「なるほどねぇ」
魔法使いはあのあとずっとずーっと黙りこくったままなので、フォニーは自分で自分の状況を彼女に説明した。
「マンドラゴラ一〇〇なんて持ってたんですねぇ」
「少々入用でな」
「でも、しょうがないのでは? 瓶が割れたことについて、フォニーさんが一方的に悪いわけでもない気がするのですが」
「副院長、」
ベータに『副院長』、と呼ばれているが、先ほどの自己紹介で女性の名前はクレアということがわかっている。
院長がほとんどいないので、この孤児院の運営は実質クレアに任されているのだそう。院長は金だけ出しているのだろう。
フォニーは薄情な院長だと思うものの、よそのお宅の事情でもあるし、今は自分のことが優先なのでひとしきり話を聞くことに注力していたのだが、
「あのマンドラゴラ一〇〇はいけない」
「ねぇ、あれがマンドラゴラ一〇〇だって確証はどっからくんのよ」
今まで『聞いたよ』『そういうのがあるらしい』『これがそうだって言われて飲んだがただの薬酒だった』みたいな話は沢山耳にした。
だが、『実物を見た』というのは一度も聞いたことがない。
要は実在すら怪しい代物なのだ。
ベータはあの時、『マンドラゴラ一〇〇』と断言した。
「だまされてんじゃないの? あんた」
「それは絶対にない」
まただ。
様子を見たクレアはため息をついて、鼻でベータを笑い、フォニーに同情しつつ窘めた。
「実際にどうかはわからないけど、この人がそう思ってるならそうなんでしょう。
こんな感じなのに能力あるから、それ自体が暴力的で厄介ではあるけど、多分しばらくしたら本当のことが分かってきて、そしたらなんとかなるでしょ。 ね?」
ベータを全く信用していない発言だが、当の本人はそれを訂正しようともしない。
クレアは頭の可笑しいベータにうっかり捕まったドジっ子を大変哀れに思っている模様。
フォニーとしては、ここまで信用されていないベータが哀れに見えてきた。
クレアとベータに何かあったのだろうか?
「お二人、何かあったんですか?」
沈黙。
こりゃ聞いちゃいけなかったな、と思ったところで、部屋のドアをノックする音が聞こえる。
「はいーー」
「クレアせんせ…あ! いんちょうせんせぇ!!」
「いんちょうせんせぇ??」
小声で復唱したフォニーなど物ともせず、
「こんにちは!」
立ち上がったクレアの膝に絡まった子どもは、元気にベータに向かって挨拶した。
ベータは黙って会釈している。
フォニーは理解を追いつかせるために、子どもを見、ベータを見て、思い切りベータの目元を指さし、
「院長先生??」
「そうだ」
沈黙パート2。追いつかせるどころか置いてけぼりの感。
「いんちょうせんせい…」
「そうだ。俺がこの孤児院の院長だ」
「留守がちで全然いない院長先生?」
「ああ」
「なんでそんなことになってんの?」
「俺が建てた孤児院だからだ」
うう、この謎、このまま迷宮入りか?
クレアに助けを求めようと視線を向けると、黙ったまま『院長先生』にじっとりした眼差しを向けている。
部屋の入り口にわらわらと子どもが集まってきているようだった。
自力で迷宮脱出すべく、フォニーは賢者になったつもりでベータに語り掛けた。
「どういういきさつでそうなったの?」
ベータは子どもの声が増す中、落ち着いた様子で顔を伏せて紅茶をすすり、
「元々孤児院を建てたかったから、資金を集めてここをつくった。
さて始めようかと思ってな。色々物や情報を整理していくうちに思い至ったのだ」
紅茶の湯気に充てられて曇った金属製アイウェアの目の絵柄は、まっすぐフォニーに向けられてしばらくすると、すっきりと乾いていき、パチッと明確な線描写でフォニーを見つめた。
「俺は孤児院の先生は向いていない、とな」
「それ、なんで自分で最初から気が付かなかったの?」
孤児院を建てたかったから、という理由の出どころについてはもう触れまい。触れてもろくなものが出てこない気がする。
でもせめて自分が子どもに対して大人役で接するのに向かないことぐらいは、人生のもうちょっと早い段階で気づいてたっていいじゃないか?
「やってみないとわからないだろう」
頷きながら宣言するベータに、フォニーはもうとっくに過ぎてしまっただろうベータの孤児院の院長先生トライ期とその後の紆余曲折を思い浮かべ、自分事でもないのに頭を抱えた。
そして諦めた。
「わかった。で、その後は?」
「ああ。自分でやるのは向いていないから、資金提供だけして、後は人に任せようと思った。
人に聞いたらたまたまこの辺りで孤児院が一つ潰れたということだったので、先生をやっていた今の副院長と子どもたちがそのままここに移り住んだのだ」
偶然要素が多すぎるが、とりわけ聞き捨てならないキーワードが含まれていた。
薬屋稼業のあの様子、普段の魔法使いの身なりや暮らしぶり。
「資金提供って、あんたそんな金あんの?」
「なんとかしている」
「いや、何とかって…それ、どっからどうしてんのよ?
曲がりなりにもさ。子どもも大人もそこそこの人数いるんでしょ?」
「20人ほどの子どもと、大人は4人だな」
結構な人数ではないか。
「食費とかさ、あるでしょ」
「今日のように物資提供もしているのだ」
提供できるものはなんでも、ということか。だが、あんなのスズメの涙ではないか。
「クレアさんとかのお給料とか、お金は? どっから出てきてんのよ」
悪いことでもしない限り無理なんじゃ? まさか…人身売買にでも手を染めているとか?
子どもは高値だというが、魔族でも今時はやらなくなっているというのに。
ベータは一瞬だけ憤るような表情になるものの、わざとらしく咳払いをして、穏やかな様子になり、
「友達から貰った金だ! だからなんの問題もない!」
「さいてい…」
思わずポロリとこぼれ出た。
カツアゲ…ではなく援助してもらっているのだろうが、子どもに聞かせてはいけない最低ワードチョイス。
「おねーさん、大丈夫だよ」
クレアの足元をくぐるようにやってきた少年。入り口でわちゃわちゃしていた子らを止めきれなくなったようだ。
「院長先生は、ちゃんと先生やってるよ。ぼく、すごく勇気づけられたんだ」
突然の可愛い来訪者——フォニーの対象外年齢——。やらしさのかけらも想像させない少年の無邪気な表情に、ベータ疲れしてきたフォニーは癒された。
「どんなこと?」
「ぼく、親に捨てられて、前はお腹が減って、泥棒もやったりして、酷いこともいっぱいあった。
反省いっぱいして、でもこんなことしたやつは生きてたらダメなんだって思ってた。
でも、院長先生はこんなんでも生きてる。
『トモダチからもらったカネ』で自分のやりたいことやって、副院長先生にも他のひとにもこんなに迷惑かけまくって堂々としてるなんて、ぼくにはできない。この人よりは全然大丈夫だって思った。
ぼくなんて全然、ちゃんとしてる。悪いことはしてしまったし、今もおこられたりするけど、院長先生みたいにはなりたくないから、ちょっとずつ直してみんなと仲良くしたい」
そんなふうに思えるようになったのも、院長先生っていう先生がいるおかげだよ、と純粋に続ける少年と、穏やかにその言葉に頷くベータ。
フォニーは『それ反面教師だから!』という飛び出そうな言葉を必死に飲み込んで、自分でもよくわからない笑顔を浮かべて頷いた。