昼と夜のデイジー エピローグ

「あ、ところで」
この先の積もる話は座ってお茶でも飲みながらにしようということになり
小屋改め我が家に足を向けながら、デイジーはさっきよりも幾分か赤みを増して潤んだ唇を動かして、首筋を手で揉んで少し俯きながら何かを反省しているような表情で隣を歩くドルに尋ねた。
「ん?」
「もし子供ができたら名前どうする?」
「は!!??」
ドルは甘い気分を一瞬にして吹き飛ばされた。
「いや、作りたいとかはそんな、その、考えてないんだけど、その…空想上の話よ」
『経済的にもデイジーの体的にも無理があるぞ。考えてないって言ってるけど、きな臭いな』。
そう思いながらも、自分だって子供を持つという絶対実現しないだろう妄想をしたことがないわけではないドル。
「男でも女でも、濁る音がない名前がいいと思ってる」
「なにそれ?」
「いや、僕の名前、DとかGとか入ってて言いにくいから」
「それなら私だってだけど…あれ? 私もしかしていまだにドルの本名知らない」
デイジーは愕然とした。
ドルは面白くなった。
「僕の本名、『ドロテオ・G・コーウィッヂ』っていうの。
言いにくいでしょ?
 だからドルって呼んでって言ってるんだよね」
デイジーは気づいたようだった。
「もしかして、だからあのとき『デイジー(DG)』にしたの?」
「うん。ただのしゃれだけど」
「真ん中の『G』ってなんの略?」
「さあ。僕が聞いたのはご先祖様の名前って。いらない気がしてならないんだけどね。
 僕の実家については実のところ、他にもいろいろわからないんだよね。
 この箒とモップ、僕みたいに魔力がなくても飛べる優れものなんだけど、なんでそんなもんあるのかとか、僕の体質とか」
「ああ、確かヤマダが言ってたわね。魔力波動がないんだっけ?
そういえばこの辺りもなんか変だって言ってたんだけど…なんだったかな?」
「へぇ~…あいつがねぇ~…」
急に声のトーンが下がったドルをいぶかしみつつ、デイジーは話を変えた。
「まあ、名前は変えられないわけだし、しょうがないわね。
でも、だったら私の案、採用してもらえそう」
「へぇ、どんなの?」
「男の子だったらユーリ、女の子だったらアン」
そう言い切ったデイジーがちょっと寂し気なことを、ドルは見逃さなかった。
小屋のドアを開けると、窓から差し込む光で掃除をしてもなお相変わらずのボロさが際立つ。
ドルはデイジーのほうを、しっかりと見ながらこう言った。
「デイジー、未来はわからないよ」
デイジーははじかれたようにドルを見上げている。
「もしかしたら、すっごく収入が上がるかもしれない。
 もしかしたら、安い薬が開発されるとか、それか、自然に君の体が良くなるかもしれない。
 今さっき君が僕に教えてくれたことだよ」
ドルは今自分が言った言葉で自分も励まされていた。
それからさっきまでデイジーがとても頑張っていたのを思い、暖かいもので満たされた。
「僕たちはまだ途中だから」
デイジーはほっとしたように穏やかに口角を上げながら答えた。
「うん。そうだね。これからね」
ゆっくりとドアを閉める。
「名前はともかく、もし女の子だったら、本物の王子様を捕まえられるような子だといいな」
『僕みたいのじゃなくて』というのを抑えたドルに対し、デイジーは全然違うことを考えていた。
「え~? そお?
王子様って『迎えに来てアゲル!』 みたいな上からの感じだし、なんか頼りなくない?
いっそ騎士様とか、もっとアウトローな感じで海賊とか?
 奪いに来るくらいの~v」
ドアの脇の壁におかれた箒とモップは空気を察してか、おのずからそおっと棚の角に音をたてないように寄りかかり、お互い支え合うようにして静止した。
「…そういうの好きなの?」
探るようなドル。
「ううん。一般常識の一環として、今時そういうものらしいわよ」
デイジーはまた花がほころぶように笑い、ドルは首筋に手を当てて揉んでいる。
紅茶を汲む音は静かに響き、湯気は暖かく部屋を満たすようだった。
汲まれた紅茶を眺めるデイジー。
「ドルの入れたおいしい紅茶が飲める幸せ」
「ソマリのおかげでね」
デイジーは軽くカップを掲げた。
ドルもだ。
「「ソマリさんに」」
「あ、」
デイジーは箒とモップを見た。
「これからもよろしくお願いします」
箒とモップは――もちろん部屋の中だから風などないのだが――一瞬お互いが離れて、そしてまた、支え合う姿勢に戻っていった。
そのドアとは反対側には崖に面した窓がある。
「この小屋の窓の位置ってホント変よね」
「これもわからないことの一つだね。
調べてみたいけど、どうだろう。
どうでもいい気もするし、僕は慣れてるからなんかこのほうがしっくりくるんだよね」
ドルもまた窓から見える岩だけの景色を眺めた。
「ドル、」
「ん?」
「さっきあなたが言ったことよ」
「何?」
「未来はわからないわよ?
いずれわかるときがくるかもしれない」
「…そーだね」
二人はまた顔を見合わせて笑った。
箒とモップは微動だにしない。
もう誰も覚えていないかもしれないが、彼らには意思がある。
だから、そう。
メイドがまだ帰ってくる気配がなさそうというのもふくめ、空気を読んだのだ。