「そうなんじゃないか?
 俺がわかっているとは言えないから、断言はできないが」
「ごめん、そうだよね。
 というか思い出してもあの船のメンバーは全員無理だわ、その手の相談事」
 他人から人間扱いされた経験があるのはあの岩場に隠した人一人。
 でも相談事に向いている性格とは言い難かった。
「特にあの人は性根が明る過ぎて他人の悩みがわからないタイプだったからな」
「ベータがそれ言う?」
「悪いか?」
「悪かないけどさ。事実だし」
「そうだろう」
 ふんぞり返っている。
「なんで自慢げなんだよ。やっぱムカつくわ」
 二人が悪いわけでは全くない。
 が、このベータがあのユンの横に並んで夕食の食卓についているところを想像したら…耐えられそうになかった。
「あのさ、夕食の席変えて」
「は? …っく」
 ベータは魔法陣の陣形の下書きをする筆をおいて、肩を震わせて笑い出した。
「お前ほんとこのタイミングで考え読むのやめろよ!」
「わかった…わかったから」
 ベータは笑いきったのだろう。再び筆を執る。
 その様子を見て、嫌味の一つも言いたくなるのは仕方ないだろう。
「はぁ…なんか弁が立つようになったよね。
 同居人さんがいると違う?」
「まあ…」
 ベータは口ごもった。
 凄くつつきたい気分でいっぱいだが、先ほどのユンとの内緒話の件が再びちらつきだす。
 この苛立ちが蘇らないようにするには、口をつぐんで手を動かすしかない。
 思い知ったジョットは、ベータの手伝いで魔法陣を描く薬草をすりつぶすことに集中することにした。
 

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 その後の滞在中も作業は遅延なく進み、ベータが帰る日の朝になった。
「もう一回現場と小屋に行ってきていいか?」
「うん、わかった。僕行けないから…ジー! ちょっといい?」
 ベータの視線を感じる。
「…なんだよ!」
「…頼むのはそこにいるのがわかっているユンではなく2階のどこにいるかわからないジーにしておくのだな、と思っただけだ」
「ここ僕んちだし僕んとこの従業員だしどっちだっていいだろ」
「ああ、悪くはない…クッ…」
 朝っぱらから苛立ちを刺激。
 そっちがそう来るなら、こっちはこうだってかまわないだろう。
「今開いて音出してるその口ふさいで代わりに喉に一個穴開けてやろうか?
 ベータならそこからでも息できるようになるかもしれないし、その減らず口も止まって助かる」
 やはりユンが絡むと自分が思っていたよりもドスの利いたトーンになってしまう。
 ベータは本気で、
「…悪い」
 だからって譲歩してこちらが申し訳なさげにする由もない。
「なら良し」
 ベータが朝食のあと、小屋に向かってから、自室に戻る。
 ここ数日のたまっていた事務処理をすべて済ますと、もう昼。
 昼食をとると、ベータが出ていく時間になった。