ドラッグストアへようこそ 38

「どうだ」
 裏口から出てきたマルタンが、蛸怪人の様子をうかがっている。
 すると、ぷにょにょっと少しずつ、一本だけちぎれた足の先が再生してきた。
 裏口の奥で何かが跳ねる音がすると、ほどなくちぎれた足が飛んできた。
 切断面と近隣ごと切れ目が飲み込み、足がくっついていく。
 分裂していた腕が人の形に集約され、足も元に戻り。なんなら一本追加で生え。
 服はもう面倒だったのかズボンがびりびりに破れたままになっているが、両足で立っていて特に問題ない状態。
 恐る恐る立ち上がった蛸怪人。四角い枠はだいぶ薄くなっていた。口元は元々の疲れからチューの感じだったが、それすら消えてきた。
 よくよく見ると頭が全体的に丸っこくて長くて大きめだけど、人間界的にも悪くない顔に仕上がっている。
「あれ、足一本増えて…よっ、と、よっ…」
 ほぼ完全に人間の見た目に戻ると、辺りに染み込んだ磯の香&今更ながらドアの枠から漂う何かが焼けた香ばしさだけが蛸がいたことの証拠になっていた。
 ベータはほっと胸をなでおろしている。
 だれも口火を切らない中、静寂を打ち破ったのはマルタンだった。
「あれほど事前に言ったであろう。家には近づくな、と」
「さーせん」
「どゆこと? 前アタシがあのダイニング下の通気口開けた時は、なんともなかった」
 マルタンが目を丸くした。
「開けた!? 勝手に!?? 居候のくせになんという」
 すっとベータが手を前に出す。
「良い。それで死んでもコイツの自業自得だ」
 マルタンは感銘を受けた様子で、おぉ…なんと寛大な…とか呟きながら震えている。
「事実をそのまま言ってるだけでしょ。褒めるようなこっちゃないわ」
 ベータはフォニーを見ながらあきれた様子だった。フォニーは怯まず、
「で?」
「…入り口のドアを開けなければ特に問題ない。今回は通気口とドアの両方が開いたからな。
 魔界の空気が人間界の空気を取り込もうとしたのだ」
「換気、良すぎない?」
「いや、これ位で丁度良い」
「いやいや、ダメでしょ。コイツ、あわや焼きダコよ」
 思い切り蛸魔人を指さすと、当人は、
「ちっ、ちが…わないな」
 否定しようがなく、しょんぼりと顔の火傷を触った。
「家が持ちこたえられるように色々施しているからどうしても熱を持ってしまうのだ」
「…そうなの?」
 フォニーはマルタンにもエビデンスを求めたが、神妙な顔をしている。
「根幹のところまでは理解できていないのだがな」
 魔界の限りなくトップ層・マルタンでわからないような複雑怪奇なことをしているのか、この家は。
 マルタンは気を取り直してキリリとし、蛸魔人に、
「だからこそ、家には近づくなと言っていたのだ」
「…なんか懐かしい雰囲気がなんとな~くそこの裏口あたりからこう…なんだろうと思って…」
「あ~、魔界の空気ね」
 あの通気口を初めて開けた時にフォニーも感じた。
 フォニーと比べてホームシックには早すぎるぐらい直近に魔界から出てきた蛸魔人でも惹かれてしまうものなのか。
「考えなしに近づいちゃう辺りお馬鹿。ププッ」
 鼻で笑うと、
「馬と鹿なんぞと一緒にするんじゃない!」
 蛸魔人の説得力ゼロの顔面の四角いやけどは嫌でも目に入る。
 これが魔界でも上の方の強いやつなのも残念。魔力馬鹿の蛸なのだろう。
「他にも何が起こるか分からない。当日はちょっとしたうっぷん晴らしで出会い頭に暴力に訴えかける…そんな事態も全く不思議ではないのだぞ」
 フォニーが指摘した蛸魔人説得力ない件をマルタンが補強したことにより、蛸魔人はしょげていた。
