「『中』入らなきゃ良かった」
コウダは眺めてた絵から視線を上げた。
「もう出てるから。俺ももう行く…」
「見たくなかった」
鞄から風呂敷を取り出して額縁を包む手が一瞬止まる。
「…取り敢えず、ここから離れるぞ」
学校からここまでの道には知り合いは今のところいなさげ。
いつもの帰り道にしたってニアミスもないからと、普通に駅前から家へと歩くことになった。
程良く学校から離れたところで、コウダは息と音を同じように吐いた。
「で?」
聞き返し方ちょっとむかつくなぁ。
カチンと来そうになったけど抑えた。
どうやって受け取った会話のボールを投げ返せばいいのかも含め、思っていることをゆっくりと紡ぎ出す。
「あれ、見ちゃ…いけないものだったよね」
それに呼応するのはしばしの間アスファルトを踏みつける靴の音だけだった。
1ブロックほど歩いたところで漸くコウダからボールが返ってきた。
でも。
「あれって?」
ずるい。
絶対分かってるのに聞いてる。
コウダの様子を窺うと、やっぱり全然俺の事なんて気にしてないような顔。
それでいて俺に歩幅を合わせて歩いてる。
コウダの反応はむかつくけど最もだ。
実の所言う必要もないんだろう。
それでもどうしようもない俺の中の何か、促されもしない問いかけの返事を少しずつ吐き出した。
「武藤さんの…最後の…。途中の部屋も…」
また間が空く。
あくまでも『会話の間』。そうだよな?
気にするな。きっと待ってれば…。
なのにいつまで経っても出てこない。
次のブロック、そしてまた次のブロック。
とうとう3ブロック行き過ぎても、まだ次の言葉は出てこなかった。
はあ?
…んだよそれ。
俺にだけ言わせといて。
自分はダンマリかよ。
ふざけんな。
「なんとかいえよ」
自分でも吃驚するぐらい切り口上な物言い。
コウダはまだ口を開かない。
いちいちイライラするなぁ、この間。
そして、ようやく聞こえてきたのは。
くっくっくっ、という笑い声だった。
湧き上がったものがもう抑えられなくなりそうだ。
でもなんとか掴みかかるのは抑え、その代わりに飛び出したのは。
「んだよ!!」
日常生活で殆ど動くことがない俺の顔の筋肉が勝手にフル稼働してるのがわかる。
コウダは薄笑いを浮かべていた。
細く開いた瞼から覗く眼差しは上目遣いのようでいて絶対違う。
明確な悪意が込もっていた。
怖い。
そう感じざるをえない俺に真っ直ぐ、その目が向けられ。
「お前、何様のつもりだ?」
低く冷たく言い捨てた言葉。
どこかで聞いたような声音は、それでそのまま俺の全身を串刺しにする気なんだろうか。
「見て良いわけないだろ他人の頭の中なんて。
ムトウさんに限った事じゃない。
カワトウさんも、アンドウさんも、サトウくんだって、見ちゃいけないものだったんだぞ」
「諭してんじゃねえよ」
間髪容れずに反論したものの、コウダは無視して続けた。
「なんでムトウさんだけ『見ちゃいけない』になった? あ?
それはな。
お前が勝手に判断しただけだ。
お前の主観でな。
本人にしてみれば、全部見られたくないんだ。
『中』で本人に見つかったら世界が収縮して閉じるくらいな」
そんなの分かってる、と思った。
けど意識はしてなかった。
だから悪かったのは俺。
分かってるのに。
なんで、が止まらない。
何に対する何でなのかも把握できないまま、勝手に口が俺の中の淀んだ何かをそのままひねり出していく。
「じゃてめぇはいいのかよ? えぇ?
今に限らずダメなことしてんじゃねえか。
分かっててやってんだろ?
最低だよなぁ!」
「あ?」
コウダの返答にも怒りが混ざりだす。
それでも出てきてしまう俺の中の。
「ゲス野郎っつってんだよ」
自分でも八つ当たりだって分かってる。
どうしてこういう時は動くんだこの口は。
「金のために他人の頭ん中ほじくって、売れそうなもの漁ってんだろ?
不可抗力ってわけでもなく自発的に。
カスだなまじで!!!!」
コウダの逆鱗に触れたどうかは分からない。
でもコウダの方を見れない。
般若顔の親父に近いけど、それでいてもっと重たい感じが隣から醸し出されてて。
それを纏った攻撃がコウダから、異臭のようにもわりと放たれた。
「大人だからな。
そうだ。
お前にはまだわからんだろうが、事を成そうとするとき選ばないといけない場合がある。
何かを選ぶってことは、選ばなかった何かを捨てるってことだ。
大事なものを選ぶためには、他の大事なものを捨てないといけない。
どちらかしか取れない。
そういうことがあるんだ」
話が全体的になんか臭うくせに、神妙な言い方。
一層むかつく。いつもそうだ。
子供だから、子供だから、子供だから。
うまいこと丸め込んで。
そういうの大嫌いだ。
さっきまで自分が良くないなんて、思ってた俺のが馬鹿だった。
もういい。悪いと思わないほうの馬鹿で。
どうでもいい。
コウダを睨み付ける気で顔を上げる。
待ち受けていたのは、満面の笑みの口元と、怒りが最高潮に達して見開いた目だった。
コウダの黒目は瞼から下に半月のように姿を表し、それを取り囲む白目は血走っている。
ヤバい。
そう思ったのは本能だった。
全身が冷えていく。
体が動かない。
次にくるものが命中したのは理性にだった。
「お前はどうなんだ?」
「…ぁ?」
息を吐くように声を出すのが精一杯だった。
「面白がってたじゃないか」
え?
「アンドウさん、サトウくん、ムトウさん。
最初のカワトウさんは本当に事故だったから、不思議なのもわかる。
でも、その後のメンツは全員お前が選んだんだぞ?」
あ…。
「お前、本当に『背後を狙いやすい』だけで選んだか?
本当に?」
中途半端に開いた俺の口は、閉じるタイミングを失って震えた。
「この前教えてくれたこの後のメンバー候補も含めてだぞ。
本当に、下心無しで選んでるか?」
コウダを見ない。
みないぞ。
そっちじゃなくて今迄向いてた道の進行方向を見るんだ。
ここまでは歩きながら話してたから、もう冨士見坂の看板も見えるじゃないか。そうだ。
一歩近付いてきた。
「そうだろ? ゲス野郎」
目がまわってるのかと錯覚するくらい、なぜか揺らぐ視野。
その中に収まってしまうコウダの顔。
それは再び一段と笑みを深めた。
思わず後退るが、コウダが大股でさらに二歩進み。
ブロック塀際に追い詰め、頭を俺の肩の上に載せるように下げながら早口で言った。
「まだ続きあるぞ」
生温かい息は、俺の視界の回転をさらに加速させ。
「次は明後日の日曜日午後1時、上野公園な」
再び耳元で嬉しげに呟く。
俺の肩をわざと強く二回叩くと、真顔に戻ったコウダは上諏訪神社の中に消えていった。
後ろ姿はあっという間に向こうの階段のほうに進んでいき。
どうしようもなくなった俺の視線は、ぐるぐると辺りを巡りながら冨士見坂のさらに先、家路へと浮遊した。