『明日の午後は離れのほうを見ておきたい』
『場所、案内してなかったね』というコーウィッヂの一言で、ベータとともにユンもついていくことになったその場所は森の中にあった。
屋敷からほど近いが意識しないと気が付かないだろう、崖に面した小さな物置小屋。
森の中に異変がないかたまに見回りをする際、主にジーが休憩場所として利用しているのだそう。
領主館からここに来る道のほかにこの小屋に通じる道らしきものはなさそうだったので、日常からのちょっとした避難場所というか、隠れ家にも使えそうな。
ごくまれに魔物が出ることがあるとのことで、棚にはランタンと剣、魔物よけの臭い袋・必要最低限だという護符が佇んでいた。
コーウィッヂとベータは今小屋の中でごそごそしている。
ベータ曰く薬草と護符ほ他にも、前々から追加でいりそうだと思っていた装備があったそうでその補充とのこと。
あとは崖という立地だと、間から変な魔力波動──魔力の元から漂う匂いみたいなものだそうだ──が漏れることがあって、定期的に見まわるのが良いらしい。
『崖を作っている石の中に魔石があったりするからな』
それってようするに、
─────この辺、結構物騒なんじゃない?
小屋の前の開けたところにテーブルとイスを並べていたユンは、その向こうの鬱蒼と茂る黒緑の木々、小屋の背後の崖、その得体の知れなさを思った。
なんでそんな危なそうなところのすぐそばに領主館が建っているのか。
疑問に思いながらティーセットを取りに小屋の中に戻る。
なぜか崖側に窓がある、どう考えても設計ミスの小屋。
これと同じ感じで別館を立てるんだろうかと思うと、不安でたまらない。
自分が建造するわけじゃないと言い聞かせて奥へ。
お湯が沸いた湯気がふわりと燻るそのそばで、部屋の中の二人は道具を片付けだしていた。
どうやらひと段落したらしい。丁度良かった。
一式を外に運ぶユンに釣られるようについてい来る男二人の気配。
紅茶を出したあと、二人と同じテーブルに着いたユンは、二人が手を伸ばした後、お茶請けのドライフルーツに手を伸ばした。
「三人の調子もここも大丈夫ってことなら、後は別館予定地だけだね」
「今日は少し寝かせないといけないから。
明日から二日で終わらせられるはず」
「留守家は大丈夫?
同居人さんは?」
「…一日二日延長なら大丈夫だろう」
「ほんとに?」
「…ぅん」
「ねぇ、最初からそうかなと思ってたんだけどさ、その目隠し、もしかして同居人さんとなんかあったの?
いつもの眼鏡壊れたっていってたじゃん」
ユンも大注目の話題がここで上がろうとは!
内心興奮するユンは、ちらりとベータの顔を見た。
ベータが口ごもりそうになりながら、
「向こうが面白半分で勝手に自分に掛けようとした。
振り払ったところで壊れたのだ。
そのあと…向こうは半日寝込んでいた…が、落ち着いたようだったので留守番に置いてきた」
ベータはおそらくわざと、ズズッと音を立てて紅茶を啜った。
「そうか。魔族って言ってたもんね。
でもさ、ぶっちゃけベータ、」
ベータはちらちらと目線だけをコーウィッヂに向けている。
「その子、使い魔にしちゃったほうが手っ取り早いんじゃない?
なんでも命令できるし逆らえないから、やらないでほしいことは絶対できなくなるよ?
ベータの力だったらずっとそのほうが楽でしょ?」
『その子』という言い方を否定もしないベータはすぐさま、
「必要がない。意思疎通が取れるわけだしな。
それに命令と言っても、魔族だって意思のある生き物だ。
相手を尊重する必要がありやっていい限度というものがある。
過度なスキンシップはやはりセクハラだ」
一方のコーウィッヂは点を仰いで考え込むように、
「…まあそりゃそうか」
ユンは軽くこう思った。
─────ベータさん、スキンシップ図ってべたべたしたいんだな。
刹那、ベータがものすごい速さで半ばからだごとユンのほうに向いた。
しまったと思うと同時に、ユンはベータを見て、
「ぇ」
今回ばかりは思わず小さく声が漏れた。
ベータの顔が、真っ赤。
─────…あ!! もしかしてそういうこと!?
あんなに土気色で、死んでいるんじゃないかと思うような顔色だったベータは今、目に巻いた布が確かに白いのだとはっきりわかるぐらい、顔どころか首筋までぱぁっと染まっていく。
もともとが土気色だったので赤いというより赤黒く、知らない人が見たら一服盛られたと大慌てするかもしれない。
「ああああああくまでも、しっ使役する側としてのだな! 節度というものがある! あるのだ! 俺が使い魔にしたら力関係的に確かに、いいいい、い言いなり…俺の言いなりになる、なるのなのだがな!! それはそれで…だがな!! 魔法使いというのはだな、つつつうじょう、通常は、暴力をふるったり、その…明らかに使い魔の身に何かある、そそういう行為はしてはならんというもので!! 一般論という奴だ! スキンシップというものだな、必要な時がななっ…ないわけでは…なぃ…いんだが!! ごご強引に、むむ無理強いなどはやややはり良く無くてな! 使い魔にする側のだな、責任などなどなどなどがある、そういうことだ! こちらが、こっこちらばかりだだいぶ、ししし神経を使う!! 向こうにはそうしたら…使い魔にしたらな、きょきょ、拒否権がな、なななくなってしまうのだ!! その辺りがその、面倒であるしな!! そそそそそおういった関係では決してけっけけけ決してない! ないのだ!」
描かれたぱっちりおめめの線のブレはまるで今にも泣きだしそうに見えた。
「ベータ、」
ベータはさっきユンに向けたのと同じような速度で、コーウィッヂに向き直った。
コーウィッヂはそんな気持ち悪い顔色になったベータを凝視してぽかんと口を開けたままだ。
そして徐々に色が消えていくその顔面を腑に落ちない顔のまましばらく見つめていたかと思うと、その視線をユンに向ける。
ユンは思わず目をそらした。
「…うん、まあ、いいや」
調子をがらりと変えて白~い感じで言い放ったコーウィッヂ。
声のトーンがとてもとても冷たく感じたけれど、ユンには何もできないし言えない。
ベータはと言えば、今度はなぜか以前ユンの心を読んだ時以上にしゅんとしょげた様子でうなだれている。
ユンが勝手に人の恋愛──しかもこの感じはもしかすると同居までしているのに一方通行──にとやかく言えるわけはない。
コーウィッヂvsみどりちゃん的な『わーv触り心地イイッ!』的なやつの感じと思っただけなのだが、まさかの…。
勝手に心を読んだベータにも非がないわけではないが、とはいえベータの内心を知らない&気づいていないと思われるコーウィッヂに暴露するなんていうのは、ベータが可哀そう過ぎる。
結果、落ち着かないサイレントタイム突入。
ベータの顔色はもう元に戻ってきており、表情も仏頂面になっている。
でもティーカップに延々と投下されている砂糖はもうカップからあふれそうだ。
コーウィッヂもユンが初めて見る結構苛立った様子。
しかしあの文脈に苛立つ余地があったのか?
さっぱりわからないが、
─────明日以降の作業に影響が出ないといいなぁ。
気持ちのいい晴天なのに、この辺りだけ雨雲に覆われたようにどんよりした空気感。
─────仕事。
中空を見上げて、ユンは自分に言い聞かせた。