新説 六界探訪譚 11.ひとりきりー5

万事休す。
「先生、すんません」
田中は潔く雑誌を破れた袋ごとチビメに渡した。
いいのか、田中。
あんなに…あんなに執念を燃やしたそれを渡しても。
チビメは田中と俺の顔を見比べた。
「あー、バレちゃったの?」
ん?
田中は頷くような、申し訳ないような仕草。
「すんません」
それに笑いながら溜息をついたチビメ。
「事情はどこまで?」
「半分っす。
かあちゃんがエロ拒絶激しいって話で、学校に隠し持ってきてるところまで。
相羽、大丈夫。先生共犯者だから」
田中は真剣に俺の目を見ている。
…はぁ?
「もー。『共犯者』じゃ人聞き悪いじゃない!
『協力者』って言って」
ピシャリと言い放つチビメ。
うーん、悪いけどまっっったく飲み込めない。
口を半開きにしてただきょどるばかりの俺。
チビメはしょうがないなぁ、と前置きした。
「これ、虐待なの」
コレって、何?
急にハードな単語が出て来たせいでますます分からん。
「中学生位の年齢の子から過度に性的な情報を遠ざけるのはNG。
親は子供にいつまでも性的ニュートラルであり続けることを要求しちゃだめなの。
日本は親が子供にやることが『教育』って一言で何でも許されがち。
でも世界的にはこれ常識中の常識。
文化の違いで一概にそれトリガーとも言えないけど、異性の親子で一緒にお風呂入っただけで違法って国、結構多いんだから。
恋愛やその後の性体験の場面でトラウマがでちゃったって事例や研究もいっぱいあるし。
割と深刻な話なのよ、田中くんの悩み」
待って待って。
やっぱ、わかんない。
さっきまで田中、お母さんと国家権力の結び付きについて語ってたよね。
今度は何? 虐待? 法律??
チビメは田中の俺に対する事情説明が想定より手前までしか成されてないことに思い至ったようだ。
「なんでこうなってるかって言うとね」
田中が割り込んだ。
「俺が頼んだんだ」
えええ!??
『ハードな話 × ハードな話 = わかんない × わかんない = ? 』
だーかーらー!! それじゃわからんって!!!
チビメは眉間をぐりぐり押したあと、田中をいいから、と遮って改めて語り出した。
「ある日下駄箱でごそごそしてる生徒を発見するじゃない?
で、何かと思ったらエロ本じゃない? しかも18禁の。
一回は注意に留めたけど、3回見つけたら流石にそうも言ってられないからさぁ。
親御さんに話をって言ったら、この子その場で土下座すんだもん。
『それだけは勘弁してください!
お願いします! 事情を聞いてください!
センセー!! お願いします!!!』
これ、職員室入口からもグラウンドからも見える下駄箱のあの場所でされてみてよ。
しかも泣きながら。
事情聞かざるを得ないじゃない。
今日日教師って色々世間の目ってやつあるしさぁ。
そしたら…こっから先は聞いてる?」
こくこくと頷くと、チビメはホッとした様子。
「ほんとびびったわ。
お母さんだ、お父さんだ、ジョーブズさんだ犯罪だ警察だサイバーセキュリティだ?
おい待て、それどこの小説だよって」
わかるー。さっき俺もソレ思ったもん。
「小説だったら『ああ素人が書いたんだなー』って思って終わるトコだけど、ねぇ…」
眉をハの字に下げて鼻の穴を広げながら喋るチビメ。
田中にゃ悪いけど、完全同意の意味でもう一度深く頷く。
しかしなんでこの人普通に喋るときはこんなスッと入ってくるのに授業のクソ丁寧な口調の説明はあんな分かり難いんだろ。
未だにあの時の『げんなり』と『うんざり』の違いが分かってない身として不思議でならない。
「ぶっちゃけてしまうと、こんな案件、噛みたかないわ。
相手が悪すぎる。我が身は可愛い。
バレたときを想像すると…ちょっとげんなり〜なんてもんじゃ済まないだろうし」
チビメ、正直!
加えて『げんなり』の実例も出ましたー。
この文脈を『うんざり』にすると…『バレたらうんざり』。
んんん? 確かになんか違う気が。なんでだろ。
段々話題の中心から意識が『うんざりげんなり問題』に脱線してきてんな。いかんいかん。
それに気付いているのかどうなのか、チビメは続けた。
「でも、この子は困ってて、必死で相談してきてるわけ。
教師って立場で、仕事の範囲内でやれること考えたら」
「こうなるわけだ」
チビメの肩をポンとたたいたのは、まさかのホームベース。
「聞いてたんですか菰山先生」
「途中からです。
見てる人いなさそうでしたけど、もうちょっと声控えた方がいいですよ多分」
ベテランを気遣って登場する若手の構図。
あれ、てことは、え? まさかこっちも?
隣に首を回すと、田中は俺と目があった瞬間に目を閉じ、深く頷いた。
「経路としては、俺が下駄箱に隠しといて、帰りに裏門でチ…佐野先生が『没収』。
佐野先生から菰山先生が『預かっ』て、『生徒に見られるとアレだけど、職員室の所定の隠し場所で保管するにも微妙な品。かといってスマホみたく学校金庫を使うような貴重品でもない、という二人の判断で』ここから15分の菰山先生の自宅で保管。
全然関係ない相談事の体で菰山先生が『話を聞いてくれて』て、そん時に、な。
閲覧場所が先生んちってのがだいぶ微妙だけど、自宅に置いといて見つかるより全然いい。
18禁は法的にアウトだから、青年誌のグラビアに留めろってことで」
田中が喋り終えた瞬間。
澄み切った熱い塊が一気にぶわっと湧き上がり、とうとう俺の中から溢れだした。
「お前スゲえな。まじで」
どうしても直接、伝えないではいられなかった。
でも田中は冷め切っていて。
返ってきたのは悪態のような。
「メインでこの経路考えたのは俺じゃなくて菰山先生だから」
そこじゃない。
俺がスゲえと思ってんのは隠す方法を考えたことじゃなくって。
親っていう一番近しい人間ーーそれも国家権力まで味方につけるようなーーの圧力に対抗して。
出せる知恵全部絞って、クラスで元々外されてんのにさらに外されかねないリスクをいくつも犯して、土下座なんて形振り構わない事までして。
結果どうだ?
本来取締る側の風紀担当教師をほぼ全面的な味方にして。
田中は欲しいものを手に入れてる。
そうだ田中。
お前は手に入れてんだぞ!
でもこいつ大丈夫なんだろうか。
たった一人でここまで悩んで。
先生は確かに聞いてくれるけど、さっきチビメも自分で言ってた通りやっぱ先生は先生。
田中はここまで、いや、もう、本当に、頑張ってる。
なんか…差し出がましかろうがなんだろうが、俺がやれることは無いだろうか。
感傷的になってるところに、チビメがまたしても割り込んだ。
「でもほんと、される側としては生徒からの土下座はキツいからさ。
やめてほしいわ」
チビメが口を挟んだ。
田中はへっ、と鼻で笑った。
協力者であるチビメも、誰も彼もを嘲笑うような笑み。
真顔に戻って淡々と飛び出したのは月並な台詞。
でも今の俺にとっては、冗談抜きで、カッコ良すぎだった。
「土下座一つで手に入んなら、安いもんですから」