新説 六界探訪譚 3.やっぱりー2

 不穏な一言を放つコウダを無視する。
 昨日・今日と話を聞いているわけだけど、危険性については未だに実感がなかった。
「ターゲットリスト作ってきたか?」
 ようやく今日の本題だ。夜な夜な作ったノートを取り出して開く。
「三人しか上げられなかった。
 これからしばらくの間で残り二人、じゃだめかな」
 コウダはノートを受け取り、そこに目を伏せた。
 名前・性別・関係・性格・接触できそうなポイントを箇条書きしたところをじっと見ている。
 そしておもむろに俺に向かってぼそっと一言。
「お前、もしかして国語苦手か?」
 間違ってはいないが少し違う。
 勉強が苦手なだけだ。
 しかしほんとになんだこいつ。
 自分は勉強嫌いだったんだろ?
 俺の昨夜の努力の出来栄えには口挟むのかよ。
 コウダのほうをじっとりと睨むと、何かが伝わったのか顔を上げた。
「一人か二人なら、俺も時間作って多少調査できると思う。
 お前はあんまり考えるな。周りをじろじろ見たりして不審がられるのはよくない。
 そういえばいけそう、と思いついたのが他にいたら教えてくれ」
 それ、結構ハードル高くないだろうか。
 あまり考えないというのを一度意識してしまってからできるのか分からない。
 でももうしょうがないから黙って頷いておこう。
「アンドウさん、サトウくん、ムトウさん。
 アンドウさんは、昔喋ったけど今そうでもない近所の子、ってつまり幼馴染?」
「そこまで親しくもないんだ。うちのじいちゃんと安藤…さんのじじ…おじいさんが喋るついでとか、帰り道一緒になったりしたときに喋ったりしてた感じ。
 中学に入ってからはそんなに。用事があったら会話するレベル」
 鼻がムズムズする気がする。
「『もてる』『クラス委員』のサトウくんとどっち先か迷ったけど、そのくらいの関係なら『まじめ』な『クラス委員』のアンドウさんのほうがやりやすいな。
 ムトウさんは最後だ。『派手』で『きつい』女子だろ。
 お前は見てる限りモブキャラだし、不用意に近づくと不審がられる可能性が高い。
 慣れてからな。他がいたら変えるのも検討しよう」
 クラスの当たり障りない存在であると完全に確信された『モブ』の2文字が刺さる。
 が、その通りなのでぐうの音も出ない。
 コウダはこっちが押し黙っている間もノートを読み通している。
「接触場所についてはこれでいい」
「いいの?」
実はそこが一番不安だった。
「アンドウさん:朝練習終了後の音楽室または夕方6時頃の複合公共施設の坂の突き当りの角、サトウくん:昼休み後のトイレ前、ムトウさん:下校中の高架下を左に入ったところ。
 時間もおおむね特定して書いてあるし、多分これなら何とかなる」
さすがプロの泥棒。
「あくまでもこっちで言う泥棒とは違うからな」
考えているだけのつもりが声に出ていたらしい。
「アンドウさんの接触場所は複合公共施設の坂の突き当りの角のほうにしよう。事前にお前と話をする時間をとりたい。
 他は?」
 質問が思いつかない。
 適当でもなんか今のうちに聞いといたほうがいいかな。
「コウダって何歳? 独身?」
 思いついたことをそのまま口に出したら本当に適当な質問になってしまった。
 新任の若い先生が赴任してきた時に近所のおばちゃんが井戸端会議でしていた話そのままだ。
 経済感覚は所帯化してもああいうのはやめようと思っていたのに。
 自分で言っておいて内容のなさに地味に凹む。
「…三十五。独身、まぁ、同棲は、してるけど…」
 まさか真面目に答えてくるとは。
 照れ臭そうだ。
 いつも基本言い切りなのに今回はもにょもにょしている。
 ちゃんと言わなくてもどうでもよかったのになぁ。
 なんか悪いことした。こっちもしゃべっとこう。
「14歳で、親父と二人暮らし…です。
 親父は基本夜は遅いけど普段は夜9時には帰ってくる。
 平日はそれまでの時間なら、家で話するのもあり」
「分かった。じゃあさっそく、次回実施前にお前んちで少し話をさせてほしい。
 安藤さんの人となりとかな。
 今聞きたいところだけど、俺の時間がもうない」
 それまでにまた聞きたいことがあったら用意しとけってことか。
「初回入ったのが先週水曜日、だとすると実行は早いほうがいい。
 明日だな。大丈夫か?」
「…うん」
 前回より悩まずに返事をする。
 コウダの反応も早かった。
「待ち合わせのためにちょっと前、そうだな、5時くらいにお前んちに行こう」
 コウダが持っている『こっち』の地図で家の場所を教える。土地勘はあるらしい。
「『あっち』ではこの辺が地元なんだ」
 ところどころ道があったりなかったりするからたまに焦るとのこと。
 幸い俺の家の周辺は同じらしい。
 念のため時間の確認をするや否や、用事は済んだぞとばかりにコウダは立ちあがった。
 上野駅のほうに歩いていくコウダの後ろ姿が公園で行われている物産展の雑踏に紛れるのを見届けると、なんとなくそのままその場に寝そべる。
 色々決まったら眠くなってきた。
 と、旧に顔面らへんが暗くなる。
 散歩中の犬にのぞき込まれ影ができたようだ。
 頭を動かすと、その小型犬はささっとよけて飼い主と俺の中間にしゃがむ。
 立ち上がって自分の影があるだろう方向を見た。
 木漏れ日に紛れているからだ、と言い聞かせてみるが無駄だった。
 もはや目を凝らしても影の形がわからなくなっている。
 あのときのコウダの『信じろ』に今、心の中で吐き捨てるように返事をした。
 ため息をついて一歩進んで小型犬の頭をわしゃわしゃなでると、へっへっへっとしっぽを振りながら足にまとわりついてきた。
 小型犬のはっきりしたしっぽの影が全力で右左する。
 帰ろう。
 振り返って、少し先まで歩いてから再び影があるはずの方向を見る。
 完全に日が当たっている場所に出てみても影ができない。
 つい先日まで何もしなくても片時も離れずに俺の足取りにふよふよとついてきた黒い相棒は、いなくなって初めて存在感を示し始めた。
 空は晴れも晴れ。青空が広がっている。
 周りを歩いている人たちはもちろん俺の影になどお構いなしで、全員一様に休日としての日曜日を満喫しているように見えた。
 がぜん強くなっていくノートの内容の現実味は、どんよりと両肩にのしかかる。
 こういうのはやめよう。
 家に帰って、明日の準備をしたら、晩飯作って。
 夕飯のメニューを考え出すと、少しずつ目先のことに切り替わった。
 そこからはほとんどいつもの日曜日だった。
 だらだらして、明日の準備して、日曜日だけ親父が作ってくれる晩飯食って。
 やっぱり夜は眠れなかった。