新説 六界探訪譚 13.気違いじみたゲームー2

掃除を終えて下駄箱に向かうと、いつかと同じように矢島がいた。
「オツカレ」
いつも通りの帰り道。
無言で下駄箱の靴を引き出して放り投げる。
適当に足を突っ込む仕草までお互い見慣れたもんだ。
いつかの田中の剣幕が思い出され、あれがつい先週だということに吃驚。
そっか、もうすぐ一週間か。
恵比須に相談した弐藤さんと違って全くノープランの進路調査票、どうしよ…。
この後なんてイチャモン付けられるんだか。
気づくと口が勝手に動いて、
「お前、進路何て書いた?」
矢島はなんか得意気。
「アイちゃんはなんて?」
ふっ、質問返しか。
じゃあ俺とご同類ってこったな。
「高校進学」
「まあ…フッ…違ぇねぇな」
ちょっと小馬鹿にしたような笑いがムカつく。
どうせお仲間さんなんだろ?
「で? お前は?」
「俺、総芸高校」
ええーーー!
具体的な名前ーーーー!!
矢島を凝視する。
「そんな分かり易く吃驚すんなよ」
「するだろ」
類友だと思ってたのに抜け駆けしやがって。
「なんでそんな具体的な」
「調べたんだよ美術学科あるとこ」
「お前そんなん興味あったっけ?」
確かに矢島は絵が上手い。
けど今だかつてコイツからゲージュツの香りが漂ってきたことはただの一度も無かった。
今になって急にそんなこと言い出すなんて。
絶対なんかあったろ。
毎日ぼんやり同じ日々を過すダラダラ仲間だと思ってた相手からの一言は予想外に重かった。
「最近興味出た」
「なんで」
「おいお〜い、どちてぼーやかよアイちゃ〜ん。
何? そんなキたの?」
無言で頷くと、茶化していた矢島は吹き出し、ちょっとは堪えたものの、結局、
「アハハッハハハッハハハアハ!!!!!」
腹を抱えて前屈みになりながら車のクラクションにかき消されないくらいデカい笑い声。
わけ分からん。
「…んでそんな笑うんだよ」
「っははっ…いや、だってさ。
っはー…アイちゃんだから…っふひっ」
「何が」
ヒーヒーっているのが収まるまでしばし。
喋れる程度の呼吸になって来た矢島は次第に真面目な口調になり、そしてとうとう、
「アイちゃん、俺の『耳なし邦一』見てさ。
言ったじゃん。
『どうやったらこんなんかけるの?』って」
ああ、言った。
確かに言ったな。
でもそれが何で?
「俺、絵、本当に上手いのかなって」
「普通に上手いだろ」
アレを下手糞っていうヤツいないと思うけど。
矢島は考え込むような顔になった。
「俺んちってさ、金持ちじゃん」
「ああ」
「そうすっとね、いるんだよ。
おべっかと建前で褒めちぎってくる奴ってのが。
そういうのね、すげー嫌いなの俺」
「知ってる」
「そうじゃなくてもさ。クラスにもいるだろ?
褒めちぎってまでは来なくても、取り敢えず『うまいね』って言ってくるタイプ。
佐藤とかさ。
あと…向井とか、田室とか。
実は結構、四月一日だってさ。
いや、思ってなくはないんだけど、そんなでもないっていうか」
「そうかな」
「そうだよ」
矢島の表情は薄暗い高架下に入ったせいで見えにくい。
電車が通りすぎると、隙間からチラチラと光が当たった。
時折それは矢島の目玉で反射して瞬く。
電車の音に負けない声で、矢島は言った。
「アイちゃんはさ、違うじゃん。
思ってないことないじゃん。
思ってる事しか、言わないっしょ」
「まあ…」
「しかもさ、あんな風に、『どうやったんだ』なんて、まぁないよ。
自分でやりたくても、どうやったってできなくて分んなくて、ほんとに気になるときだけ。
現に機械いじりは誰にも確認しないし、勉強なんて興味ないから分んなくても誰にも聞かないじゃん」
「さらっとディスんな」
傷つきは全くしないけど、その通りなだけに始末が悪くて困る。
悪りぃと小声で半笑いする矢島。
図星を認めた俺が面白かったんだろう。
「それじゃなくってさ。
だから、アイちゃんが言ってっからには、本当に上手いのかなってさ。
人ができないことがやれてんのかなって。
ちょっと…自信ついたってかさ…」
俺が言ったから。
矢島はそう言って続けた。
「でも案の定、親にヤな顔されたんだよね。
まあそりゃタダでさえ鼻摘まみの俺だしね。
ぶっちゃけ書いたけど変えることになる可能性大。
でも、絵描けるとこがいいのはそうだから、部活とかでも美術部あることがいいんだ〜」
じゃな〜、と手を振ってマックに消える矢島はいつもの矢島なのに、取り残された俺はスーパーに歩き出すこともできずなんとも不思議な気持ちでぽつんと日向に立つばかり。
気を取り直し、コウダと初めて会った日の帰り道と思えば同じ道をたどっていく。
俺が言ったから。
俺が、言ったから…。
弐藤さんは、俺が言ったから傷ついた。
矢島は、俺が言ったから自信がついた。
同じようにどっちも、俺の言葉が、俺が思ったそのままの言葉だったからだ。
…なんだろうな。面と向かって言ったからか? いやそういう問題じゃ…。
向井の『ひっ』は、俺にはちょっと刺さった。あれだって思ったままだろう。
でも俺の額の傷を見て『間抜けっぽい』と言った安藤さんも、思ったままだった様に見えるけど、別に刺さりはしなかった。
夏の湿気が薄らいだ日陰の道に吹く風は、ホックを開けた学ランの首元に入り込む。
意外と冷たいのに驚いて、そっかもう10月、4月からあのクラスで半年経ってんのかとまた驚く。
…そのくせ矢島と四月一日以外のクラスの奴って殆ど喋ったことねぇな。
でも多分これからもそうだろ。だって日常生活そんなに喋る必要ないし。
だからって、『中』を覗くのか?
それはダメだ。
だってみんな、話そうと思えば話せる相手じゃないか。
裏口侵入は…。
そもそも話せない相手なんてこの世にいんのか?
もう死んでるか。
まだ生まれてないか。
面識ゼロで接点がどう頑張ってもゼロか。
それか…。
あ。
気付いてしまった。
そうだ。
いるじゃないか。
この世で、今生きてる人間で、誰もがたった一人だけ。
絶対に面と向かって話できない相手が。