新説 六界探訪譚 9.閑話休題ー6

「しょうーーー! ファイトーーーー!!!」
気合入ってるな。誰だろう。
振りかえってみる。
あ。
日傘をさしたその人は、さっきのあの美人。
タオルでぬぐってるのはもはや目元の汗だけ。
なおも匂い立つような色気が残るのは造形の妙としか言いようがない。
でも…、後ろのほうがスゲぇ…。
そこにいるのは。
頑張れー! と口では言いながら、掲げるスマホORカメラと明らかに違う至近距離に焦点を合わせ、鼻の穴が多少膨らんでる誰かのお父さん達。
同じく、いったれー! と口では言いながら、瞼をぴくぴくさせてお父さんを睨むお母さん達。
騎馬戦以上の至近距離で成される迫力のワンシーン。
目を背けよう。そうしよう。うん。
ぶんっという風切り音がしそうな速度で前を向いて応援を〜。
「2組ーーー!」
声を出すことに専念すること暫し。
ワーーーーーッ!!
勝負あったようだ。
うちのクラスは4位。まあそんなもんだろう。
佐藤が大量得点したものの、他はぼちぼち。
そして戻って来たやつら。それなりの擦り傷ができている者多数。
「しょう! だいじょうぶ!?」
さっきの美人が凄い勢いで保護者の人込みをかき分けて、一人の生徒に駆け寄っていく。
だれだそいつ?
名字も多少うろ覚えの俺には難易度高いけど、あの佐藤でさえ難易度高いのか。美人の行く先を目で追ってるのが分かる。
お父さん方などなど、誰もが目を逸らせないその人が駆け寄る先。
「だいじょぶだよ、かあちゃん」
まぢで!!!!
そう思ったのは俺だけじゃなかったみたいだ。
さっきのお父さん、クラスの野郎ども、お爺ちゃんまで、皆目のサイズが3割増し。
返事をしたのは田中。
『しょう』って名前だったんだ田中。
「ほんとに? 結構派手に転んでたし…」
不安げにかがんだ田中のお母さんの顔と田中の顔が並ぶ。
田中の脚はぜんぜんつやつや。
見てなかったけど、派手にどころか、ちょっとヨロめいたぐらいだろう。
なんなら今日真っ直ぐ走る以外何もしてない俺の脚の方が先日の『中』のせいで余程傷だらけだ。
汗だくの田中のお母さんは、鞄から真新しいタオルを出して田中の汗を拭こうとするも、タオルは田中によって引っ手繰るように奪われた。
お母さんの美貌のせいで田中まで注目の的。
言われてみれば確かに白さ加減と艶やかさ加減は良く似ていた。
なんか、残念。
でもそれ言ったら俺だってその残念の一人か。
あの2人を神がかった手腕で超いい感じに錬成してたら、イケメンになっていた可能性だってあったわけだから。
遺伝子ってそういうもんだよ、うん。
しかし田中、この注目の浴び方、超不本意だろうなぁ。
『ぺろぺろ星人』払拭のために静かにしてたのに。
やっぱ、親、来ない方が楽そうだよな。
無言で縦に首を振って前を向き、なんとなくビシッと体操座りする。
気を取り直そう。
体育祭に絡めて、別のこと考えよう。
言いきかせるように内心連呼すると、丁度目の前で始まった3年生の体操。
扇やらなにやら、謎のポーズを次々に決めている。
これ見てたらなんか冷静に他ごと考えられそうだ。
例えば、そう。
安藤さんだったら。
体操服の安藤さんが組体操のポーズを決める姿。
それをいろんなアングルから見てみる妄想が、突然ビビットな色味で脳内を支配した。
っ…やっべ。
ぬぁぁ…。
こ、こんなことで全く別のピンチが到来してしまうなんて。
だめだぞだめだめ。
ここ、学校だから。
今日体育祭だから。
冷静に。
冷静に。
おちつけ俺。
そして俺の息子。
そうだ。今朝のマイクテストの声を思い浮かべよう。
本日は快晴なり。
本日は快晴なり。
本日は快晴ナリv
突如妄想内に出現した、睫毛バシバシの若〜い巨乳女子アナが両腕で胸を軽く寄せつつ上目遣いする様。
あの谷が見える。
ぬああああーーー!
一気に吹き出す全身の汗。
女子アナは体操服…じゃなくって…くぅ…くそっ…。
負けねぇ…俺は…。
…は…。
…ほ…。
ほ、本日は…。
ほんじ…つは…せ…て…んな、り…。
本日は…。
本能の声を振り払うように、カッと目を見開いく。
足元の簀の子、その先の砂粒を見つめた。
遥先の、砂粒の中の点や、もっと小さい物質まで遡るような力が集まってくる。
本日は!!!!
快晴、なり!!!!
NHTVーーニッポン放送テレビ局ーーのアナウンサーのおっさん風!
脳内イメージは木の葉を額に乗せ、煙を立ててドロンと変化する忍者のように一気に硬派に。
スーツ姿のメガネのおっさん。
こ、これ、だ…。
イメージ、出来たじゃねえか俺。
本日は快晴なり。本日は快晴なり。本日は快晴なり。本日は快晴なり。本日は快晴なり。
本日は快晴なり。本日は快晴なり。本日は快晴なり。本日は快晴なり。本日は快晴なり。
早口言葉のように読み上げたホームベースと良く似たお堅い感じの容姿のその人。
テーブルに座ってそのメガネのずれを直す様。
一瞬のそのブランクをはさみ、おっさんによる脳内マイクテストは続く。
本日は快晴なり。本日は快晴なり。本日は快晴なり。
体中から汗が滲み、軽く震えそうになる。
本日は快晴なり。本日は快晴なり。
本日は快晴なり。
よし。
この調子。
グラウンドの歓声のボリュームが、アナウンサーのおっさんという強い理性の化身の手でどんどん小くなっていく。
本日は快晴なり。
本日は快晴なり。
やや前屈みになってる俺に誰も注意したり声をかけたりしないのは、もう夕方で、みんな疲れてるから。
加えて演技してるのは3年生。つまり2年生から見たら、ちょうどどうでもいいところだからだった。
本日は快晴なり。
もう一丁。
本日は、快晴なり。
そういやこの『快晴』ってとこ、昔ここにあった別の私立の学校の名前からとったらしいっての、今朝の校長の長話で初めて知った。
普通『本日は晴天なり』なんだそうだ。
小学校のときは『マイクテスト、マイクテスト』で終わりだった。
中学入って初めて聞いた時、曇ってんのに? と思ったのが懐かしい。
本日は、快晴なり。
こんな言葉一つ取っても歴史って奴があるんだろう。
じいちゃんに言わせると、こんなに親とか、親どころかじじばばまで子供の行事に来るって、じいちゃんのころでは考えられなかったらしいし。
小学校で俺の走りをスマホ撮影したあのとき、一番驚いてたのはそれだった。
家に帰ってから親父に動画を見せ、その後でこう続けた。
『親が来てるなんて余っ程だったから、まさかじじばばまで総出なんてな。俺等の頃だったら、もう恥ずかしくって恥ずかしくっていたたまれないくらいだったろうに』
親父の頃は両親どっちか来てたらしい。親父は後ろめたいような変な顔してた。
母さんに話したら、母さんも似たような顔してたよな。
昔川藤さんから『夫婦って似てくる』っていう俗説を聞いたんだけど、元でも似てくるんだろうか。
ピーッピッ
「退場ーーー!」
脳内ではおっさんが原稿を閉じて頭を下げ、画面右下に『終』の文字が映っていた。