神妙な顔つきで語りだしたヤマダ。
だがデイジーにとってその言葉はあまりにも抽象的で、何をいわんとしているのか分からなかった。
そもそも普通の林も普通の家も知らないデイジーだ。
ドルの家界隈の『変なこと』を推測しようがない。
「変って?」
「行きは別に普通だったんです。
あと…紅茶をいただいていた時も…」
ぶつ切れでゆっくりと紡ぐ小さなこもった声に、デイジーは耳をそばだてた。
「でも、あの、雨が降り出した、あのあたりで、あんなの初めてで…」
「あんなのって?」
堪えきれずにデイジーが催促する。
「魔力波動です」
またか、またお得意のそれか、とデイジーは内心思っていたが、そのままヤマダの話は続いた。
「あんなふうに…匂うようにふわっと漂ってきたのは…。
すごく強いわけじゃないんです。
生き物でもいるのかと思ったんですが、生き物にしては強い、でも、魔法にしては弱い。
それが…ゆっくり漏れ出すように…。
林を抜ける間に感じなくなって、馬車に戻ってからはまったく何ともなかった。
あのあたり、いったい何なんですか?
コルウィジェさんから、何か、伺っていませんか?」
「いいえ何も…」
記憶を絞ってみるが、『僕んち来ない?』だけだ。
あのあたりに何があるだとかいう関連情報は全くなし。
箒とモップの置き場所も…。
―――――あ。
発生源に心当たりが出たことをヤマダに悟られまいと、思案している体を装う。
そんなデイジーの前にヤマダはそっとかがみ込んだ。
デイジーの正面にヤマダの顔がある。
「お嬢様、その、もし…少しでもおかしいと感じたら、離れてください。
私は…」
その不安気な口調に反してヤマダの表情は読めない。
が、兎に角ヤマダ的には帰り道の林は警戒度MAXだったらしい。
そして口を開いたり閉じたりして次の言葉を探しているが、到底ヤマダには選び出せそうもないように見えた。
選べない理由をデイジーは察し、デイジーが返事をしないでいたらヤマダはずっとこのままの様な気がした。
「わかった。
そうするわ。
…言い出しづらいことですものね。
ありがとう、ヤマダ」
ヤマダは一瞬デイジーをじっと見つめ、そして納得したようなしないような表情のまま。
デイジーは笑った。
ヤマダのしょげた犬のような顔に対してではなく、自分を取り巻く人々が思うデイジー像、そしてそれを作り上げてきた自分を。
「大丈夫よ。
私、そこまで馬鹿ではないつもり」
その笑みをどうとらえたのかはわからないが、ヤマダは自分の爪先を見つめながらゆっくりと体を起こした。
踵を返して部屋のドアの向こうに一歩足を踏み入れたデイジーは、ヤマダを見て軽くスカートの両端を持ち上げ、膝を折った。
視線を合わせたヤマダは目礼したまま仁王立ちし、動かぬまま。
ゆっくりドアを閉める。
閉まり切った後、デイジーはドアの間際で細く、しかし深くため息をついた。
ヤマダは『少しでもおかしいと感じたら』と言った。
デイジーは馬鹿ではない。
だからこそ、気づかないはずはなかった。
その対象となるものがあの場所だけではないこと。
ヤマダが言い淀み、そしてデイジーの気持ち――どこまでわかっているのかはわからないが――を汲んでその対象を明言しなかったことに。
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二日目。
昨日のあの霧雨と曇天は綺麗になくなり、散歩日和…のはずだった。
はずだったというのは、他ならぬドルのお祖母様の入院が伸びたらしいから。
午後の散歩の時間はなしに、という申し出を、メイド長が受けたらしい。
「どうも、あまり良くないらしくて…」
その上そんなところにグィーガヌス刑事がひっついて行くと聞いたせいだろう。
誰よりメイド長が不安気になっている。
「お祖母様のお身体に触らないといいのですけどね…」
あの調子で病体を引っ掻き回すなんて不躾この上ない。
病院というのはそういうのを許容してしまうのだろうか。
メイド長曰く、警察の調査はほぼスルーとのこと。
なぜならば不特定多数の人が訪れる病院を経由して雲隠れしたり、物の出入りに乗じて密輸したり、病気を理由に取り調べを拒んだりという悪意の人間も多いから。
納得できる理由だ。
でも、今回に関しては。
「なんとかできないものかしらね…」
俯くデイジーを見るメイド長の目が一瞬しらじらしくなったのに気付いてしまったのは、デイジーの悪い癖だった。
「そうですね」
穏やかなメイド長の声は、デイジーに優しかった。
それがデイジーには少し怖かったけれど、優しさなのだといい聞かせた。
それでも授業はする。
ドルがそこまでじゃないからといったから、とのこと。
メイド長としては仕事なわけだからそれは当たり前の申し出として、黙って受け止めていた。
デイジーとしてもやはり気になったけれど、ドルの入室時の笑顔でかき消された。
「じゃ、続きから!」
無茶苦茶うれしそうだしいつも以上にいきなりだ。
「そんなに?」
「うん、だってデイジー、昨日超嫌がってたから」
―――――最低め。
だから朝の出だしから一時間ほどで、デイジーの脳味噌はまた干涸びそうになった。
「じゃ、次ここね」
「トーンダウンするんじゃなかったの?」
必死でドルに指さされた数学の応用問題の問題文を目で追いながらドルに毒突く。
「うん。
昨日デイジーがやる気出してくれたからさ」
「ちょっと休憩ぐらいいいじゃない」
「そう? 欲しい?」
飄々としている。
「じゃあ、『お願いします、休憩させてください』って言って」
「そうじゃなくて。
箒とモップの話はいいの?」
そのまま答えるのは嫌だ、というデイジーの意地は、話をそらすという解決作を見出した。
「良くはないけど…それより今はね!」
そう言いながら、別の教科の教科書を淡々とめくっている。
真剣な顔だ。
―――――あれ?
今迄こんな事あったろうか。
一つの科目をやっているとき、ドルが違う科目の教科書を見るなんてことが。
それに、もっとずっと、ドルの表情はへらへらだらだらしていた。
もしかして、
「ドル、大丈夫?」
ぴたっとドルの動きが止まった。
瞬きも、呼吸も、全てが静止し。
ゆっくりとドルは目線だけをデイジーの方に向けた。
手元のページがぱらりぱらりと少しだけめくれていく。
瞬きをするドルは、彫刻のようだ。
―――――そうか。
「ごめん、ドル、授業しよう」