新説 六界探訪譚 10.第〇界ー6

ピーーーッピッ
組体操の扇はホイッスルの音だけでさくっと解れた。
ワーッという声とともに生徒達はグラウンドを駆け巡る。
コウダは腰に引っ掛けたペットボトルを外してキャップをひねった。今日は赤のパー。
ゴクッ
零れた一筋が顎から喉へと伝っていく。
コウダにきっちり利益出てるんなら気に病むことないな。
実は、偶にだけど、悪いなーとか思ってた。
コウダの立場からすれば、俺が偶々あの日川藤さんの『中』に飛び込んだことで多大なリスクを背負う羽目になったわけだし。
計画などなど割と丸投げしてるし、俺巻き込まれただけだからなんて切り捨てられない程度には面白がってた自分もいるわけだから。
話してすっきりした。
てか、そんな儲かってるのに俺は『助かる』以外ノーオプションってむしろ不公平じゃね?
じとっと見ていたのに気付いたらしい。
「これか?」
コウダはキャップをつまんでパーを左右に振った。
「いらねえ。じゃなくって、俺もなんか持ってこれないかなとさ」
コウダだけそんな懐あったかくなるなんてずりぃ。
「『六界探訪譚』によると、終わった暁にはなんか1つだけ持ってこれるらしいぞ。
終わってから10年くらい後にもう一回『こっち』のやつと『あっち』のやつで会う機会があったらしくて、6回目の戦利品が『こっち』のやつの手元に残ってたって記述がある」
「でもそれ売ったりできないよね」
「記念、だな」
ったくほんとさあ…。
「そんなにプッシュするんなら読ませてくれよ、その『六界探訪譚』」
コウダは首を横に振った。
いいじゃねぇか、くそったれ。
風で砂が鼻の穴に入る。
は、ん、はは…っ…。
くしゃみは出そうで出なかった。
あああ゛ーーー!
先日あのあと一悶着あった親父と母さんの姿が多少よぎり、その苛立ちも混じって、もっとみっちり悪態として叫び出せそうな。
…あー、いや、やめやめ。
それじゃほんとに八つ当たりだし。
コウダにはコウダの事情ってもんがある。
そう思おう。一番それが落ち着く。
嫌になってきていた『中』はやっぱり嫌だけど、お互いギスギスしながらやるのは最悪だ。
親二人みたいに間に俺を挟むのもどうかと思うけど、俺がああならないために、方向を模索しよう。
しかしなぁ…。
コウダへの『イラッ』も鼻のむずむずも薄れ、代わりに忘れていた親二人への『イライラッ』が鮮明に戻って来た。
親父も母さんも、ありゃないよ。
急にぼろっと零れだす。
「コウダは親二人の間に挟まれたことある?」
コウダは横目で俺を見る。
「あるし面倒だったが、まあそれはそれだったかな。
生活苦のほうがひどかったし。
お前、本当に今日どうした」
話してなんか解決するだろうか。
でも言わないより言ったほうが、八つ当たりして迷惑かけるよりいいのかも。
なにせ親父に怒鳴られた後の2日。
あのときテレビ前から逃げて宿題をざっと一気に片付け、その翌日母さんと映画館行ったあたりから。
そう、見終わって出て、お昼になって…。

『真宏ありがとう!! アニメだし私一人じゃ入りづらくってこれ』
母さんはニコニコ。
大好きな『スパイダー・ヒーロー』でテンション上がりっぱなしだから。
面白かったけど母さんほど熱くなれず、きゃーきゃー言ってるのを尻目に、お腹減ったなぁ、という俺。
第一作ーー『あのアメコミ遂に実写化!!』と話題になったらしいーーを大学時代に見て以来、封切されるたびに映画館に走ってる母さん。連れられて&テレビで俺も全部見てる。
そのくせそんなに愛がないのは母さんが全部熱意を持ってってるからだろう。
入りづらくって〜と言ってるけど、多分一人でも全然平気。
それが母さん。
分かってるサイドとしては若干しらじらしさを感じつつ、それでもなお言われると嬉しくなる自分の単純さに呆れながら、頼んだハンバーグ定食が来るのを待つ。
他のお客さんも皆映画館帰りなのか、親子連れが目立った。
『昨日親父に聞いたんだけど』
『ん? 何?』
水を飲みながらきょとんとする。
『なんで結婚したのか』
母さんの黒目が一瞬ちょっとだけ見えた。
それはすぐに元に戻る。
『もしかして昨日宏海が怒鳴ってたのそれがらみ?』
鼻で笑うけど、そこには同意も否定もせずにおいて。
理由を淡々と伝えると。
一瞬固まるように間があき、直ぐに。
『ふふ〜…。そぉ』
にんまりとした。
目は細く線のようになり、頬が多少紅潮し。
『で、宏海は?』
『え?』
『私のほうの理由も教えたんでしょ。なんて?』
『それじゃねえよって…』
益々笑みを深める母さん。
『…それであれねぇ…ふふふ』
…ん…?
『真宏』
親に優しく名前を呼ばれて悪寒がするのは初めてだ。
返事ができずにいると、母さんが言葉を継いだ。
『ありがと』
にっこり。
どっかで見た顔だと思った。
胸騒ぎのような落ち着かないしこりができて。
その話とは全く関係ない母さんの質問を受けてる途中で、話の腰を折るようにハンバーグが来た時。
それはハッキリと姿を表した。
はたと最近よく見ている顔を思い出したことによって。

「なんか悪いこと考えてニヤニヤ笑ってるときのコウダに似てるなと思ったんだよね」
「ほう」
コウダは母さん襲来からの一連の流れを聞いて、感嘆なのか何なのかよくわからない呟きを漏らした。
「どういうところがだ」
悪い事考えてニヤニヤしてるってことを否定しないあたりがコウダらしい。
「なんかこう、悪い感じが…」
んんん、言い表しにくいなぁ。
なにが一番近いだろう…。
そうだな…。
そうだ。あれだ。
安藤さんの『中』の直後、動画でチェックした。
「時代劇の悪役みたいな感じで」
小指で耳をほじるコウダ。
「悪巧みしてる大人なんてみんなそんな顔するぞ」
そ、うなの?
コウダはペットボトルにまた口を付け、また性懲りもなくちょっとこぼしていた。
…そうなのか。
じゃ、やっぱり、レモンタルトの時点でもう、
「俺、嵌められてたんだね、母さんに」
口を手で拭いながらコウダが付け加えた一言も刺さった。
「お前の親父さんもな」