新説 六界探訪譚 3.やっぱりー1

「やっぱり泥棒なんじゃないか」
 気になって『Thieves』の日本語を検索したらそのものずばり『泥棒』と出た。
「『こっち』で言うのとニュアンスが違うから」
 日曜日、二日連続の午後お出かけに対して親父に『珍しいな』と一言され出てきた後、落ち会って開口一番がこれだ。
 言い訳がましい。これだから大人ってやつは。
 そのまま二人して昨日と同じようにしゃがみ込む。
「で、質問は?」
 はぐらかしつつ次につなげてくるとは。さすが大人!
 昔親父に聞いた、初回は喋るだけ喋って2回目からは『質問は?』で始まるという大学の先生の授業のようだ。
 しかもこれはただの勉強とは違う。
 俺の存在がかかっている、らしい。
 あれだけ脅されたから一応読んだ。
 当然質問はあった。はぐらかしに乗るのも癪だがしょうがない。
「だいぶ物騒なことが色々書いてあるけど、ほんとに?」
「殺害、とかか? 本当だ。実際に俺もやられかけたことがある」
 シチュエーションが想像つかない。
 川藤さんの『中』はのんびりまったり楽しげで、そんなのあり得なさそうだったけど。
「あそこに書いてあったのはだいぶマイルドなくらいだ。
 実際には自分でもターゲット本人でもないものに追い回されることだってあるからな」
 あるんだ、そんなの。
「カワトウさんの『中』はボーナスステージ中のボーナスステージだったんだ。
 俺の実体験を話してやろう。
 入ったらいきなり荒野で猟銃を持った人間に追いかけられた。今も腕にその時の銃創がある。
 さらに命からがら簡易トイレに隠れてゲートを作り出したところで上からティラノサウルスがのぞいていたことがあった。
 よだれで気づいたからまだ間に合った。気づかなかったら今頃俺はいない。
 失敗したときは事後調査をする。
 その時は、ターゲットがたまたま前日夜、ハードディスクに間違って録画された恐竜が出てくる古いパニック映画を見ていたとわかった。
 イレギュラー一個あるだけでそうなる」
「現実味なさすぎ」
「そういう現実味のないことがぼこぼこ起こる。いい大人の頭の中でそれなんだ。
 お前もお前の同級生も思春期真っただ中の中坊だろう。
 そもそも不安定なんだから、基本的に中は刺激的な感じだと思われる」
 そうなんだろうか。
 悩んだりはそりゃするけど、自分の頭の中が大人と比べて不安定かどうかなんてわからない。
 中学生だって中学生なりに大人だし、大人だって大人なりに子どもなんじゃないのか。
「そもそも調査不足。
 お前と俺が日常生活で背後を狙えそうっていう点だけでターゲットを絞るからな。
 同級生の内面に関しては知らないところだらけのはずだ。
 『中』に入った後は祈るしかないレベルだと思っている」
 未経験者にはわからない不安がコウダの結んだ口元に滲み出る。
「あそこに書いてあった以外に注意点ある?」
「長袖・長ズボン。
 何があるかわからない。皮膚は守っておくに越したことはない。
 あくまでも普段着の範囲内でな。黒っぽいとなおいい。
 隠れたときに見つかりにくい。学ランならほぼ問題ない。
 手だけは素手にしておけ。
 手袋とかしてると、出入りするとき掴んだゲートに引っかかることがある。
 急いで入って急いで出ないと大抵危ない。多少リスクを取ってでもさっとやれたほうがいい」
 物を盗ってくるときにもそのほうが便利なのだろう。
「中では小一時間、休憩できれば休憩を挟んで歩く。
 慣らし運転に必要な時間と手順だ。
 時間が短いと世界が認識してくれないし、長時間止まっていると生き物とみなされない。
 安全上もそうしたほうがいい。
 人間の頭の中はごくわずかな時間でも動いている。
 前回入った時も、止まってぼーっと周りを見ているだけという人はいなかったはずだ」
 そうだったっけ? そんなとこ見てないからなぁ。
「つまり止まって休んでいるだけで『中』の人間や生き物から多少は怪しまれる。
 止まるときはだれも周りにいないことが確認できるとき、どうしても隠れる必要があるとき、外に出るときの3つだけだ。
 あぁそうそう、入るときは前回同様紐付き」
 左の手首の前で右手の人差し指をくるくるさせている。
 前回引っ張った傷が多少まだかさぶたになっているのが見える。
「ここまでで質問あるか?」
メモを取ったが色々まとまらないぞ。
「せ、世界? の仕組みがわからない」
「俺もほぼ丸暗記だ。すべてが解明されているわけじゃない。
 そういうもんだと思えと先輩に言われただけのところが多い」
 いい加減なもんだ。
「学校とかないの?」
「…勉強は嫌いだった。
 で、お互いの安全のために、当日までにあの写したメモは暗記しておいてほしい」
 自分は嫌いだったって言っときながら、すぐに使うぞ暗記しろって結構ひどくないか?
「入ってるときは、俺は仕事できるタイミングで勝手に仕事する。
 入って出るだけじゃ割に合わん」
「俺は何も持ち出せないの?」
「持ち出せない。『こっち』の人間の『中』から物を持ち出せるのは『あっち』の人間だけだ」
「じゃあ、俺が『あっち』に行ったら、『あっち』の人間のは持ち出せるわけ?」
「そもそも、『あっち』に行けない。通過点を通れない」
「なんで」
「知らん」
 ずるい。
 瞬きもせずにコウダをじっと見つめた。
「大人がなんでも知ってると思うな」
「コウダが勉強してないから知らないだけじゃないの?」
「いや、ここは覚えてる。理由不明と書いてあった。
 それに実は過去にやろうとしたこともある。
 『こっち』の物だけ通過点の入り口を通れなかった。
 もしそんなことやれるんなら、そもそも『中』にいちいち入るなんてリスキーなことしないで、『こっち』から物を盗んできてる」
 やっと認めた。やっぱり『盗んで』るんだな。
 あの資料にはそういう細かいルールは書いていなかった。
 ドロボウ一年生に向けた死なないための最低限の心得集なのだろう。
 にしてもつまんねーの。
 よくある異世界での冒険的なマンガとかアニメとかと全然違う。
 強くなるとか、仲間に出会うとかもなく、モブキャラでまったり生活満喫とかやれるわけでもなく。
 主役のくせにこそこそしてて、最初から最後まで最弱というかっこ悪さ。
「本当に死なない程度に散歩して出てくるだけってことなんだ」
 学校で行く税金で建てた公共施設の社会見学と同じだ。感想文がないだけなんぼかましか。
「散歩で済めば、な」