ドラッグストアへようこそ 45

「そっちは? え!? まだ届いてない?」
「道が」
「マジか!! 酒足りねぇぞ!」
「キッチンスペース設置完了です」
「火は? 燃料」
「こっち」
 怒声のような指示が飛び交う中、裏庭周辺を中心に、当日の午前中から準備は進められた。
 マンドラゴラ八〇が数本、端のほうにあるらしいが、荷馬車単位でワインがあるのでそのうちごっちゃになってしまうのではないか。
 そこらへんの草かのように敷物の上に何個か山盛りになっているのは魔界の薬草類。
 毒消しに使うらしいのだが、一体何をそんなに消さないといけないのか。
 デミタスはある足を全て使って指揮をとっている。マルタンは魔王の誘導予定。
 ベータはといえば、おおむねの仕掛けを昨晩し終わり、今は今晩の完徹に備えて仮眠中。もう少ししたら起きてくるはず。
 だからフォニーのほうで室内は予定通り全て滞りなく。
 掃除よし、テーブルよし、台所よし。
 いっそ宴会会場を別の空間とかにしちゃだめなのかと思ってしまうが、ベータ曰くこの家でやるのがマストなのだそうだ。
 めんど…いや、そのセリフは飲み込もう。
 料理の準備のかぐわしい魔界の調味料の香。でも、魔王が来る時間になったら一度全部このにおいも含めて消して、宴会場ではないかのようにする。
 手の込んだ準備に加え、国軍の兵士と魔族という一触即発の面々が一同に会していることもあり、辺りの物々しさはひとしお。
 準備が済んだフォニーは待機しておき、もう少ししたら、
「準備はどうだ」
 ベータが階下に降りてきた足音にも気づけておらず、慌てて振り返ると、ベータそのまま近寄ってきた。
 フォニーのびっくりした顔をしげしげ眺め、
「びっくりした、と顔に書いてある」
 真顔なので真に受けてしまいそうだが、ベータなりの冗談なのだろう。
 スープだけ冷たいまま胃に流し込み、店から表に出ていく後ろ姿がどことなく頼もしいのだが、この後待ち受けているイベントが飲み会に過ぎないことがなんとも不思議ではある。
 親が来る宴席がこんなビッグイベントになってしまうベータに、本当の意味での平穏な暮らしはあり得るのだろうか。
 ばっちいローブが翻り終わって、誰かと話をしている様子から、表が多少来客受け入れモードに切り替わろうとしているようだと察し。
 フォニーはここまでの準備で汚れた服を着替えて部屋の隅に畳んで重ねた。
 いよいよ始まるのかと思いながら、手持ちの服の中からチョイスしたきちんと感MAXコーデを装着。シャツと足さばき良さげなスカートにエプロンがいかにもウエイトレス。
 ちょっと上に飛んでみて、また降りてみて。
 全体の配置を見るために窓からすり抜けて屋根に上ると、王宮魔法使いが最後の仕上げの結界を敷いているところだった。
 薄紫色のベールのようなものが上空の一点から放射上に広がり、辺りに覆いかぶさると、そのまま消えていき。
 その様を見届けた王宮魔法使いはフォニーに向かって、
「どうした暇人」
「暇人じゃねーし」
 王宮魔法使いは聞きとげたのかどうかもわからないタイミングで、弟子の声がする下のほうに飛び降りた。
 着地し、弟子とデミタスのところに歩いていくと、何か話しはじめ。
 その向こうを見ると、ベータも作業を終えたのか、マルタンのほうに向かい、そのまま家の中に入っていった。
 もう時間は夕方近く。
 撤収もほぼ終え、後は待つだけとなっているよう。
 微妙な手持無沙汰のまま、家の中に戻ると、ベータがフォニーに栄養ドリンクを差し出している。
 受け取ると、無言のままダイニングテーブルの椅子を斜めにずらし、肩肘をテーブルに置いた状態で一気飲みした。
 ベータも似たような角度に腰かけ、裏庭の入り口を見ている。
 徐々に外が静かになってくるので余計に本番感が煽られる。
 日が翳り、夕日で辺りがオレンジ色になってきた。
 ベータが早々にランプに火をともすと、夕日に溶け込む温かな光が部屋を満たした。
 その両方が、意外と堀の深いベータの鼻筋に陰を作っている。
—————この顔にもうちょっと肉あったらなぁ。
 しかし思い出してもまともに肉や魚を食べているところを見たことがない。豆ならスープに入っていた記憶だが。
 偏食によってこの血色の悪い顔とパサついて広がる髪が出来上がり、無精によってそれらに油がプラスされてなんとも不潔ないつものベータが出来上がるわけか。
 今日は親が来るので、昨日のうちに水浴びに行っていた成果としてベータの髪も横顔もサッパリしていた。
 そこは気にするんだと、面白がっていたものの、今となってはまあわかる。
 親がなにせ魔王なのだ。ちょっとダメ出しレベルの軽い攻撃で、常人なら三回死ねることだろう。
 実の子供だし、魔族でないことは分かっていて手加減するだろうが、元が桁違いの生命体の手加減。フォニーVSベータと同じく、ベータVS魔王というわけで。
 仰々しくなるのか、どうか。
 慇懃な感じなのか。
「お前、さっきから何だ?」
「へ?」
「他人の顔をジロジロと」
 考えながらずっとベータの顔を凝視していたらしい。
「いや、何も」
「…そうか」
 この前から、この『そうか』が多い気がする。理由を聞きたくはないのだろうか。
 フォニーはほんのわずかに自分の感情が波立つのを感じたものの、すぐにそれは消えた。
 窓の外はオレンジ色から、紫色に変化していく。
 ほぼ四六時中暗闇が続く魔界の風景とは違うそれは、ここに住み始めてからフォニーの目になじむ風景になり始めていた。
 魔王にうまく取り入れるかどうかという、一世一代のビッグチャンスを逃さないようにしたい。
 だがその一方で、上手くいかないことも考えておかないといけないだろう。
 そうしたら、フォニーがこの世を去る。今まさにフォニーの目の前にある風景——ベータが座っていて向こう側に夕日が沈む——がフォニーからなくなるわけだ。
 体の芯から冷えるような寒気の理由をフォニーの心からすっかり瞬時に洗い流したのは、同じく今の風景と、こちらを向いたベータの、
「いい加減にしないと心を読むぞ」
「へい」
 ぞんざいな返事とともに栄養ドリンクの瓶を洗ってさかさまにしていると、
「その瓶、すぐにしまえよ。酒を先に飲んだと思われる」
「えー…そんなとこまで」
「おもてなしするんだろう」
 空き瓶を仕舞い、また戻ってきて、腰を掛けようとしたその時。
 ズゥン…
 辺り一帯に、普段感じたことのない圧力がいきわたる。
 我知らずテーブルに両手をついたフォニー。
 ベータは冷静に椅子を仕舞った。
 その圧力はすぐに消えた。
 というより、圧力が辺り一面に拡散され、空気になったような感覚。
 表で声がする。
 ウウゥン…
 今度は軽く浮かび上がりそうな感覚になるが、それも先ほどと同じようにすぐ拡散して。
 ベータはカツカツと音を立てて店に歩き出しながら、
「コップに水を。始まるぞ」
 立ち上がり、事前に聞いていた手筈で人数分のコップを出した。
 表から声が聞こえる。耳慣れない響く声は、どこかベータの声に似ているようで。
 ベータが店のドアを開けると、再びズシリと圧力を感じる。
 もうその主はわかっていた。
「父上、お久しぶりです」