見慣れた防災広場、右手にある最近建て替わった複合公共施設を見ると、いつも通り消防車が止まっている。
広場では親子連れがキャッチボールをしていたり、ベビーカーを引いた人が木陰に向かっていたり。
「いつもと変わらなく見える」
言葉を漏らすと、一歩先を歩く男から声だけ返ってくる。
「全部、じゃないだろ。桜吹雪はどこから来てるんだ?
ここに来るまでの道はいつも通りだったか?」
思い当たることがいくつもあるのが癪だ。
後ろを振り返ろうとすると、察したのか右手を強く引っ張られた。
「振り返るな」
「そんなにだめなのかよ」
「だめだ。後ろから追われている気配でもない限り、興味本位で振り返るのはまずい。理由は後で話す」
『後で』。そればっかりだ。
「追われることもあるのか」
「ある。選んだのもあるが、本当に今回は運がいい」
選んだってどうやって?
どうせ聞いても『後で』だろうから、思うだけにして聞かずに黙って歩く。
男はずっと斜め前を右左見ながら、ゆっくり歩いている。
行列だ。その向こうに赤いどんぶりの上に山のような千切り野菜の看板。
その形をなぞるように縦に『火炎』の文字が書かれている。
よかった。『火炎堂』だ。
行列ができている。人気のラーメン屋という分かりやすい目印が出てきてほっとした。
脇道の向こうに川藤さんちが見えるが、そこは通り過ぎるらしい。
行列の横を歩いて、並んでいる人を横目で見る。
また変な恰好の人ばっかり。
嫌にダボっとしたスポーツウェアっぽい服にスポーツキャップを斜めにかぶったお兄さん。
アメ横の外国人にこういう感じの服の人いるけど、あの人達と違って細身なので体が踊ってる。
次の人はお兄さん?
凄ぇすそが広がっているくせに太ももらへんはぴったりのジーンズをはいてる。
サングラスをしていてよくわからない。
そのサングラスも全体的にでかい。
内側の幅が狭く外側の幅が広いレンズで、茶色と空色のグラデーション。
もう一人は膝らへんで切りっぱなしのジーンズに白いTシャツ。
でも口ひげプラスロン毛でペイズリー柄のヘアバンドを巻いているのがもうおかしい。
靴下履けよ。足臭くなるぞ。
お、割とこれは普段見かける感じだ。
肩から首筋が全開のひらひらがついたTシャツにひざ下のスカートの女の子。
隣にいるのはロングのデニムスカートになんと上はキャミソール1枚のお姉さん。
素晴らしい!
でもこっちの人はつりあがっていていやに細い眉毛が怖い。
茶色のセミロングの髪は外にはねてて、なんかスカスカ。
全体的に若いみたいだけど、さっきの花見客と同じく並んでいる人に統一感がない。
見覚えがある見た目のテイストもいるのはいるけど少数派で、ほとんどが初めて見る感じだった。
川藤さんは新し物好きだ。
今はこういうのが最新ファッションなのかもしれない。
俺はそこまで興味がないから、特に女の子の服はわからない。
アイドルの追っかけが趣味の川藤さんのほうがきっと詳しい。
そんな行列に唯一ある共通点といえば、みんなうきうきしてること。
並び疲れていらだっている人がいない。
ここの激辛ラーメンそんなに楽しみなのか。
有名店だからわかるけど、マナー良すぎてびっくりする。
スマホ片手に進まなさをチラ見してる人だっていそうなもんなのに。
店の前を通り過ぎると、今度は商店街の坂の上に出る。
左斜め下にある商店街への見晴らしは今と大きくは変わらない。
そのまま商店街に入っていく。
いつものごとく人でごった返しているかと思いきや、そうでもない。
今は観光客向けの店が多くなって土産物屋なんかもあるくらいだが、むしろ主婦が多いように見える。
すごく商店街っぽい。
今はメンチカツしか売ってない肉屋は、本日の特売で豚コマを出している。あ、安い。
でも、その店先にいる買い物袋をぶら下げた女の人、ノースリーブの分厚い黒セーターにプリーツスカートだ。
すごい厚底のブーツをはいてる。5センチどころじゃないような。
さらに進むと、誰かが八百屋のおじさんと話をしてる。
次に来た人とも知り合いらしく、3人して話に花が咲いていた。
あの八百屋のおじさん、いつものおじさんじゃない。
よく似てるけど、別の人だ。
