わからない。まったく、わからない。
ドルが持ってきた本を読んでいるのだが、全く意味がわからない。
私に理解できたのは、この論文が有名な昔話『魔女バーギリアとおかしな森』に関するものであることと、その中に出てくる森の悪魔について語ってあるらしいということだけだった。
一応通読できたのだが、明日ドルになんと言うべきだろうか。読んだには読んだのだから、何も問題ないと思うのだが、いかんせん心配だ。
もしかして、同世代の女の子たちには、これぐらい読めてあたりまえなのだろうか? いまいち一般女子の平均が分からないので、困ってしまう。
もしそうなら、今までの家庭教師たちは一体なんだったのだろう。
ただ、私に対してあんなにぞんざいだったのに、悪い気はしなかった。
いや、そもそもあんな口の利き方をしたのはドルだけではなかろうか。
私はベッドで仰向けになり、本を放り投げた。シーツがくしゃっとなるのが分かる。
こんなにもやもやしているから絶対に眠れない、と思っていたのに、よく眠れた。
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翌日、彼は何事もなくやってきた。
どうやらドルは、召使たちには丁寧な紳士のままで通すつもりのようだ。
現にメイドには恭しく挨拶しており、彼女はドルを見つめてぽーっとさせていた。
しかし、私の部屋に入り、ドアを閉めると豹変した。
「さて、今日は何して時間つぶそっかな~」
昨日と同じようにネクタイを緩め、ベッドに腰掛ける。
そんなドルを、勉強机の椅子に座って見下ろす私。
でも、立場は彼が上なのだ。
「ほんっとにやる気無いね」
「うん。だって君が箒について何も知らないとなると、ここにいる理由ないからさ。可愛い子がいたらつまみ食いして、首になったら万々歳ッてこと」
おいおい。
「で、いたの? 可愛い子」
「うーん、レベルは高いけど、いまひとつビビッとこないんだよね~」
ほとんど家にこもりきりの私には、誰が美人で誰がそうでないかと語る権利などないのかもしれないが、多分ここのメイドは顔がいい。
「そう」
ドルはじっとこちらを見つめていた。
「君、他人に興味ないんだね」
「そんなことない」
即答してはみた。とりあえず。でも、図星かもしれない。
「ふふ。おもしろいな~、デイジーお嬢様は」
背筋がむずがゆくなる。デイジーとお嬢様を合わせると、こんなに気持ち悪いのか。それとも、こいつがそう呼ぶと気持ち悪いのか。後者が当たっている気がする。いや、絶対そうだ。
「その呼び方、やめて」
「え~、いいじゃない」
心底がっかりしたと、ドルの顔が物語る。でも嫌なものはイヤ。
「じゃあ、何て呼べばいいのさ」
「そうね…」
思い浮かばない。
──―――お嬢様? デイジーちゃん? う゛ーん…
「何もないなら、デイジーで呼び捨てにするよ」
「え? それは…」
ちょっとイヤだ。
「でも、思いつかないんでしょ? じゃ、これで決定! OK?」
「ん…と…」
「あきらめ悪いと嫌われるよー」
「誰に、よ」
「僕に」
「別にいいわよ、嫌われても」
「ホントに? 僕しつこいよ」
一瞬ドルがものすごくねちねちと嫌がらせをするところを思い浮かべてしまった。しかも、ものすごくはまっている。
私の嫌そうな顔を見て、ドルは立ち上がった。
「うん、嫌そうな顔はいいね」
「は?」
にへらーっとする彼。一体何を考えているのだろう。
「いや、こっちの話」
そう言うと、彼は昨日と同じように、おもむろに本を取り出した。
今回は学術書じゃなくて、教科書らしきものだった。
「じゃ、ここ、次までに読んでおいてね」
その日またしてもドルはそんな感じで。
よって勉強した気には全くならず。
そして、私もいつのまにか、昨日の本を読んだことを報告することを忘れ。
だから、箒のことを聞けなかった。