「急にどうした」
「そういや知らないな、と思って」
コウダは両足を前に投げ出し腕を後ろについていたくつろぎの姿勢を、きゅっと縮めて丸める。
膝を折り、よっこいしょと居なおると、大きく息をついた。
「借金返すためだ。大分あるから」
「いくらあるの?」
「3億」
「は!?」
だらけていた自分の上半身が思わずコウダの方に跳ね上がる。
「なにやったの?」
「親が事業に失敗した」
うわぁ…その手の話ってこんなによくあるもんなんだ?
鮮度良好な母さんの打ち明け話が思い出され。
他人事とは思えないなぁ。
あれ? でも、なんでコウダが?
「親の借金って相続しなくていいんじゃないの?
確か相続放棄ってのがあったはず」
「詳しいなお前」
じいちゃんがやばかったときに今後の生活が不安になって調べた。
親父が将来なんかやらかしても俺大丈夫だよねって。
我ながら強欲で嫌になる。
「コウダ俺のこと調べて知ってんじゃないの?」
探偵ばりに母さんの会社の話も知ってそうなもんなのに。
「俺が知ってるのはお前の日常生活だけだ。
過去のアレコレとか身辺がくまなく分かるようなレベルじゃない」
そうだったんだ。
コウダはぽりぽりと頬を指で掻いた。
「…まあ、嫌な話をすると、借金を作ったのは事業を起業した祖父でな。
しかも事業の失敗だけじゃなくて自分の投資に会社の金を使い込んで、その辺全部隠して突然他界しやがった。
借金が発覚したのは3ヵ月をちょっと過ぎて、取り立てが来てから。
そんなもん存在すら知らない親は当然事業を相続してたし、祖父と共犯でやらかした重役連は祖父が他界してすぐに『もう年だから』とか言って全員そそくさ逃げていた。
弁護士にも相談したらしいが、闇金からも借りてるとか諸々の事情から自己破産できなかったんだと。
最悪なことに遺言状で小学生だった俺もその相続人に入ってて、親と一緒に相続してた。
相続放棄は3ヵ月まで。だから…」
逃げられなかった、と。
溢れ出る唾をごくりと飲み込む。
俺はどうなってた?
母さんが向こうのおじいちゃんが上手く会社を回せなくなってたのに気付かなかったら。
母さんが上手くやれてなかったら。
親父が良くない方向で経営に絡んでたら。
周りの人が協力してくれなかったら。
コウダの借金話が俺の過去に関する『もしも』と密着しすぎてて寒気がする。
母さん、親父、じいちゃん、その他母さんの会社従業員の方々などなど。
本当にありがとう。
なんとかなってるのは皆さんのおかげです。
そして今後のために覚えておこう。相続放棄は3ヵ月まで。
「お陰で子供の頃って碌な思い出ないから。
親父とお袋と3人して借金取りから逃げて逃げて、年ごまかして働いて。高校なんて当然行けないし。
敢えてそのころのいいとこ探しするなら、親二人の努力と法律の手助けのお陰で中学出る前にはヤバい所全部返しきってたことだな。
ただまあ、当の二人はストレスもあってか顔合わせるとほぼケンカだったよ。
籍外すタイミング見失って、別居した所で食ってけないから惰性で一緒にいる感じ。
今はもうお袋一人だけど、未だにその頃の愚痴が出て来るから」
全体的にインパクトあるなぁ。
しかも一部返した上でまだその額残ってんのかよ…。
コウダは俺の顔を見ると、口を少しだけへの字に曲げて目を伏せた。
「友達とか学校って状況じゃなかった俺からすると、お前が羨ましいよ時々。
これ聞いてコメントしずらいですって顔出来るだろ」
嫌味なのかぼやきなのか分かんないんだけど…。
その言葉は3人の馬役の上で握った何本もの鉢巻を高らかに掲げてたなびかせ、大きな口を開けて笑う少年に向けているようにも思えた。
「だからって今こういう『セイシュン』ってやつをやりたかったかって聞かれると微妙だがな。
勝負事とかどうでもいいし、つるむのも性に合わんし、団結に美徳なんざ感じないから」
退場していく晴れ晴れしい体操服達をドライに切り捨てる。
負け惜しみに見えないのは本当にそう思ってるからか、単にコウダの嘘が上手いのか。
グランドが均され、また塊になった体操服達が入場していく。
リレーのようだ。襷とバトンが用意されている。
向こうの職員席には景品らしきものが見えた。
醤油とか洗剤とか、いやに生活密着型だなぁ。
地方の町内会の運動会ではああいう景品でるらしいから、まあ、ありっちゃありか。
四月一日由来の過去情報を再発掘し、ちょっとだけ沸いた違和感を払拭する。
そっか。運動会って一口に言っても、学校のとか、町内のとか、もしかしたらサークルっぽいのとか?
