新説 六界探訪譚 8.第四界ー11

「武藤さんはそっちにも結局居るぞ」
「でもここにこのままいると、前後とあの穴とリスク3ヶ所じゃん」
がちゃっ
行った傍から真後ろを駆け抜け、風が背中に当たる。
ドアが閉じる音で旨を撫で下ろすと、コウダの耳に一層近寄って小声にした。
「あっちだったら階段の上とドアの2ヶ所になるし。
床の位置だけ確認して、おりれそうなら降りたほうが、隠れられていいかなぁと。
そこからさらに移動できるかもだし」
コウダは少し考えていたけど、腹が括れたようだ。
またチラッとこちらを見て小さく首を縦に動かした。
足元の穴をまたぎ、さっき絵をはずすときに足を置いた場所、壁の穴の手前に再び慎重に足を運ぶ。
武藤さんは相変わらず出たり入ったりしてるみたいだけど、階段の上のようだ。
穴の中の階段にはいないでくれてる。今のうちに俺も。
手を置いて体重をかけても痛くない程度に厚みのある壁らしい。
てことは、穴を跨ぐ事自体は然程大きな障害じゃなさげ。
コウダは鞄からペンを取り出し、それを穴の向こうの床に向かって力を込めて投げつけた。
パンッ…カラカラカラ…
ペンはゆっくりと止まった。
足元の硬さ確認・トラップ有無確認完了!
武藤さんの不在も目視確認。
「持って」
さっきの白い板っぽい物を俺に渡すと、絵を外した穴に手をかけ。
穴に足をツッコんで下に着地する様は『中』に入る姿と酷似してて、『中』を出るのかと錯覚しそうなくらい。
残り時間聞いてないけど、どうだっけ?
そう思いながらコウダに額縁を渡して後に続き、軽くしゃがみ込むように着地する。
足元はべつに向こうと変わらない。
コウダは既に左のほうにある曲がり角まで進んでる模様。
あっちは明るい。
手招きしている所をみるも、足元は継続注意。
右のほうも一応っと…。残念。よく見えない。
ってことはやばそうね。
穴に入る前まではドアがあったと思われる場所には何もない。
でも武藤さんは暗闇から急に来るかもしれないわけで。
注意だけはしつつ、カニ歩きでコウダに駆け寄った。
壁の裏側上方に明かりがついていたらしい。そこには久しぶりに上から光が当たるコウダの顔。
普通ってイイね。
下から光が当たる顔のホラーテイスト、最初は新鮮味あったんだけど、ずっとだとなんか疲れるって思ってたとこでさ。
そのままたどり着いた角も、今までよりずっと曲がるのが楽な道幅。
安心プラス安心で、もうだいじょぶなんじゃね?
安堵しきるつもりで足を数歩、斜めに進めた。
で、見た先は。
やだ。
うそ。
マジでやめて。
左手に目線の高さに、ちょうど目の幅に線のような穴があいてて光が差し込んでるものの。
天井が高くなってく感じといいなんといい。
下からの照明といい。
入ってきたときとほぼ同じ道。
あんだけぐるぐるして振り出しに戻るとかありえない。
俺、もー疲れた。
でもコウダは今迄と変わらずさくさく先に進んでる。
満身創痍の体を引きずって進むのはコウダも同じはず。
すげえやコウダ。
気持ちと同じく動きたくなさそうな自分の足を無理矢理引きずって後に続く。
ゆっくりと先に進みながら、細い横穴から向こうを覗き見た。
…部…屋?
穴の向こうには真っ白な壁。
そのそこここに、この穴とそっくりの横穴が高さ・長さ問わずランダムに開けられている。
向こうに人いたりして~…。
本気でヤバイことに思い至り、ドッキドキで目を凝らす。
…よかった。いなさげ。
代わりと言ってはなんだけど、部屋の左の壁際に多少見覚えのある黒い椅子を発見。
黒い椅子の背もたれは梯子のようになっていた。
椅子の脚は棒のように細く、折れたのか一方の足がテープで止められ、ささくれだった木肌も多少露出。
プラスチックとかパイプとかじゃなかったのか。
じゃあ、あんな細いし折れて当然だね。
しかもあの台形の座面、ケツ痛そ~。
どこのバカが設計したんだか。
あれ?
ってことはここって、あのとき見てた階段の真ん中の部屋?
でも椅子がある壁の真正面にドアがあるし。横穴もあるし。
今いる廊下と同じで、一緒っぽいけど違うってこと?
