「すぐにとりかかる。予定地に案内してくれ」
ダイニングでお茶をしながら、本題がこの地に中央から人が来ることだと告げただけ。
それだけでベータは至極当然に事態の悪さを把握した。
「手紙に書かなくて正解だな」
「でしょ」
万が一、億が一にでも、その手紙が誰かに見られたりしたら。
もちろんそうなっても困らないよう対策はしているつもりだが、それでも。
ジョットは自分が過去にやってきたことを踏まえ、どれだけ対策してもしきれるものではないということを重々承知していた。
「業者は?」
「あんときの人使う」
「ああ、なら大丈夫だな」
更地になっている別館予定地を見せる。
「まあ、前と変わらずだからこれなら大丈夫」
「ならよかった。なんか漏れてるとかあったらどうしようかと」
「そんなヘマすると思うか?」
相変わらずの自信家ぶり。
確かにいう通り、ベータの技量と魔力量をもって片付けられないなんて人間ではないレベルの話になってくる。
─────僕とか。
手元の魔法陣の設計と土地を見比べ、マークを付けていくベータがいつになく頼もしい。
自分自身の力を暴走させてしまってジョットに抑え込まれたことがあるとは思えない姿だ。
今あの地域の地図が変わらず山がちなのはジョットのおかげといってもいいのだが、それを知っているのはジョットを含めて4人だけ。
回想もそこそこに一通り下ごしらえが終わったベータとともに屋敷とここを往復し。
ときどきチラチラとみんなの様子をうかがって。
数往復目に屋敷の、ベータが滞在中の部屋に入った時だった。
「ジョット、つかぬことを聞いていもいいか」
「へ?」
ベータは手元だけは慣れた手つきで薬草の処理をしながら、顔も向けずに、
「あの、ユンという召使いの女と何かあったか」
「は!?」
「いや、なに…ユンとやらの横を通る時だけ、お前の思考が変でな」
「っ…いやいや、何言ってんの? そんな、へ、変にゃっ…なんて…」
『変』と言われて瞬間的に先日のことを思いだす。
思考にまで至っていないと思いたかったが、ベータが一瞬にやりとしたので手遅れを察した。
「その…」
言い訳しかけてベータの横顔を伺うと、満面の笑みになっているかと思いきや、いつになく落ち込んでいる。
「…仲良く…やっているようなら…」
─────突っ込みにくいじゃないか。
これ、多分、いや絶対、
─────同居人の何某さんとなんかあった。
でも作業中に手元が狂われても困るし。
どうせ筒抜けだけど…。
迷ったジョットは、もしかしたら関係あるかもしれない別のことを聞いてみることにした。
「眼鏡、どうしたの?」
「壊れた」
むっつりと黙りこくる。
「この進捗なら別館は工期内に収まるだろう」
無理やり話題を変えられた感。
もうこれ以上、前の話題を続ける気はジョットにもなかった。
「ありがと。じゃあやっぱり問題は」
「小屋だな」
あそこの崖に隠したものだけは、命に代えてでも。
この村が無くなったとしても。
自分のろくでなしさ加減は誰より理解しているジョット。
村人が露頭に迷うことは、今のジョットの優先順位の中で考える必要もなく『あり』だ。
身近な人ではない。
では、身近な人はどうだろう?
─────みどりちゃんは? コビは? シロヒゲは? ジーは?
迷いなく、切り捨てできる者を順に広げていき、
─────ユンさんは?
最後の最後まで出なかったのがユンであることに気づいたジョットは愕然とした。
─────若いからか? 考えに入ってこない存在だからか?
ユンの淡々とした『おはようございます』がよぎる。
こういう時普通は笑顔がステキとか…しかしジョットはユンのそんな表情を見たことがないので比較できなかった。
─────忘れよう。
雑念が多すぎる。やるべきことがあるのだから。
気を取り直して、裏口やら他のところにこそっと貼っている護符類を全てベータについて回ってチェックすることに本腰を入れた。
万が一ベータの手が借りられないときでも、少しでも自分が手入れできるように覚えないといけない。
ほとんど頭に入っているものの、細かい勘所はジョットにはなかった。
毎回質問攻めするジョットをここにきてすぐのころ邪魔そうにしていたベータは、今や淡々と状況説明をしている。
─────やっぱ変わったよね。
説明するのが前より丁寧だし、前はこんなに喋ってれなかった。
もしかして、
「ベータも心配?」
「当たり前だ」
即答から口数の多さの理由がわかって安堵した。
同居人絡みだけでおかしくなっているわけではないと分かったから。
ジョットとベータをつなげているのが、一緒にいた時間よりもあの人だと思い知ったからだった。
─────そうじゃなきゃ、お互い利害もなにも…
人に関わることなんてない類。
チリカもそうだった。
ぶっちゃけて行ってしまえばあの人は3人の中で、もしかすると最弱だった可能性すらあった。
少なくとも僕よりはずっと弱かった。
頭も良いと言えるわけでは…。
「気持ち悪いぞ思い出し笑いは」
「わかるでしょ」
「まあ」
どうせ考えを読んだうえでの発言なのがわかっていて切り返すが、ベータだって薄気味悪い笑みを浮かべている。
お互い様ということか。
夕食の間は流石にそんなニヤけてはいなかったし、仕事の話はずっと続いていった。
「明日合間を見てみどりたちの診察をする」
宜しく、と返事をする前に、
「もちろん必要最低限だ」
ベータはユンを横目で見ていた。
ユンが赤面していく。
─────なにそれ。
またベータはユンの思考を何か読んだのだ。
─────何?
「なんか違う話?」
自分で思っていたよりずっと声のトーンが重たいことにジョットは軽く驚いた。
「いや、大した事じゃない」
よほど面白かったのだろう、ベータの忍び笑いが止まらない。
ユンはもう普通の表情に戻っている。
でもユンに近づいていくみどりちゃん。
「みどりさん、大丈夫ですよ、ほんと」
慌てるユンをよそに、みどりちゃんは跳ね続ける。
「ほんと、大丈夫ですから」
「スライムは生物の顔認識は難しいが、体温変化には敏感な魔物だからな」
ユンはまたすこし赤くなった。
─────今晩はさっぱりしたメニューだよね。
なのにジョットは胸やけするような重さを腹の底に感じた。
自分の視線をどこに向けていいのかわからない。
そう思っているくせに、自然とジョットの視線は隣の席に向かった。
自分がそのままユンの平静な顔を見つめ続けていることなど、全く気が付いていなかった。