男性化志望者とその友人 22

 その日。雨の中、馬をかなり飛ばして、二、三時間は経過したろうか。
 ゼタ・コーウィッヂは、ようやくバロッケリエール家別荘に到着した。
──―――こういう貴族の別荘って、いつの時代も変わらねえのかな。
 ゼタはそのたたずまいに呆れていた。
 本宅と別荘。豪華さでは、ほぼ同値。こんな馬鹿でかい建物を、一体何に使っていたのかは、大体予想はついた。数々の密談、愛人を囲うため、などなど。
 貴族の裏側が集約されているだろうその場所に、裏側を覗きに行くのだ。
──―――さて。何が見えるやら。
 血色のいい門番に案内され、別荘の中へと進む。まだ幼いが、くりくりと黒い瞳が愛らしいその少年は、ゼタの歩幅に必死にあわせていた。
「いらっしゃいませ」
 色の白いメイドが、さっと現れ、応接間へといざなう。
──―――本宅とは大違いだな。
 むしろ、こちらが本宅と言ったほうが、世間的にもいいのではないだろうか。雇われ人はこれだけのようだが、手入れが行き届いていた。
 応接間のソファに腰掛けたゼタ。メイドは恐らくお茶の準備でもしに行ったのだろう。
 応接室をぐるりと眺め回す。内装、調度品、全てが第一級の仕事だ。
 ただその部屋、いや、屋敷全体から、唯一欠落しているものを挙げるとすれば、それは、現在精神不安にある当主デミアンの面影だった。
「お待たせいたしました。王宮騎士団長様ですね。本日はどのようなご用件でこちらにいらっしゃったのですか?」
 お茶を注ぐメイドは、恭しかった。
「バロッケリエール夫人…言い換えたほうがいいかな。ウリエル・バロッケリエール婦人にお会いして、少々伺いたいことが…」
「お呼びになりまして?」
 応接間のドアを開けたのが、ウリエルその人だった。
 明るい茶色の髪で長身。どちらかというと太いほうだが体のラインは、年齢の割には美しく整っていた。そして黒い瞳は、何かの憂いを称えるに軽く伏せられていた。
「下がって」
 メイドをドアの外へ追いやる。部屋にはゼタとウリエルだけだ。
「どのようなことをお伺いになりたいのです?」
 まだあまり考えていなかった。とりあえずここからにしようと、ゼタはお決まりの質問からはじめた。
「…デミアン氏と別居なさったのは、いつ頃からです?」
「そうね。もう三年…もっとかしら。それが何か?」
「いえ。デミアン氏のほうへも伺わてせいただきましたが、このお屋敷とずいぶん印象が違っていましたから」
「ここは屋敷じゃないわ。ただの別荘。あの人のことだから、どうせ埃まみれだったのでしょう。最近は使用人にあたりちらしてるようだし」
 ウリエルは口元をかくして笑っていた。
「そのようですね。あちらの使用人は、かなりやつれていました。こちらは…しっかりなさってますね。門番の少年といい、メイドといい」
「ふふ。そうですか?」
 ゼタは手元にあるクッキーをほおばった。予想に違わず、美味かった。
「何せデミアン氏があの調子ですから。あれだけやれば使用人たちも離れますよ。私が見たところ、もう門番とメイド一人しか残ってない」
「まあ…」
 始終ウリエルはこの調子だった。表情を見る限り、どう考えても『いい奥さん』であり、別居の非はデミアンにあるように思えた。
 ウリエルから聞き出せた話を集約すると、こうである。
 まず、デミアンと愛人の関係は、いつ始まったのか良く分からないし、その愛人とやらの顔も知らないが、自分が別居した理由はそれを含めてデミアンとは性格が合わない、と判断したからである。
 愛人がいなくなったことについては、デミアン個人の問題であり、ウリエルは全く関知していない。三年以上別居しているのだから、当然であろう。
 息子が隣国に旅行中であること、それも一月という長期にわたっていることは、知っていた。ただ、その息子も、出発前にここに一泊しており、これといっておかしな話は聞いていない。
 そして最後に、国王と少年兵の熱愛騒動については、噂は知っているが、それ以上ではない。元々デミアンが政治に関して行っていたとこについては、全くノータッチだから、たとえ同居していて、なおかつデミアンが何かやっていたとしても、知る由もない。
「そうですか…」
 雨音が少しずつ遠ざかっていく。
「では、そろそろお暇しましょうか。私が聞きたかったのはそれぐらいですから」
「せっかくいらっしゃったのだから、もう少しゆっくりしていけばよろしいわ」
 ウリエルは立ち上がろうとするゼタを制した。
 南向きに作られた窓から、さっと光が差し込む。雨は完全に止んだ。
「…あ~っと…」
 これ以上いても何もすることはないし、家に帰れるチャンスを逃したくなかったゼタは、すぐにでも帰ろうとした。しかし。
 その時、ゼタは横から雨上がりの光を受けるウリエルと目が合った。
「もう少し、馬を休ませてあげてはいかが?」
 その瞳は、空の青だった。
──―――まさか。
 ゼタの表情から何か読み取ったウリエルは、戦慄したような表情を浮かべていた。
 この瞬間、ゼタの脳裏に、ケイトクが浮かべたのと全く同じ筋書きが作り上げられた。