ドラッグストアへようこそ 2

「お前…なんてことをしでかしてくれたんだ」
 瓶の中身は地面の染みになっている。
「な、なによ」
「それはな、マンドラゴラ一〇〇だ」
「え! なんで??」
 噂には聞いたことがある。
 マンドラゴラ一〇〇とは、魔界に伝わる秘薬中の秘薬。
 それを飲むと立ちどころに病気は全快し、よぼよぼでひよひよのジジイでもサバト——酒池肉林で夜通し悪逆の限りを尽くす魔界のイベント、魔力と肝臓と体力の勝負である──ができるようになると言われる。
 とにかく凄い精力ざ…秘薬なのだ。
 お値段も天文学的で、一口飲む量で家が買えるとか。
 ただ、噂話だけで、実際に見たとか飲んだとか言う話は一度も耳にしたことがない。
 その魔界の秘薬が何故、こんな人間の世界の薬屋風情のカウンターにポンとあるのか?
「もう一度言う。マンドラゴラ一〇〇だ。もう今はマンドラゴラ一〇〇だった、だがな」
 黒ローブの男は金属のカバーについた目でガラスの破片を見、フォニーを見た。
 よくよく見ると金属のカバーには幾つか小さな穴が開いていて、前はそこから見えているらしい。
 フォニーは焦った。焦りを出さないようにしていたつもりだったが、
「いや、あの、でもさ…。これ、事故でしょ」
「ふざけて店の棚を触って、破損したのは事故か?」
「ぐ…」
 フォニーには弁償する金などない。
 じゃあもうやることは一つ。
 フォニーは無言で勢いよく踵を返して、自ら入ってきたドアノブに手を掛けた。
 ガチャガチャガチャ
「え、嘘、開かない、なんで!?」
 おかしい。だってさっき男が入ってきたとき、鍵をかける様子はなかったではないか。
 微動だにしない男を振り返り、じゃあ、もうドアを壊すしかないと、魔界に戻るのに使う予定の魔力をかき集め、足に結集させる。
 この店からずらかったら、どこか他所で薬を調達しよう。それで何とかなるんじゃないか。
 思い切りドアを蹴る。
 まあ、なんということでしょー。バーンという音だけは聞こえるものの、フォニーの足が痛いばかりでドアはびくともしないではありませんかぁ…。
 脂汗と寒気。
 ゆっくりと振り返ると、黒ローブの男。
「言っていなかったがな、俺は魔法使いだ」
「アラ、そうなの…?」
 でも、ということは、とフォニーは思っていた。
 並みの魔法使いでは魔族に魔法はかけられない。
 力の方向性が同じ魔力なのだから、上回る力がないといけない。また、繰り返しになるが、サキュバスは魔族の中でも生まれつきの魔力が強い方。
 寒気の正体に気が付き、逃げられないことに気が付いたフォニーは、
「待って、ね、ちょっと落ち着いて」
 ドアを背にするところまで追い詰められ、黒ローブ男改め魔法使いに凝視されている。
「どうにもならんことはわかった。ただ、何か代償になるものはないか?」
 脂ぎった黒い髪に土気色でこけた頬、異臭が漂う男の体が近寄ってくる。
「なな、ない、ないわよ、んなもん」
 だから惚れ薬に頼ってどうにかしようとしたのではないか。
 魔法使いは一歩引いて、上から下までフォニーの体を眺めまわした。
 そして思い切りフォニーの頭からストールをはぎ取った。
 隠していた耳が露わになる。魔法使いは『それだ』と小さくつぶやいた。
「鬼のパンツはいいパンツという。サキュバスのブラジャーにも、何か特別な能力があるかもしれない!」
 一ミリもいやらしい響きがなく、高らかに宣言した魔法使いに、
「いやいや、それなんもないから! マジで! なんもないって!」
「きっとある!」
  さっきとは打って変わって希望に満ち溢れた声色。心なしか表情も嬉しそうな感じに見える。
 魔法使いが指をパチンとはじいたところで、フォニーの胸のところが一瞬スカッとした感じになり、今度はもごもごとした感触に変わった。
 普段付け慣れたホールド感とは打って変わって、ただの布を巻いただけの感触。布がどこから湧いて出てきたのかは不明。
 ブラは、魔法使いの手元にあった。
「空間転移にはこんな使い方もある」
 物を移動させるのは結構な難易度のはずで、しかもこんな細かいものを入れ替えるなんて一朝一夕ではできないはずで。
「技術力無駄に高いのやめてぇえ!」
 追いかけようとするも、壁のようなものに阻まれる。おそらく結界を張ったのだろう。
 これ、もう何でもありだ。
「その椅子にでも座って待っておけ」
 結界のエリア内にあった椅子に涙ながらに腰かけたフォニーは、意気揚々と奥に引っ込む魔法使いの背中を火傷させられそうな位恨みがましく睨みつけていた。

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 数時間後。
「ただのボロい上げ底ブラジャーではないかぁああああ!!」
「だからなんもないっていったじゃないの…」
 魔法使いはカウンターの空きスペースに、バラバラに分解・大破したフォニーのブラジャーの残骸を広げた。
 ところどころ薬品で色が変わっていたり、燃えたり、呪符が張ってあったり、呪文直書きしてあったりする。
 もう使うどころか、普通にゴミとして処分するのすら危険ではばかられる有様。
「上げ底とは聞いてない!」
「どーでもいいでしょ!!」
 小胸でも寄せて上げられるということで、多少足しになっていたのだ。
 そこそこお高いので、頑張って大事に使っていたのに。それを、それを…。
 しかも、ここで多少なりともこの魔法使いが女のブラジャーにハァハァしてくれていれば、その精力を頂くことも可能だったのだ。
 微塵もそんな気配すら見せない。フォニーのブラジャーは男の欲望を一ミリも搔き立てることなく研究材料になり果てたということ。
 惚れ薬を買うと決めたときに捨てたはずのプライドが、今度こそ散り散りになっていく。
 魔界にも、帰れない。魔力が足りない。
 それどころか、サキュバスのフォニーの脱出を阻めるだけの実力をもち、フォニーの下着を抜き取って研究材料にしたのにも飽き足らず『次どうしようか』と呟き腕組みしながら考え中というトンデモ魔法使いにとらわれている状態。
—————あたしどうなっちゃうんだろ…。
 魔法使いの金属カバーについた『目』がこちらを見ている。
「働いて損失を補填してもらおうか」
 定型句。そしてこの小説は全年齢向け。ということは。
「来い」
 立ち上がり、恐る恐る前に——半泣きだったので仕方なく出てきた鼻水をすすりながら──出る。
「結界は解いてあるから、動けるぞ」
 言葉を信じるというよりは、もうどうにでもなれの感でついていく。
「まずは庭の草むしりからだ」