「ユン…さん?」
コーウィッヂは声を抑えていたものの、ユンの持つランタンに照らされてあからさまに驚いている。
一方のユンは自分のほうが冷静なことに驚いていた。
「おかえりなさいませ」
ランタンを手に挨拶を交わし、
「こちらへ」
ダイニングへと手を差し伸べる。
コーウィッヂの後ろから近づいてきた来客の三人の表情は、驚くコーウィッヂとは対照的に安定して蒼白。
それもそのはずで、皆しっとりと濡れた服が肌に張り付いている。
歯が鳴るようなことはこの辺りではありえないが、こんな濡れた状態で寒くないといえば嘘だろう。
「タオル持ってきます」
そのままコーウィッヂ達と入れ替わりでダイニングを出た。
ユンが代えになりそうな服・タオル・お湯を持ってくると、裏でコーウィッヂがお茶を入れているところ。
一同がタオルで頭と体を拭く間、ユンはコーウィッヂがいる調理場に向かった。
「コーウィッヂ様も!」
手に持ったタオルと服一式を差し出す。
「ありがとう。でも後ろ向いててネ」
ユンは慌てて後ろを向いた。
ポコポコと沸き出したお湯の音と湯気。
背後から聞こえるバサバサという着替えの音。
「ユンさん、お湯お湯!」
「えっ、あ!」
やかんが完全に沸騰したにもかかわらずぼーっとしてしまっていた。
火を止めてポットに注ぐときも危うくあふれさせかける始末。
「落ち着いて、もう大丈夫だから」
「は、はい」
耳元でささやかれると全然大丈夫じゃない。
なんだかんだでここしばらくずっとコーウィッヂのことを考えていたわけで…。
もやっとしながらもユンはポットにティーコゼをかぶせてダイニングへ、茶菓子を持つコーウィッヂとともに向かった。
3人はいつもの食事の時のように並んで座っていた。
普段と違うのは、今日は本当に全員疲れ切った顔であること。
疲れ切っているはずなのに、みな目だけが見開かれていること。
キシアスがとりわけ悲壮な顔つきなこと。
ユンにわかるのはそこまで、首を突っ込めるのもそこまでだ。
「討伐、お疲れ様です」
席に着いたコーウィッヂはおもむろに切り出した。
一同は無言で左右を伺うようにしながら首を縦に振った。
「多大なるご協力ありがとうございます」
キシアスは目をつぶらずに話すので必死というような、揺蕩う声音をふり絞ってまっすぐに語っていた。
「いえ、皆さんのご英断でこういった結果を引き寄せることができたのです。
祭りも魔物の影響なく執り行うことができますし、何より今後もこの領の平穏な生活た保たれるわけですから。
お礼しかないですよ」
「いえ…」
キシアスは一瞬言いよどんだが、
「もったいないお言葉です」
コーウィッヂをまっすぐ視線にとらえて頭を垂れた。
テトとジェレミーもそれに倣うように頭を垂れる。
その頭の先に菓子皿を寄せて、
「お疲れでしょうから」
ユンは見計らって全員に紅茶を出すと、全員がためらいなくそれを手に取り、口をつけた。
無言の時間が過ぎ、みなが一つ二つ菓子に手を付け。
カップの紅茶がなくなったタイミングで、
「上で、休ませていただきます」
キシアスが立ち上がる。
二人もそれに合わせて立ち上がる。
全員が上階に上っていく。
静かにはしていたが、わずかにきしむような足音はユンの耳に残っていた。
ダイニングにはコーウィッヂとユンの二人だけ。
空になった3人のティーカップを見る。
これがなければ、いつもの夜のティータイムだ。
「これがなければいつもの夜のティータイムみたいだね」
コーウィッヂは笑いながらそう言ったけれど、少し声に怒りが混ざっている。
「で、なんで起きてダイニングにいたの?」
目が吊り上がったコーウィッヂに、ユンは伏せていた目を少しだけ挙げて、コーウィッヂに向けた。
「眠れなかったのと、気になって焦ったのと。
あと、夜中に、3人が帰っていらっしゃったらと…」
「だめ」
怒りは咎めるような不安げな色をはらんでいた。
「危ないよって言ったら、危ないんだから」
「はい。申し訳ありません」
テンプレートをなぞる以外できないユンに、コーウィッヂは当然気づいた。
「首にしたりはしないよ。
でも、本当に、もうしないでね」
「はい」
そうユンの口は音を発するも、実のところユン自身でも本当に約束できるのかわからなかった。
部屋を出るところまでユンの頭の中は心配事でいっぱいだったが、そのあとはコーウィッヂのことでいっぱいだった。
あれを抑えられる人間などいるのか?
紅茶をすするコーウィッヂがわざと行儀悪く啜る音を立てているのをユンは知っている。
黙ったまま、座りもしないユンだったが、改心の一撃を思いついた。
ユンは興奮のままそれを口にした。
「コーウィッヂ様こそ、どうして屋敷の外に?」
「魔除けの効果をキチンと調べたくて、見てたんだ」
「でも、危ないですよ」
コーウィッヂはしれっとしている。
「そうだね…危ないね…」
ティーカップをソーサーに置きながらため息をついて、ほほ笑むようなコーウィッヂ。
ユンは気づいてしまった。
ユンも、周りも、だれもかれもを自ら拒絶するようなつぶやき。
今のコーウィッヂが『「愛される子供」って柄じゃない』と話していたその時の様子とそっくりだということ。
—————そんなの、だめ。絶対、ぜったいだめ!
だからユンは歯向かった。
「コーウィッヂ様、私は大丈夫です」
「え?」
「私は…大丈夫、ですから」
コーウィッヂはゆっくりと立ち上がる。
「魔物が出たんだよ?
大丈夫なわけないじゃないか」
ユンも負けじと立ち上がった。
ユンが勝負していた相手はコーウィッヂではなかった。
コーウィッヂがなぜか信じ込んでやまない、コーウィッヂをいつも泣きそうな顔にさせる不安の塊のようなものだった。
「大丈夫です。
たぶん、コーウィッヂ様より大丈夫です。
だからお出かけの時は一言ください。
お帰りのお時間も教えていただきたい。
お茶を入れて、お茶菓子も用意して、お待ちしておりますので」