いつものおじさんはもうちょっと若い気がする。誰だろう。
他の店にも通りにも、周りが見える程度の密度でそれなりに人はいる。
なのに俺の手首のわかりやすい紐にだれも見向きもしない。
魚屋の店先ではパーマをかけたおばちゃんが店のお兄さん――この人も今の人とは違うような――に声をかけた。
どうも店先に出ているホヤがお目当てのようだ。
このへんだと滅多にお目にかからないからな。
赤いとげの出たあのインパクトの強いビジュアルが並ぶ中から、気に入ったやつを指さしているが、お兄さんはこっちのほうがいいよと言って違うやつをおすすめ提示している。
宵中商店街を抜けると、右のほうの角でおじさんたちがたばこをふかしながら何かしゃべっている。
歩きたばこは条例違反だよおじさん。
見つかったらお巡りさんがくると思うけど、全く気にする様子もなくその辺にたばこを捨てて、靴でぐりぐりやって消している。
おじさんは吸い殻を足でそのまま寄せて側溝の穴に落とした。ダメな大人だなぁ。
来た道の一本内側に入るように折り返し、今度は坂を上る。
この道には店もなく、住宅ばかりだ。茶色っぽい家々。
大まかにはいつもと大きくは違わない。
ただ普段よりも長屋と思われる建物が多い。
そのうち何件かはかろうじて見覚えがあるけど、もっとボロっちかった気がする。
さっきからずっと間違い探ししてるみたいだ。
疲れて見上げると、古びたアパートの2階で緑色の物干し竿に洗濯物を干しているお姉さんが見える。
まっすぐ伸びたストレート。
6対4くらいで左右に分けてて、振り払いながら作業してるから邪魔そうだ。
髪を振り分け、洗濯ものについた花びらも払い。
あの髪の毛ゴムで縛ればいいのに。
ジリリリリリリリン
ジリリリリリリリン
前に誰かが学校で押した非常ベルとよく似た音が響いた。
見ていたのと逆の家のほうから音がしたけど、なんだなんだ。
「大丈夫。電話だ」
「うわっ!」
いつの間にか真横に来ていた男が耳打ちしてきた。
面白がっている。俺のほうを見てはいないのに器用なもんだ。
気をつけろとか散々言っていたが、安心していいと判断したんだろうか。
「聞いたことないんだな。あれ、昔の電話の音だから」
昔の。じゃあ当然知らない。
向かいから最近Mスタで見た歌手のお姉さん――名前忘れた――にそっくりの皮ジャンの女の人と、逆に写真でも見たことない髪型の男の人が仲良く並んで喋りながら歩いてくる。
「目合わせるな。自然な感じで前を見ておけ」
やってみるけど難しい相談だ。それぐらいインパクトがある。
緑のモヒカン。
首をかしげても微動だにせず頭に対して垂直に高さ20センチくらいの壁が立ち上がってる。
服は黒のエナメルジャケットに、金属のとげとげ。そんなに突き出したいのか。
二人とすれ違いざま、緑のモヒカンに行く手を遮られた桜の花びらがモヒカンの付け根から頭皮らへんにくっついてちょっとたまっているのに気づいて吹き出しそうになった。
二人で話し込んでいて、こっちには見向きもしていない。
「あんまりじろじろ見たりするなって」
男から再度の忠告が入る。
そっちはずっときょろきょろしてたろ。
自分はよくて俺はだめなのか。
ジトっと見返すと、宥めてきた。
「ここに出てくるのは基本川藤さんの記憶からできているものだから時間とか場所とか色々混ざっている。
お前には目新しいかもしれないが、身の安全のためにやめておけ」
いろんなもん見てきたんだな、川藤さん。
なるほどそれでこんなにごっちゃな感じなのか。
親父の先輩だから、親父より色々知ってるわけで、まあ当然なんだろうけど流石先輩。
あの統一感のない花見客やかき氷屋の行列にも納得がいった。
って、なんかこの状況を受け入れはじめちゃってるじゃないか。
まてまて。まだこの男を全面信用はできないぞ。
ペースに飲まれないようにしないと。
そのまま角を左に曲がって、また右にいくと、上り坂になった。坂の頂上が見える。
だいぶ向こうのほうに一人男の人が立っているが、あとはだれもいない。
相変わらずどこからともなく桜が吹雪いてくる。
住宅地なのに絵になるのが不思議だ。
にしてもあの男の人、どっかで見た立ち姿だなぁ。