男性化志望者とその友人 7

 あの公示から一週間が過ぎた。
 今日は仕事はお休みだ。ケイトクは朝の九時に目覚めた。
「ふぁ…」
 ぐいっと伸びをすると、寝ぼけた頭は一気に覚めていく。
 寝起きがいいのは、ケイトクの特技の一つだった。
─────さて、何をするか。
 護衛がついているため、ほいほいと外に出歩けない。
 だからといって、唯一の友人の元へ遊びに行くわけにもいかない。
 誰かに見つかりでもしたら、『国王、ジルコーニ副団長と逢引』などと、新聞の紙面を騒がしかねない。
 剣の稽古もダメだ。
 ケイトクの剣の腕前は中々のもので、普段は騎士団の面々と打ち合っていたが、そのメンバーはほぼ男だ。
 女性の団員もいるのだが、偶々今日王宮に残っているのは男ばかり。
 結局、仕事が無くても、王宮内をうろつくしかないのだった。
─────仕方ない。
 ケイトクにはもう一つの趣味があった。
 自室を出て、二つ隣の部屋へ。小さめのカンバスとイーゼル、ごてごてと絵の具が張り付いたパレット。手で持つところが変色している絵筆。
 そう。ケイトクは油彩をやっていた。
 だがこの部屋のありさまを見て、ここがケイトクのアトリエだと思うものは誰もいないだろう。
 足元には烏の羽、剥製のウサギ、大きな振り子時計に、剣。
 絵を描く道具は、その中に点々と散らっている。発見するのが一苦労だ。
 子供のおもちゃ箱を大きくしたような空間は、びしっと整ったケイトクの自室と豪奢なつくりのこの建物からは、想像もつかない様相をさらしていた。
 ここに初めて足を踏み入れた人間は、ほぼ例外なくこう言うのだ。
『ああ、物置ですか』
 そしてそれに対してケイトクは、必ずこう答えた。
『ええ。そう。物置。大事なものがたくさん置いてあるから、触らないでね』
 そのため、ここをアトリエとして認識している”例外”は、自分の姉と、部屋に入るなり本を読み始めた護衛のゼタと、ジルコーニぐらいだった。
 しかしケイトクはそんなことお構いなしで、手近にある椅子をひっぱって、イーゼルの前に置く。
 座って描く。
 後にはただ、静かな時間のみが存在する空間が完成する。
 目の前にある木箱を写生していたケイトクに、ふとある出来事が思い出された。
 ジルコーニと初めて会った日のことだ。
 あの日もケイトクは絵を書いていたのだ。
 
 
 
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『きみ、だれ?』
 ケイトクは絵を描く手を止めて言った。
 このごろはいろんな人がケイトクに声をかけてくる。
 みんな、ケイトクと友達になりたいのだと言っていた。
 ケイトクは、自分にこんなにもたくさんの友達が出来たことが、嬉しくてたまらなかった。
 そして、この子もそうなんだ、と思った。
 走ってきたらしく、頬が赤かった。
『…ジルコーニ』
『ふうん。じるこーにっていうんだぁ』
『…』
 ジルコーニは俯いた。
『どうしてここにいるの?』
『…わからない』
 ケイトクにはよく意味がわからなかった。きっと、この子はとても頭がいいんだ。大きくなったら、自分もわかるようになるだろう。
 だから、気にしなかった。
 絵の話をした。剣の話をした。ちゃんばらごっこもした。
 あっという間に暗くなった。
『王子ー! 夕食のお時間ですよー!』
『あっ、もうそんな時間なんだ。ジル、ぼく行かなくっちゃ』
『ケイトク、』
『なあに?』
『─────』
 
 
 
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─────あの時、ジルは何て言ったんだっけ。
 霞がかって見えない自分の記憶をたどることをやめにした。