「話ついたから」
帰ってきて開口一番そういうと、そのまま階段を上っていくコーウィッヂ。
ユンが用意していた休息用のお茶菓子はまるっと無駄になった。
「ユンさん! ジー、どうだった?」
手すりから身を乗り出すコーウィッヂに、
「普段と別に変りなさそうでしたけどー」
「ん!」
駆け上がっていく。書斎にこもるのだろう。
ユンが水差しとコップを持って行った時、ジーは部屋の中で道具の手入れをしているところだった。
普通に仕事をこなしているように見え、念のため大丈夫か声をかけたが、やはりいつも通り頷くだけ。
コーウィッヂが言うほど何かおかしいようには思えないユンだが、言われるがまま病人向けのあれこれを支度する。
夕食は普通にみんなで。
パン、とコーウィッヂが手をたたくと、
「ジーの調子があんまりよくないです」
言われたジーは肩をすくめている。
内容のわりに雰囲気が軽すぎだ。
「というわけで、業者との文書のやり取りで複雑なのは僕が。
定期的な購入はユンさん、よろしく。
週一でデューイに植木の選定と御者その他力仕事の類を最低限まとめてやってもらうように手配しました。
メイちゃんの世話はユンさん、てことで」
「かしこまりました」
ジーはうなづいているのかうなだれているのかよくわからない風になっていた。
そのまま夕食は解散し、調理場に入ると、ジーも入ってきた。
「いるものあります?」
普通に仕事のつもりで声をかけると、ジーは指をさし、そのまま壁にかかっているエプロンを手に取って丸めた。
前はジーが料理もやっていたが、ユンへの引継ぎはとっくの昔に終わっている。
ユンが不調でジーが代打を打つこともあるかもしれないが、やっぱり今の調理場はユンの庭のようなもの。
ジーのエプロンは実のところ、ただなんとなくそのままぶら下がったままになっていた。
「それ、洗濯してないですよ!」
ジーは首を横に振って、エプロンを持ってそのまま立ち去った。
ユンは首をかしげつつ片付けを終え、明日の朝食の支度をすると、何事もなかった日と同じく調理場をあとにする。
ジーはすでに上階に戻ったようだった。
みどりちゃんもコビもシロヒゲも自分の居場所に戻っている。
本日の業務終了。
夕食の話が嘘のような平静。
ユンが部屋に戻っても、みどりちゃんのペタペタ音が聞こえるだけ。
コーウィッヂが起きだしたりしてもきっと無音なんじゃないかと思うから気づかないだろうし、ジーに何かあってもあの様子だと一人で何とかする感じだろう。
だとしたらやっぱり、
—————ただの風邪じゃないのかなぁ。
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ジーの様子はそれから1週間、特に変わったことはないように見えた。
週末にデューイがやってきたときは手元にメモを書いて何か指示している様子で、すぐに問題なくなった。
今日はベータが来る日。
準備をしているとタイミングよく領主館の入り口でノックの音がする。
「は~い」
勢いよくドアを開けると、立っていたのはコーウィッヂで、
「いきなり開けるのは不用心だよ」
「…すみません」
ポンとユンの肩をたたいて通り過ぎる。
「お茶の支度はできています」
「うん。今そこですれ違って、あいつ小屋に直行してるから。
色々済んだら戻ってくるって。
でも休憩はちょっと後かな」
日帰りだから時間の短縮もあるのかもしれない。
それにしてもコーウィッヂはベータのことを信頼しているようだ。
ユンはいまだあの小屋には一人で行ったことがないが、ベータは小屋の鍵まで渡されている。
小屋の中に護符なんかもあるから、素人が一人で入って何かあってはということかもしれない。
でもジーだって一人で入っていたわけだから…。
多少不思議に思っているところに、無言で領主館の入り口をくぐってきたのはそのベータ。
「こっち」
「ん」
阿吽の呼吸でそのままジーが作業している道具部屋へ。
薬草や治癒魔法が必要なのかもしれない。
でもユンにコーウィッヂから、ジー向けの食べ物は普段通りでいいと聞いていた。
病人向けの療養食にするのが普通じゃないのかと思ったのでちょっと強めに食い下がったのだが『いいから』の一点張り。
コーウィッヂがなんとも苦しそうだったので、それ以上追及できなかった。
結局そのまま夕方、ちょっとお茶で喉を潤す程度で、ベータはそのまま帰ることにしたようだ。
ほぼ誰も手を付けず、山になったトレーのお茶菓子はまたしても役目を果たせず残念そうにユンの目に飛び込んできていた。
「すまん」
「いや、ありがとう」
ベータが立ち去った後、コーウィッヂは深いため息をついた。
その肩ががっくりと落ちる。
「あっ、ごめん、お茶にしようか」
もう5時近い。
「私はどちらでもいいですよ」
コーウィッヂがちょっと迷っているようだったが、
「僕が一服したほうがいい気がするから」
ユンを置き去りにしてコーウィッヂはダイニングに向かった。
足早なコーウィッヂを、ユンはユンは居ても立っても居られない気持ちで追う。
コーウィッヂは自分の定位置に座ると、そのまま机に肘をついて両手を組み、そこに額を預けた。
ユンがティーセットをもってダイニングに入っても、紅茶をカップに注いでも、その姿勢は崩れることなくそのまま。
「コーウィッヂ様」
「…っあ…ごめん」
コーウィッヂの視線は一瞬だけユンの視線と交わったが、すぐにティーカップの紅茶の水面に移った。
そのままジッとして動かない。
ユンはただただ怖くなっていった。
そして自分の分の紅茶をカップに注ぐのも忘れ、立ち尽くして震えながら口にした。
「ジーさんは…」
言葉を続けられない。
コーウィッヂはユンのほうを見ることなく、その首を縦に振った。
その定まらない視線が、ティーカップの水面に映し出されていた。