領主館へようこそ 17

「…わかった」
「ごめん、ほんと」
 ベータは口元の端をほんの少し上に持ち上げた。
「俺のほうが昔からずっと世話になっている。
 これぐらいはどうということもない」
「ありがとう」
「すぐにとりかかる。予定地に案内してくれ」
 ベータは腰を上げた。
 コーウィッヂもだ。
 息ぴったりで二人はそのまま誰も伴わずに玄関へと向かっていく。
 ユンの横を通り過ぎたコーウィッヂの横顔はひどく大人びていて、いつもの少年の面影はなかった。
 残されたユンとジー。
 速やかにテーブルを片付ける。
「あのお二人は長い付き合いなんですか?」
 ジーは少し考えて頷いた。
「ジーさんはあまりベータさんについてはご存じない」
 また頷いた。
「なんとなくですが、コーウィッヂ様とジーさんは普段から息ぴったりですけど、それとはちょっと違う感じというか。
 息ぴったりだけど、なんかこう…ぴったりの路線が違うというか、かみ合い方が違うというか…」
 ジーはポケットに手を伸ばして、一瞬止まってうなだれた。
 説明はできるけれど言葉を使わずに身振りで説明するのは難しいのか。
「いえ、ごめんなさい。
 そんなにすごい重大な話でもないですし、忘れてください」
 気まずさがふわりと流れる。
─────字、読めたほうがいいのかなぁ。
 そりゃそうだろう。
 自分で突っ込みを入れる。
 でも前に聞いたジーのことを好きになってしまって仕事にならなかった誰ぞの話。
 ユンは字が読めないから採用された可能性があると思っていた。
 読めずともできることは大量にあり、そこを頑張る時間もあまりなく。
 慣れてきたとはいえ、半年にも到底届かない勤続期間。
 今色々自己啓発に手を出してもなぁ、というのが悲しいかな本音だ。
 持ち場に戻るジー、その背中を見送った後に同じ出入口から出ると、みどりちゃん。
「みどりさん、さっき人の出入りがあったので…」
 身振りで通った場所を伝える。
 みどりちゃんの意思疎通レベルは前にユンが以前思っていた以上に高く、この程度の簡単な言葉は理解できる。
 そのありがたさを現在進行形で噛み締めつつ…。
 このみどりちゃんのレベルの高さが先ほどの魔法使いの所業と考えると寒気がした。
 一体何をしたらへばりつく・溶かすという単純攻撃しかできないスライムがこうなるのか。
 コビとシロヒゲは二人してすでにそのあたりの掃除を終え、別の場所に取り掛かるところだった。
「お疲れ様です」
 左右に揺れてそのまま飛んで行った二人と、その場所に新たに向かうみどりちゃん。
 三人とも業務に余念がない。まさにプロフェッショナル。
 比べて雑念だらけの自分。
 着慣れだした制服には目新しさがなくなってきているが、それになじむ仕事はできていないように思える。
 出歯亀は嫌われるとわかっているのに、今までは全然そんなことなかったのに、このお屋敷に来てからこのお屋敷とそれに関わる人たちが気になる。
 気になる人ばっかりいるから気になる。
 それはそれで正しいのだが。
 特にコーウィッヂは未だにわかったようなわからないような感じ。
 雇い主としては支払いの滞りもなく穏やかで、従業員に無理を強いたり強引な行動をとったりなんてことはないので安心できる。
 でも一人の人として考えた時は違う。
 まっとうな人とは思うものの、年齢不詳の不信人物でもあり、美少年で領主で、なのになんだか頼れる大人の男…。
 とにかくたくさんの座席があって、その座り場所を決めかねている、そういうフワついたふうなのだ。
 今日の会話にしたって絶対何か隠している。
 ユンは洗濯物の一部にアイロンをかけ終わり、リネンのベッドカバーをたたんだ。
 コーウィッヂの部屋とジーの部屋は男の部屋だからということでジーが担当している。
 ジーがコーウィッヂの部屋のベッドメイク…。
 ついついイケナイ妄想に走ってしまいそうになるのはユンのせいではないと言い聞かせ、ベータさんが付近にいなくてよかったと不信な笑みをこぼした。
 そんな妄想をそのままにベッドカバーを抱えて棚へ向かうと、ジーが真正面からやってきていたので、ユンが持っているものを取り落しかけたのは仕方ないことだろう。
 真剣な顔で出て行ったコーウィッヂとベータはその日何度か玄関やら裏口やらから出たり入ったり。
 何度も上の階とを往復。
 二人が戻ったのはその日の夕方暗くなるころで、いつものティータイムもなしに出ずっぱり。
 呼びにいこうとしたがジーに止められた。これも初めてのことだ。
 コビもシロヒゲもみどりちゃんも、そのへんの掃除は今日はちょっと待ったほうがよさそうだと判断したのかすみっこのほうに移動。
 なんか変な感じ。
 夕食の間もずっとコーウィッヂとベータの話は続いた。
 席の都合からベータの隣になったユン。
 ひたすら会話に参加しないように自分で作った料理を自分の胃袋に収納する。
「その辺は代用が利くが、乾燥デビルテイルは無理だ」
「行商に頼んでみる。
 いつも取引あるから、ある程度黙っててくれるはず」
 そんな話をユンの横でしてもいいんだろうか。
 信頼の証かもしれないが、何かあったときに困るのはユンだ。
 でもおかしいのだが、『もっと欲しい』とも思っていた。
 ああ、しまったこれもベータに筒抜け…でももう手遅れだしいいか?
 ユンがこんな風におかしくなっているのは普通のことだろうか。
 いや、この環境でおかしくならないほうがおかしい。そうだろう。
 誰ともなく問いかけるユンをよそに、食卓の皿は空になっていく。
「明日合間を見てみどりたちの診察をする」
─────過度なボディタッチはセクハラだけど!?
「もちろん必要最低限だ」
 皿に向けていた目を左隣に向けると、ベータは横目でちらりとユンに視線を向けていた。
─────しまった。
 ユンは一気に赤面した。
 合わせてベータの口の端が上がっていく。
 それらを見て取ったコーウィッヂは、ジトーっとした視線を二人に向けた。
「なんか違う話?」
「いや、大した事じゃない」
 くっくっと笑いを止めないベータに、コーウィッヂはますますふくれっ面になっていく。
 ユンはほっと胸をなでおろした。雇い主に睨まれているのに、だ。
 今までのピリピリした雰囲気が和らいでいつものコーウィッヂになっている。
 ジーも笑っている。
 助けてとダイニングの入り口を見ると、通りがかったみどりちゃん。
 何か用事かと、するすると足元に這ってきてくれた。
「みどりさん、大丈夫ですよ、ほんと」
 ぴょんぴょん跳ねるのをやめないみどりちゃん。
─────やさしい、けど、
「ほんと、大丈夫ですから」
「スライムは生物の顔認識は難しいが、体温変化には敏感な魔物だからな」
 ユンが全身熱くなっているのに気が付いたというわけだ。
 何度か止まりながらダイニングを出ていくみどりちゃんを見送りながら、ベータの補足でますます恥ずかしい。
 刺さるようなコーウィッヂの視線を感じながら、ユンは残りのごはんはおとなしく食べようと決意した。