ダイニングにそっと置いた本はその日の夜ではなく翌朝、なくなっていることが確認できた。
その翌日も、翌々日も、何もなかった。
そして何事もなかったかのように、四日目の朝、ダイニングの同じ場所に戻ってきた。
本は。
ベータは多少挙動不審になっている。
「ちょっと、お皿」
「あ、う、ゥン」
うん?
あまり聞かないベータの返事の仕方と、ほとんど目が合わないこの状況。そそくさと店のほうにいなくなる。
どーしたどーしたと問いただそうとも何も出ずだろうこと予想済み。
とりあえず放置というベーシックプランで行くことにしたフォニーは、草むしりしつくし掛けた庭の、山盛りのごみを眺める。
これ、どうすんだろう。
魔界ではゴミ捨て場に放り投げて置くと勝手に蒸発していったり、誰かが持って行ったり、新しく魔物が生まれたりするが、人間界ではどうしようもないのではないか。
「ちわーす…っえええええ!!!????」
フォニーの思索を遮ったその声の主のほうを振り向くと、でっぷりと太った何か…いや、失礼、人間だ。
無防備にしっぽと耳を晒すフォニーを見てちゃんとびっくりしているのだから、内面的にもふつーの人間であることも評価UP。
クレアさんといいこの人といい、あんな変人の脇を固めるのが思いのほか真人間なのはどういう理屈なんだか。
びっくりされることに慣れたフォニーは平静そのもので、そんな状況の中、ふつーじゃないの代名詞たるベータは、フツーの顔をしてやってきて、デブい男に、
「どうした」
「どうしたって、魔族魔族!! サキュバしゅ!」
「噛むほど焦ることではなかろう」
いやいやいやいやと全力でかぶりを振っている。フォニーもデブい男に大賛成ではあるのだが、
「色々あんのよ」
「そうだな。で、お前、来たということは出来たのか」
「え? ええ? 本題にはいれと。あー…じゃー、はい。コレ」
ごそごそと鞄をまさぐって取り出した包みを受け取ったベータ。
「回収、多少ならコイツを使ってかまわない」
フォニーを指さしている。顔をこちらに向ける気は全くなく、常日頃以上のぞんざいさに、
「あたし物じゃないんだけど」
返事もせずさっさと屋内に引っ込んでいくベータ。
残されたフォニーと男はお互い恐る恐る顔を見合わせる。
「ええ、と、フォニーさん?」
「ん?」
客の秘密を無視する覚悟を決めたのだろう。男は、
「そこのごみ、持ってくからちょっとどいてくれ」
「何にもしなくていい?」
チラリとフォニーの胸元と太ももを眺めた後、
「いい。このちっちゃいごみ山、ヤバいから」
「あら、よく知ってんじゃないの」
しゃがみこんでちょっとだけ上のほうを棒でつついてわきによけると、ゴミ山の中からモワっとした玉虫色の湯気が立ち上る。
聞こえたのは『またレベチかよ』の小声。
背中にしょった大きなリュックから色々詰まった道具を取り出す。ゴミ山に濃い緑色の布何枚か広がるようにばらまくと、その上バラバラと何かの粉を振った。
シュンシュンとお湯が沸くような音がゴミ山から聞こえてくる。男はさらに深いため息をついて、さらに背中にしょったシャベルをおもむろに降ろし、ゴミ山の周りに縁取りしていく。
もっと大きな緑の布を取り出し、ゴミ山全体を覆うと、縁取りしたところをぐるりと粉——ここにきて黄色の粉だとわかる——で線を引いていった。
はあ、とため息。
しゃがみこんだ。何をするのかと思ったら、おもむろに鞄から水筒とパンを取り出して一服している。
「何してんの?」
「待ち」
男の隣に座ると、
「いいの?」
と言いながら家の中を見やっている。だれを指しているか分かった。
「ベータならいいのよ」
腑に落ちない顔をしながら、男は、
「しかしこんなやばいゴミ毎回量産するのはあの人だけよな」
「そんなに?」
「うん。あの人自身で処理の仕方覚えたらできる気がするんだけど、何でかね~…めんどくさがってやらんの。
コッチとしちゃ商売でも結構コレぎりぎりなんよぎりぎり。危険度的にも採算的にもさ」
ぎりぎり、のところで自分の首を絞めるジェスチャーをする男。
「ま、おつかれ」
「金のため、他人事?」
フォニーにニヤニヤする男がむかつく。性欲の何かが出ていたらコイツも襲っていもいいのだが、すっきり何もない。
「ざんねん。自分性欲ないから」
考えを読んで回答されたことに舌打ちしたフォニー。たまにいるのだ、性欲のない人間というのが。
喋るのが面倒になって黙っていると、
「フォニーさん、だっけ。何でここにいるわけ」
「色々あんのよっつったわよね」
「うん。きーた。でもさ。なんかこう、使い魔とかでもないんでしょ。見た感じそーいうんだと思ってさ」
ぷよぷよと脇腹を掻きむしり、手についたパンくずを払い落した男にここまでのあらすじを説明。
この説明を何人にしたらいいんだろうと辟易していたところに、
「りょーかい。まあいーや」
「じゃあ聞くなよ」
「昼飯時の暇つぶしが欲しかったんよ」
といって立ち上がると、熊の皮ででもつくったのかという分厚い割烹着のようなものを来て、さらに軍手を付けてゴミを向こうのほうに止めているリアカーに載せていった。
「魔法でやってもらえばいいのに」
呟くフォニーに、
「あのね、混ざってて時間たっててそのままでもヤバいやつなの。闇雲に魔力ぶっかけたらどーなると思ぅう~?」
叫びながらリアカーとゴミ山の往復をする男。
すっきりするのに3時間は掛かったろう。ずっと見ていても飽きないぐらい、ゴミ山からは雑多な生活と実験のあとが垣間見える。
動物の骨、草花、木の板、石、布、泥団子、服のようなものも?
バラバラと灰のような物とともに、わずかに出てくる玉虫色の煙がリアカーとゴミ山の間に帯のように連なる。
一通り山が消えたあと、また男は無言でゆっくりと着席し、帯の様子を眺めていた。
フォニーも無言である。
なくなるとすっきりしたものだが、
「これ、どのくらい持つの?」
「半年」
長いのか短いのかも分からずに固まっていたところに、ベータが現れた。
金属製のアイウェアをかけ、手には包み。金だろう。
「ご苦労」
「まだもうちょっとかかりますわ。魔力消えてないんで」
リアカーのほうからふんわり出ている玉虫色の帯を見て、ベータも納得したようだった。
そして自身の眼鏡を指さし、
「前のよりよくなった」
「ええ、鼻当て改良しました。魔法陣は後で書いてください」
眼鏡をはずすとその下に、布が巻いてある。フォニーは見慣れていたが、男は目いっぱい吹き出した。
「代わりそれだったんすかww」
あはははは! という大きな笑い声にため息をつくベータ。
—————笑われるような出来栄えだって自覚、あったのか…。
だったら最初に大笑いしておけばよかったと、心から後悔したフォニーだった。