カラス元帥とその妻 17

 『アカエなら絶対そんな台詞は言わない』っていうのは、惚気じゃなくって厭味じゃん。
 なんか聞き損。
「…どうかなさいましたか?」
「いいえ別に」
 いいかげんニヤニヤしたその面どうにかしろっての。
「お互いがその様子じゃあ、大変でしょうね」
「まあ、ね」
 はああ、そろそろ帰ろうかな。八時か。ちょっとまだ早い気もするけど、ばれないうちに帰っておくが吉ね。
 ん? 気のせいかしら。早馬の音がする。
 しかも…近づいてる? あれ? ちょっとここに近すぎないかしら、この音。
 えっ!? ドアの前で止まった!
 思わず振り返る。
 人の足音。聞き覚えがある。このリズム、強弱のつき方。まさか…
 ガチャンッ
「あ、あなた!」
 何で!? 何で今日に限って帰りが早いの?
 言い訳も出てこない。
「…よかった」
 初めてカラスさんの表情に気づいた。怯えたような目。こっちが何か言おうものなら速攻で泣き出しそうだった顔が、一気に弛緩して、頬が上気する。
 カッカッカッ
 カラスさんのブーツの音が店中に響く。
「帰るぞ」
「え? あ、あぁ……うわっ!」
 帰るのは分かったわ。でもだからっていきなり持ち上げるのはないと思わない?
 それも、お姫様抱っことかじゃなくって、よく小麦の大袋なんかを持つときに肩の上に担ぐでしょう? あれ。あれよ。
 私は荷物じゃないっ!
「ちょっとあなたっ! 下ろしてください!」
 カラスさんの背中をグーで叩いているのだが、カラスさんはすたすた店を出る。
「あなt」
 馬の背中に乗せられたとき、カラスさんは私を睨みつけた。
 辺りはすっかり暗くなっている。
「今何時だと思ってるんだ」
「まだ八時じゃない」
 カラスさんが眉間に皺を寄せる。そして、目を見開いた。
「時計、見せてみろ」
 カラスさんは私が取り出した懐中時計を見る。
「…そういうことか」
 何が? と私が言い切る前に、彼も騎乗する。
 カラスさんが後ろにいる。私の前に彼の腕が回って、手綱を引いていた。私もつかまる。
 馬はゆっくりと前進する。
「あの…」
「マイケルが時計をいじったんだ」
「え?」
「発案はグレイだな。お前の行き先を聞いたら、『さあ…それが二時間ほど前に星を見るのもいいわねとおっしゃって庭へ…』とぬかしていた。マイケルが器用なのは知っているだろう? 実際の時間は、俺が家を出たときもう十一時を軽く過ぎていた。」
「ええっ! 嘘…」
 道理で時間が進まないなと思ったわけだ。事実遅くなってたんだ。でも何でそんな使用人雇ってるの? あなた。
「くそっ…」
 この人でも悪態つくんだ。
「今度から、出かけるときは一言言ってくれ。心臓がいくつあっても足りん」
 聞きたくなった。
「どうして?」
 カラスさんが少し息を呑むのが分かる。
 彼は馬を止めて、手綱を手放す。
 彼の両腕は私の腰にまわされていて、彼の顔は私の左肩にくっついていた。
 空には星。そしてわずかに赤みがかった月がある。
 数秒だったのか、数分だったのかよく分からない。
「…帰りましょ」
 カラスさんが私の後ろでなんだか慌てているのが面白かったり。えへへ。
 家に帰ってから、二人は別々にマイケルとグレイに小言を言った。
 カラスさんはどうか知らないけど、私は『ありがとう』も付け加えておいた。
 酒場にはまた行くわ。飲むの好きだし。