そんなふうに眺めてるうちに、あっさり廊下の突き当たりまで来てしまっていた。
俺がうへぇと思ってた道の先は例によってトリックアート。
偽造済みの廊下の終端は、壁にぴったりと張り付いていた。
一見部屋と同じ長さまで廊下が続いてるように見えたけど、どうやら中腹までしかないようだ。
部屋の中のドアはまだだいぶ先だった。
がちゃっ
部屋の中のドアが開く。
同じ肌色のレオタードを身に纏い、でも床にこすれたのか所々汚れたり破れたりしてボロボロ。
服はともかく、タイツは伝染していた。もう使えないレベルなんじゃなかろうか。
武藤さんはまっすぐに部屋の真ん中に向かっていく。
ピタリとそこで止まると、椅子を見据えるように立って。
多分バレエの基本姿勢なんだろう。微動だにしない。瞬きもしない。
無表情な武藤さんはさっきしごかれていたのとも普段のとも違う武藤さんだった。
と、コウダが俺の腕を引っ張る。
「しゃがめ」
言われてしゃがみ込むと、しゃがんだときの目の高さに横穴があった。
穴から覗いた部屋はさっきより暗くなったような。
ちょいちょい自分が来た方向にも目をやりつつ、部屋の中を再び見た時。
声が聞こえ始めた。
音楽じゃない。
話し声でもない。
何言ってるかがよくわからないのになんとなくのリズムがあって。
でも。
これが何かは知ってる。
多分俺じゃなくても、大抵の人は聞いたことあるだろう。
そしてそれは多分、あんまり楽しいときじゃなかっただろう。
読経の声。
武藤さんがじわりと動き出した。
誰のか分からない念仏の響きに高らかに足を上げ、強く飛び、上半身をくねらせる。
滑らかな動きはしかし、着地し止まるタイミングでカクンと糸に釣られたように力無く止まり。
もう一歩高く飛んだとき、壁の一点が明るく光った。
光はしゅっと広がって、文字か図形か分からない何かが浮かび上がった。
アルファベットの、数学で使う小文字のくずしたxと良く似た形で、交差点に菱形がくっついている。
左下だけ嫌に長く延びたそれは、金と茶色と黒と赤っぽい何かでごてごてと飾り付けられていた。
xが拡大しながら左の方に流れていく横に、今度は十字架からpのような形が生え、そのpの丸にさらに縦棒がささった形が同じように広がっていった。
縦棒はもう一つ出現し、その後は無数の文字と模様が壁に漂って消えた。
それらが消えかかるそのとき、左から右へと、今度はある一点から幅広く帯のように広がる別の模様が現れた。
二つ横並びの菱型と、三つくっついた菱形、そしてヘビのような形の線、縦線、カーブ、丸のような。
何かの暗号のような青緑色の線は、鉛筆のような点を引っ張って書いた線ではなく、マーカーみたいな平らな物を引っ張ってするすると踊らせたようだった。
普通にどこかの壁にでも書いてあったら、きっと模様と信じて疑わなかっただろう。
でもそれは何かの規則性を持っていて。
でも、いわゆる隙間を埋めるための規則性ではなくて。
適当な遊びではなく確固たる意志を閉じ込めたようだった。
もしかしてアラビア文字ってやつか?
そういや見覚えある、と思う間も、光とともに二つの文字は踊るように部屋を取り囲んでいく。
最初の模様はアルファベットだったのかも。今現れたのはI・N・Pの飾り文字に見えなくもない。
その輝きの中、またもどすりと音をたててその重さを知らしめるように落下・着地した身体。
泥水に浸かる蛙と見紛うような姿勢で着地し、闇夜のハイエナのようにギラギラと辺りを見回す。
直ぐさまゴキブリの速度でがさがさっがさがさっと這い回ったと思うと、突如フラミンゴの如く一本足で立ち上がった。
そのままS字体をひねりながら倒れ込むギリギリまで自由落下したかと思うと、足を二本に割ってまた持ち直し、そして両足を前後に開きながら明後日の方にバク転、着地、また飛び立ち。
今度は部屋の隅々まで、規則性もなく錯乱したように動き回り、高らかな空中で足を二回打ち鳴らして着地する。
鮮やかな光・穏やかにも力強い声。
それとは裏腹に、武藤さんには軽ろやかさも美しさも、微塵もなかった。