でもコウダはたぶんそのどれもに、まともに参加したことがないんだろう。
ついちょっと、しんみりしそうになる。
俺がコウダだったら…。
たぶんここで同情されるなんて余計腹立つな。
経験してない、大変だったかどうかもわかんないヤツには、何言われたってムカつくだけ。
スーパーに買い物に行く途中で偶に会う、顔しかわからない程度の近所のおばちゃんに、『おつかい? えらいわねぇ〜』って言われるとムカつく。この理屈と同じ。
『えらい』もなにも選択肢がないし、生まれてきてる以上他の状況になりようがないから比較しようがないわけで。
なにその誉め言葉風の見下し。俺の今の立場とか色々ディスってんでしょ? って思う。
だから、日頃からあんまり喋れない俺は、益々言葉を失くしていた。
先生の手の中の黒いピストルは、その人差し指がトリガーを引くと同時に音と煙を放つ。
5つのレーンから、5色の襷を掛けた生徒がバトンを持って走っていく。
カーブで体を傾斜させて、次第に順位が付いていき。
でも、砂煙のなか、ゴールインする誰もが笑顔。
実際にはあんなの有り得ないのに。
必ず優劣が付くのに。
「…んだ、本当」
しまった。真面目な話なのに聞いてなかった。
「ごめん、もっかい」
コウダが笑った。
目尻に笑いジワが出来る。
狐のような目も皺の一つみたいになって。
「お前には感謝もしてる。
実はこの前の戦利品が天文学的な金額で売れそうでな。
うまくいくと、一発で借金が返済出来る」
「まじで!!!」
借金の額を聞いた時以上の驚愕。
この運動会の住民たちは、皆運動会に夢中なようだ。
俺にも、俺の顔を見て肩を振るわせるコウダにも、誰一人見向きもしない。
「ムトウさんの『中』で持って来た絵、最初はラトゥールの『いかさま師』っていう作品だと思ってたんだ。
実物はもっと大きくて持ち出せるサイズじゃない。
すごく似てるかって言うとちょっと微妙なとこだったし、評価額は大したことだろうと踏んでた。
ところが、どうも調べたら、贋作だと事が分かった」
「贋作ってことは…偽物…」
あれ? 本物から作った偽物の、『中』でのコピー? ってことは、
「ようするに偽物の偽物だよね。それゴミじゃね?」
「と思うだろ?」
コウダがニヤリとした。
「贋作は贋作でも、有名贋作師の作品だったんだ。
俺が協会に持ち込んだ直後に、『あっち』で偶然真贋騒動があってな。
最初は『ハートのエースを持ついかさま師』という仮タイトルまで付けて、ラトゥールの現在認められている真作、『クラブ』版と『ダイヤ』版の2つの別バージョンじゃないかと注目されていたんだが。
だが実際には、『あっち』で世界的に有名な、メーヘレンという作者のものだった。
メーヘレン自身はオランダの画家で、フェルメールという同じくオランダの超有名画家の贋作で鳴らした人物。
一方ラトゥールはフェルメールと同時期に再評価されだしたとはいえフランスの画家だ。
メーヘレンが贋作を作り出したころはまだ評価が固まっていなかったし、そこまで有名でもなかったはず。
どこで見たのか、何故この作品を模写したのか。
諸々不明点が多いものの、『あっち』で新発見された『ハート』版を調べると、材料の年代測定、筆致鑑定、流通経路や来歴、メーヘレンの手記などなど、とにかく何から何までそうとしか考えられないらしい。
ラトゥールの『いかさま師』自体、歴史上度々真贋を怪しまれてきた曰く付きの品でもあるから、メディアの取り上げ方が別格でな。
俺が盗ってきた絵は一致率の高さに加えてタイムリーだから、最低価格が相場の十数倍を見込んでいる。
実際のオークションはあと3ヵ月後。
うまくお前が消えずに済めば、六界探訪での発見というオマケ付きで更に値が吊り上がるだろう」
説明長〜いけど、要は、
「偽物は偽物でも有名人が作った偽物だから高いってことね」
「そ」
じゃ、そこだけでいいから。
ほんと説明好きだなぁ。