領主館へようこそ 16

 迎えた今日この日。
「急にごめんね」
「いい。気にするな」
「そう言うと思ってた」
 魔法使いのご友人はコーウィッヂとあいさつを交わしながら入ってきたけど、コーウィッヂから目配せであいさつはいいとのサイン。
 部屋の場所の案内というより勝手知ったる様子で階段を上っていく二人。
 会話だけ聞いてると普通っぽいんだけど、でも。
 ユンはチラ見しただけの魔法使いの異様なビジュアルを何度も思い出しながら、嘘じゃないのか、見間違いじゃないのかと逡巡した。
 階段から響く足音を聞きながら、お茶の準備に入った。
 紅茶のポットを温めながら、屋敷のメンバーの顔も併せて思い出してみる。
 コーウィッヂ、ジー、コビ、シロヒゲ、みどりちゃん、メイちゃん…。
─────普通って何だっけ。
 考え事をしながらできる程度に日々のルーチンワークはこなせるようになった。
 それ以上に他の従業員がアレなことにもコーウィッヂ自身がアレなことにも慣れて来つつある。
 箒とモップがひとりでに動き、スライムが徘徊し、鼻のない男がジェントルマン風に対外対応をしながら、草を食むヤギの相手をしたりし、それらを自称42歳の少年が切り盛りする屋敷、そこに雇われてお茶の準備をする。
 今ユンの普通とはこの日常だ。
 別にそれで、何も困っていなかった。
 ユンはたった今自分がもうここに来る前の自分とは全く違ってしまっていることを知った。
 お湯を捨てたポットに茶葉を入れ、お湯を注ぐ。
 くるくると中で回転する茶葉が見えなくなるようにユンはポットに蓋をし、さらに保温のためにティーコゼをかぶせた。
 声が聞こえる。
 その声に間に合うようにさっき用意したティーセット一式を運びこむと、タイミングぴったり。
 コーウィッヂの定位置の斜め向かいに腰かけた魔法使いは、その『目』をユンに合わせて…いや、合わせているような方向に顔を向けた。
 ユンは気合いを入れた。
 見間違いではなかった。
 この人のこの目元だと、ここから先はユンの自分との戦いだ。
「ユンと申します。よろしくお願い致します」
「ベータです」
 ユンは頭をしっかりといつもより長めに垂れた。
 吹き出してしまいそうな口元を必死でこらえるためだった。
 魔法使いが着席するのが聞こえ、その斜め後ろにスタンバイ。
 ジーも向こうにいるが、魔法使いの顔びっくりしている様子はない。
 ということはいつもなのだ。
 いつもこのアイウェアなのだ。
 衝撃を顔に出さないのにも、この屋敷に来てから今まで以上に慣れたことの一つだ。
 魔法使いは上背があり、ジーと同じぐらい。
 ただし棒のように細い。
 青白く土気色で黒くべったりと張り付くようなセミロングの髪がなんとも辛気臭く、引きこもっているのだろう普段が易々と想起できる。
 お約束とばかりのローブは部屋に置いてきたのだろう。
 ちょっと、いやだいぶボロいシャツとズボン。
 ユンとしては自分も制服が来るまで似たようなもんだったので違和感は感じないものの、高級感のある装いのコーウィッヂ・ジーの2名と並ぶともう魔法使いはその場にいちゃいけない存在のような感じにすら見えた。
 でもまだここまでは普通なのだ。
 魔法使いは目元に目の粗い白い布を巻いていた。
 しかも、両目のあたりになぜか黒くて太い墨のようなもので目の絵が描いてある。
 その目はパッチリ開いていて、まつげがそれぞれきっちり5本。
 線が震えている。
 魔法使いを見る者すべてに『笑え』と脅迫しているようだった。
─────ていうか前見えてる?
「前は見えている。ピンホール効果と言ってな。
 穴も意図的に開けているからむしろ普通より良く見える」
─────返事?
 ユンの表情は流石に変わっていたようで、
「ベータ」
「あ、」
 ベータはコーウィッヂに言われて慌てて振り返る。
 コーウィッヂは苦笑いしながら頭を掻いた。
「ユンさん、そいつ、時々ちょっとだけ、至近距離にいる人の心が読めるんだ」
 また出たぞ。特殊能力系。
「すまん」
 声色と仕草は本気ですまなそうなのに、ぱっちりおめめが全然すまなそうじゃない。
 変えられないからしょうがないけど、ギャップがまた面白い。
「いえ…大丈夫です。承知しましたので」
 笑いをこらえて震え声になっていないことを、自分で把握できないくらい、堪えるのに必死。
 きっとそう思ったユンの気持ちもばれているのだろう。
 この人はそういう人なわけで、もうしょうがない。
 隠せないんだから隠せないということなのだろう。
 ユンは自分の『変な何か』への耐性がかつてなく広がっているのを感じた。
 仕事の上での成長というんだろうか。
 そうだろう、そう思うことにした。
「で、本題。できそう?」
「予定地の下に事前に魔法陣を仕込む。
 あまりこの地で魔法を使うのはふさわしくないから多少気にするところはあるが、建物一つ隠すのと、あれらの魔力を隠すのはまあやってやれないことはない。
 魔法は時限発動するようにする。
 どっちかというと建築が遅れないようにするほうが難しい」
「そこはなんとかする」
 できるのか?
 今あるのは設計図だけだと思うが。
 魔法使いベータの説明よりも建物を建てることの無理さ加減のほうが理解しやすいユンとしては、無謀だと思いながら、そう思ったことがベータにも漏れているこをも分かったうえで平静な顔を作り続けた。
「みどりは?」
「うん。元気だよ。雨の日も最近はね、そこのユンさん発案で珪藻土マットっていうので箱作ってくれてね。
 だいぶ調子よさそう」
 ユンは面はゆくなった。
 でももちろんそんな顔はしなかった。
「そうか。コビとシロヒゲは?」
「特に変化なし。
 ユンさんが来る前よりもイチャイチャしなくなったかな」
 ユンは、『箒とモップのイチャイチャってどんなん?』と突っ込みを入れたい気持ちを我慢した。
 でもやっぱりそんな顔はしなかった。
 そういえば。
 ユンが来るまでのここの様子は知らない。
 『助かってるよ~』しかコーウィッヂは言わないので知りようもないが、話を聞いていたら気になった。
 どこかで聞いてみるのもいいかもしれない。
 そんな間も、雇い主と旧知の仲の二人の会話は進んでいった。
「屋敷の来客は?」
「相変わらず」
「なら、安心だな」
「そうでもない」
「ほう?」
「次の豊穣祭に中央がここに来るかもしれない」
 ベータの紅茶を飲む手元がビタリと急停止した。
 紅茶はカップの中で揺蕩った。