領主館へようこそ 90

 ジョットは混乱していた。
 自分が何を言ったのかも分からないうちに、ユンがもっとわからなくさせたからだ。
 ユンはそのまま続けた。
「え? だって…そうですよ。
 いいじゃないですか。
 私は、コーウィッヂ様の優しいところとか、頑張ってらっしゃるところとか、時々弱ったりしてそぅなところとか、そお…いうの…が…ガ…」
 だんだんネジを巻かないと止まってしまうオルゴールのように言葉が出なくなっていく。
「うん、自分が今何言ったか気づいた?」
 ユンは真顔のまま固まっていた。
 ジョットは赤面する余裕もないユンの傍に、椅子を動かした。
 すぐ横に来る。
 ユンの首がジョットの方に、ギギギギ…と音を立てそうに堅苦しく回ってきた。
 他の場所は可動しようもなさそうで、ピタリと停止した。
 致し方ないことだった。
 だから、ジョットの顔に思わず笑みがこぼれてしまうのもまた致し方ないことだった。
「ユンさん」
 わざとちょっと小声にした。
「ほんとに?」
 ユンはいたたまれず、うつむくような仕草をした。
「ほんと?」
 追い打ちのようにやってきたジョットの左手がユンの頭をそっと撫でて、そのまま頬に流れるのを感じながら、ユンはジョットの瞳を覗き込む。
 間違いなくユン自身の姿があった。
 そのユンは、しっかりと首を縦に振っていた。
 ユンはそのまま、ジョットの手が頬から離れるのと、もう一度両手で顔を挟まれるのと、おでこがくっつくのを感じ取った。
 でも今更少しだけ不安になって、
「結婚は一足飛びですね」
 ジョットの吹き出すような鼻息がユンの顔にかかる。
「そう?」
 ジョットの目元は完全にゆるんでいる。
「子供…とかも…」
「そうかな?」
 なんともニヤニヤと…いじわるな言い方だ。
「だって、間がなんにも」
「さっきあんな大胆発言したユンさんがそれ言っちゃう?」
 むぅ、とうなって黙り込んだユンの頬からジョットは手を放した。
 少し離れてみるユンの姿もジョットを喜ばせるばかりだ。
 嬉しくなって、だから、口が回るうちに、と思った。
「本当にいいの?
 僕は、酷いこといっぱいしたんだよ?」
 ユンは少しまたうつむいた。
「わからないから」
 ジッとユンは何かを見ていた。
 それがジョット自身の手だと気づいたころ、
「私は、過去は分からないから、今のコーウィッヂ様の事しか。
 誰かを傷つけた人なんだって言われたら、私だって誰かは傷つけてます。多分、ですけど。
 今のコーウィッヂ様がいて、過去のコーウィッヂ様がいて、それでできているんですよね?
 私は、コーウィッヂ様のこと…好きです。やっぱり。
 なんでとか…よくわからないですけど…」
 全然まとまっていないユンの話は、ジョットの隙間を埋めていった。
 それどころか、ジョットという入れ物が、ぐぐっと押し広げられたようだった。
—————そこにユンさんを入れて、どこにも出さないようにできたらいいのに。
 でも、ジョットが好きなユンはそういう人ではなかった。
「コーウィッヂ様はどうなんですか?」
「どうって?」
「なんで私なんかが」
 ユンは自分を卑下しているわけでも何でもなさそうだった。
 だから、いじわるしたくなった。
「なんでかな」
 ジョットはティーセットを片付けだす。
 ユンは憮然と立ち上がった。
 ジョットがトレーをもって調理場に入っていくその後を付けてくる。
—————だめだニヤける。
 もうなんでもしてしまいそうになる。
 振り向いた先にむっつりとしたユン。
 そして、ジーのエプロンが無くなった壁。
 ユンもジョットがそこを見ていることに気づいた。
「ジーさんは」
「ん?」
「ジーさんは、コーウィッヂ様とはどういった関係にあたるんですか?」
 『コーウィッヂ様のなんなのさ?』みたいな、いかにもヤキモチ臭い聞き方はしたくなかったユンは、結局、続柄でも聞いているようなかんじになってしまった会話レベルの低さを少し恥じた。
 字が読めるようになったら変わるのだろうか。
「腐れ縁のトモダチかなぁ」
 二人して見つめる壁は、見つめても見つめてもスッキリしていた。
「ミドルネームって、お世話になった人の名前とかいれるらしいじゃん?」
 ユンはうなづいた。
 ユンの生まれた地方にはあまり付けている人はいなかったが、街中住まいの人たちには2つも3つも名前がある人がいた。
「じゃ、子供出来たらミドルネームは絶対G一文字にしよう」
 ジョットのただの自己満足。
 だからジョットはもう少し、言い訳を考えた。
 ジーの存在は隠さないといけない。ジョットは…領主だから、いたことにならざるを得ない。
 幸い二人とも『G』だ。
 子供にはジョットの『G』だと言っておこう。
 これを聞いたユンはどういう反応をするだろう?
—————『気が早いですよ』とか言ってしどろもどろになるだろうなぁ…
 でも、
「そうしましょう」
 ジョットは慌ててユンを見た。
 例の、有無を言わせない口調だった。
「だって、家族でしたから」
「…うん。そうだったね」
—————僕はこれだからユンさんが。
 ほほ笑んだジョット。
 隣に並ぶユンの気配を感じながら、ユンの発言がやきもちだったらうれしい、というのも、少しだけ湧いてくる。
 楽しくて仕方なかった。
 そして。
 暗にいろいろ承諾してしまっていることに気づいて今度こそユンが赤面するのは、ティーセットを片付け終わってジョットにボソリと耳打ちされた後のことだった。