新説 六界探訪譚 13.気違いじみたゲームー1

「はよ」
「…ん」
矢島に気のない返事を返す。
向こうは不満げな顔になった。
「おいおい、アイチャン覇気がないぞ」
「…朝だから」
代替案が出ないまま月曜日の朝になってしまったからだ。
チャイムとともにのろのろと席に着き、朝の連絡もそこそこに進路希望調査票の回収が始まる。
げ。忘れてた。
「書けてないやつ、いるか!」
恐る恐る手を垂直に伸ばす。
矢島も伸ばしてるのが見えた。
カウントされるのがなんとも…。
「帰りまでになんか書いて出せ」
促して立ち去る恵比寿横顔を眺める。
立ち去った後、弐藤さんの顔がセットになって脳裏をよぎった。
向こうの方にいるけど、先週水曜日以降目を合わせたくない。
元々接点も無かった。
こっちが勝手に意識してるだけ。
でもちっちゃい背中がいつもの何倍か大きく見える。
数学のプリントを配るために後ろに体を捻ったその一瞬を見るのも怖い。
小さな背中の威圧で俺が挙動不審になってるのに気付かれないように縮ぢこまって下を向くと、かすれたプリントの文字の下にある紙の繊維まで見えてきそうだった。
1+1と違って、全然2になりそうにない今の俺の気合。
秋晴れの窓の外がうらめしい。
角がすり切れてきてる教科書と、折れ曲がったノートの表紙を伸ばし、プリントをうまいこと机の上にのせようとして落とした。
しまった…。
拾って俺に渡した向井に慌てて会釈する。
小声で『ひっ』と言っておどおどしながら姿勢を正す向井の姿。
こういうの、未だに堪える。
俺のほうもおどおどしてたと思うけど、俺の顔面はそれでも怖いか。
顔。
ああああーーーー…。
自分で地雷を踏んで自爆すると、ぶり返すぐりゅぐりゅしたスライム状の気分で全身がぶよぶよに満たされていく。
授業はいろいろそっちのけ。
分かる最初のほうだけ書いて、後の問題の空欄には適当にランダムな数字を埋めておこう。
それにしても、なんかいい案出せるかと思ったんだけど。
その場しのぎの後、閃かない代わりの策。
諦めるべきなんだろうか。
向井じゃなくて先生とか大人だったら多少罪悪感薄いけど。
でも。
大人だって子供だったりするし。子供より裏表激しいし。
なにより、もうそういうのどうでもいい。
兎に角嫌。
それだけ。
他人の『中』なんて覗きたくない。
その日授業中ずーーーーっとそんなんで。
はっきり言ってサンキュー号の聞いてなかった観光案内どころじゃなく。
今日は殆どノート取った記憶もない。
それでもなぜか字は書いてあった。
聞き覚えのない文字だけが並んでる横線のノートを帰りに開いて吃驚。
俺の無意識パネェわ。
でもこっちは白い。
進路調査票。
なんか書かなきゃ。えー…いいやもうこれで。
第一希望の欄に『高校進学』とだけ書いたその紙。
「矢島ー、相羽ー」
恵比須に呼ばれ、伏せて紙を出すと、ありがたいことに恵比須はその場では見もしなかった。
矢島も伏せて出してる。
何となく目が合った。
にやっとされた。
「おい帰宅部。
用事済んだら早く掃除して帰れ」
「へ〜い」
矢島が巫山戯て返事をするも、促した恵比須は取り合わず、そのまま居なくなりもせず。
安藤さんが手渡す日直の日誌を受け取ってからじわじわと立ち去った。
でも今度は安藤さんは何故か立ち去らず、そのまま何故かこっちを向いて。
ぼーっと突っ立ってる俺の顔を繁々眺めた。
な、な、な、何?
見るのは得意じゃないけど、見られるのも得意じゃない。
矢島はもう居なくなってる。
俺も掃除…。
「そのおでこの傷さ」
「ん?」
「間抜けっぽいね」
きょとんとした顔でのほほ〜んと口にした言葉が意外と響く。
反応に困ってると、安藤さんはふふっと笑い出し、
「あはははは! ごめんごめん」
くしゃっとさらに大きく笑って、
「思ったこと言っただけだから気にしないで」
安藤さんは居なくなった。
…それ、ひどくね?
間抜けってあれか?
多分安藤の爺が言ってた俺の名前の由来聞いたからか?
確かに髪の毛がその辺だけまだ短くて芝刈り失敗みたいになってるし、前髪で隠れない程度に下にちょろっとしてるから確かに間抜けに見えるかもだ。
でもな、それにしちゃ笑い過ぎだろ。傷消えないんだぞ。しかも実は『中』で安藤さんがつけたんだぞ。
アーモンド型の目もと。
くしゃっと笑うのを何度もリピートさせてみる。
…なんか、いいかな。
間抜けでも。
結構非道いこと言われたんだけど、そのわりにショックがない。
むしろいいもん見たみたいなさっぱり感。
なんだろな。
恵比須に言われたとおりとっとと掃除行こ。
荷物を持って廊下に出て。
階段の踊り場にT字箒を持って上る。
理科室に行く佐藤の後姿。
ゴミ箱を持つ武藤さん。
最上階から弐藤さんが、下りながらゴミを下に掃いて降りてくるのが見えた。
みんな色々だ。
『中』でのあれこれがよぎるけど。
今日こうやって普通に過ごしてると、あんな広大なものを抱えてるようにはとても見えなかった。
本当に現実だったのかとすら思える。
過ぎたことを思い出し、予定通りならあと1回と思うも。
次考えるの、億劫。
このまま何もしないままで、全て終わってしまったらいいのに。
いっそあの『中』に入って消えてしまえたら。
踊り場から下に一段ずつ下りながら、妄想を埃といっしょに階下に掃き下ろして溜めて、1階の埃を集めきったものの手持ち無沙汰。
もちゃもちゃとそれを箒の先でもて遊んでたら、いつの間にか塵取に集められ、みんなゴミになっていた。