新説 六界探訪譚 11.ひとりきりー6

田中のためにできることって何だろう。
「今時知ってるだろうが、大人は何でもできるようでいて、実の所できることが凄く少ない」
ホームベースはさっきのチビメと似たような話を繰り返した。
「事を荒立てて保護者とやりあったところで勝目が薄いし、今回のケースだと一番ダメージを喰らうのは田中本人。
大人の得意技を出すのが一番と判断した。
つまり、」
「ダンマリと事勿れを決め込んで隠し切るってことよ」
今度はさっきと逆にいいトコだけ取られたホームベース。咳払いをして、挽回するかのように続ける。
「僕としては、田中の気持ちは分かる。
なんだかんだいって、同じ男だしな!」
ニッと開いた口から覗くのは歯並びの悪い真っ白な歯。
しかし。
その隣に並ぶチビメの口元は台詞を聞いた瞬間、おかしな形に歪んで。
口元以外の顔のパーツも歪んで。
なんだコレ。なんちゅうか…。
親父の靴下を鼻先に持って来られた感じが近いだろうか。
眉を潜め、頬が持ち上がってピクピクして。
鼻の穴がでかくなり、口は若干噛み付きそうな開き方になっている。
それでいて、溜息つきたいような、なんか諦めたような。
『やめてくれ』? 『いやだ』? 『勘弁して』?
ちょっと違うな。
今っていうより、何度も見てきたみたいな。
全部の頭に、『もう』ってつけるとぴったり。
『もうやめてくれ』『もういやだ』『もう勘弁して』。
チビメの顔に言葉がだいぶ近付いた。
多分、こういう『男だから』『女だから』的な言い回しを嫌な文脈で何度も聞いて飽き飽きしているんだろう。
#METOO的な話も広がってるわけで、教師だってやっぱ色々あるんだろうし。
でもなぁ、もっと、ぴったりの言葉があったような。
しかも、最近聞い…。
はたと、思い至った。
『うんざり』。
そうか!
これだ!!
これが『うんざり』なんだ!!!
何回も見て来て、もうまたこのパターンかよっていう。
だとすると、『げんなり』は?
バレ『たら』げんなり。
『たら』?
てことは。
『げんなり』はこの先起る将来を想像してのことか!
霧が晴れたようなスッキリ感。
裏門の日陰に光が届いたと錯覚しそうになるくらい。
いや〜、長らく疑問だった『うんざりげんなり問題』、これにて一件落着。
チビメ、今度からその顔芸で国語の授業やってよ。
絶対そのほうがわかりやすいって。
今更ながらその変顔の意味に気付いたらしいホームベースは、チビメに向けていた目を足元に落してしゅんと押し黙っている。
普段持ち物チェックで生徒から奪三振しまくってる強肩ーーいやコワモテ?ーーは見る影もない。
手に持ったエロ本をそのしゅんとしたホームベースに渡したチビメ。
「相羽くん。分かってると思うけど一応念押ししとくね」
なんだなんだ。
チビメは冷静な顔だった。
「君は、ここでは、何も見なかった。いい?」
絶対狙って言ってるだろ。
まあ、確かに台詞だけにしたってこんな機会そうは無いよな。
やってみたかったんだろうチビメの気持ちは分かる。
じゃあ返事はこうするしかない。
深く頷いて、右手を額に斜めにかざし、両足を揃え。
敬礼ッ!
俺の仕草を見届けて満足げなチビメとホームベース。
「じゃ、そーゆーことで」
二人は揃って裏門から校舎へと消えていった。
余韻に浸る間もなく田中の一声が入る。
「継ぎ足して念押しするけど、俺とお前は今回だけの関係だからな」
それ、うっかり弾みで浮気した二人の会話に聞こえなくもないんだけど…。
まあ、それは置いといて。
確かにぎゃあぎゃあ騒いで田中がバレたくないと思ってるエロ本の件が露呈するのは最悪だ。
田中がどれだけこの件に心血注いでるか、知ってるんだから。
それだけは絶対避けないと。
俺の多少の好奇心なんて、いくらでも蓋が出来るから。
あと、多分だけど、俺のクラス内での立場も考えてくれてるんだろう。
田中には悪いけど田中の巻き添えでカースト転落は御免だ。
心中の利己的過ぎる雑菌が返事に混ざってしまいそうになるのを、もごもご口の中で分け、綺麗なところだけ丸めた。
「…了解」
「どーした?」
俺、ほんと…。
「いや、なんかちょっと残念で」
自分の嫌な奴具合をひた隠し、それはそれで嘘じゃない別の気持ちを全面に押し出すと、田中はちょっと迷って口を開くことにしたようだ。
「俺、結構嬉しかったんだ」
「え?」
「同クラのやつどころか、あの二人以外誰も話してねぇし。
話したらなんか、ちょっと…前より落ち着いたっていうか…」
迷うようなその空白。
田中が出したいのは、今言葉になっているものではない何か。
空白はそう告げている。
もっと柔らかくて、もっと繊細な。
それは何だろう。
空白に来る次の言葉を待つのがこんなに緊張するなんて。
でも、その空白の不安は遂にきれいには埋まらず。
代わりに田中は、その柔らかく繊細な何かを、それよりちょっとだけ鮮やかな別モノで上書きした。
「相羽、まじで、サンキューな」
きっと田中の中でこの台詞は、その空白の次の何かと比較して、間違ってるとまでは言えない違いのものなんだろう。
「俺は…」
「じゃ、そういうことで」
チビメと同じ台詞で無理矢理締め括った田中は、中学生のくせにやっぱ社長じみて見える。
これ以上田中の気持ちに押し入る図々しさは流石に持ち合わせてない。
だから田中の締めくくった意思に敬意を払うしかなく。
「…じゃあ」
もっと話したりできたらなぁ…。
田中の後姿を見ないように元来た道をたどって、いつもの帰り道に戻る。
その間中、俺の中の俺は悪魔のように囁きつづけた。
『何言ってんだよ。
自分は安全なとこにいるんだろ?
聞きたいって思ってた事、もうぜーんぶ聞き出したんじゃねぇか。
まだ他にも欲しいもんがあるってのか、え?
ずるい。
ずるいなぁ真宏クンは。
そもそも田中クンは、お前が聞かなきゃ喋る必要なかったんだろ?』
上諏訪神社のほうに向う一本道を歩きながら、途中現れたもう一人の俺は対抗するように声を上げる。
『田中は「サンキュー」て言ってたじゃん。
確かに真宏はあんま考えてなかった。
でも、田中の、「話して落ち着いた」ってのは嘘にゃ見えなかったぞ。
他にもって思ったのだって、一番は田中くんの事考えたからだし、それを抑えたのだって、一番に田中のこと考えたからだろ』
どっちが俺の本音か。
向かいから来る自転車はほんのり風を起こして遠ざかる。
…どっちもだ。
車輪の音が消えた頃、丁度コウダとケンカしたあたりまで来ると、突如、視界が開けたようにはっとなった。
そっか、聞いたんじゃん、俺。
『中』で知りたいとか思ってた事。
さっき田中本人の口から全部。
聞いたな。
これ以上田中界隈には近づかないって約束もしたし。
じゃ弐藤さんの後、候補消えた?
…誰にしよう。
やっぱ先生?
せめぎ合いに一旦蓋をする口実として適当な問題が出現したことにほっとし、自分で蓋をしたことに気付かないふりをした。
富士見坂からは川藤さんの『中』で見えてた富士山を遮って聳え立つ高層ビル。
曇りがちな青空の中に生えている。
そして家につく頃には、蓋されたものが何だったかなんて思い出しもしなかった。