 その様子を見ていたのかどうかは知らないが、ベータはいきなり、
「俺が息子だと知っているのは何人いる」
「虎の魔人ゴーゴルとこのデミタスの二人意外は居ません。魔王がこの小部屋で宴会を開くとだけ」
 デミタスは先ほどよりしっとり艶やかな蛸らしい顔色に戻ってきたため、落ち着いて聞いている。
「分かった」
「デミタス、向こうを見て来い」
「ウィー」
 暇を出されたデミタスはイキイキしていたが、向こうから怪音が減ってきているのでもう撤収も終わりそうなんだろう。
「当日は二週間後でしたな」
「ええ。酒の手配も含めて…」
 ずーっとこんな感じで、自然と歩き出しフォニーから離れていくベータとマルタン。
 その後からついていったところでフォニーにはやることがないから、取り急ぎ裏口を閉めようとすると、
「もうあと三十分は開けたままにしておけ」
 ドアノブから手を放す。冷たい感じはなかったが、わざわざハンカチまでスタンバイした自分は馬鹿みたいだ。
 馬と鹿。蝙蝠系として、蛸魔人みたいにあいつらと同じ枠では括られたくない。
 苛立ちとともにフォニーは、バカみたいなのは自分ではなくこのイベントではないかと思い始めていた。
 大体、いくら魔王たっての願いだからといって、たかだか飲み会ごときだ。
 亡き妻の暮らした家で息子と酒を酌み交わしたい等というわがままのためにこんな大がかりにする必要あるのか。
 魔王に取り入ったらいいことあるかもとやる気を出していたが、元々飽き性のフォニー。
 嫌気がさし始めるととことん嫌になってきた。
—————めんどくせ。
 向こうは片付いたらしく、夜風にあたってぶらぶらしていたところにベータが戻ってきた。
 フォニーに一瞥をくれると、そのまま屋内に入っていく。
 フォニーがリハーサルでやることは多くない。当日は今日色々来た人と酒・料理の受け渡し係。いわゆるウエイター役だからだ。
 ベータももちろんそれが分かっていて、だからこの対応なのだが。
「ちょっとひどくない?」
 呟いた。
 ベータは聞いているのだろうか。
 裏口のドアの前から、
「入れ」
 カチンときた。何故命令されないといけないのか。
 居させていただいている身分だから、ベータの態度は別に間違っていない。だが、だからってその言い方ないんじゃないか。
「入ったらいいんでしょ、入ったら!」
 ベータはフォニーをきょとん顔で見ている。
 普段はベータとフォニー二人のところ、リハーサルも今日も、あの人数生き物がいた。
 ベータはフォニーと違って忙しくしていたし、フォニーの頭の中を覗き見るまで、手が回らなかったのだろう。
 ジットリした目つきでベータを睨みつけると、
「構ってやれなかったのはすまないが、当日はお前のほうこそ殺人的な忙しさになる予定だから」
「そういうんじゃないわよ」
 そうなのか? という顔のベータ。
 フォニー自身も、そうなんだっけ? と思う気持ちが沸いているのが分かっていたから、苛立ちはマックスになった。
「てか、そもそもなんだけどさ、魔王様もなんでそんな飲み会拘るのよ」
 ベータの動きがピタリと止まった。
 が、フォニーはベータの顔を見ずに、栄養ドリンクを取りに棚のほうに歩きながら、
「だって別に魔界にアンタ呼んで飲み会したっていいじゃない。
 魔界の入り口だけ開けといて、窓越しとか、話しながらだって、魔法使ったらできんじゃね?
 現場で対面しないといけないっての変でしょ。
 それに付き合う側も疲れちゃう。まあ、強いからしゃーなしなんだろうけどさ」
 振り返ったとき、ベータの様子が明らかに、
—————怒ってる。