ベータがやってきて、小屋に直行し、そして。
「多少の応急処置は手紙の返信に書いたとおりできると思う。
痛み止め程度だがな」
「…そう…」
「すまない」
「いや、ほんと、ベータが謝るこっちゃないよ」
本当にベータはよく謝るようになった。
これだけベータが変わるくらい時間がたったのだから、ジーの状態がこうなる程の時間だって立っている。
「元々装置の外殻が劣化しきっていて、わずかな衝撃にも耐えられなくなりつつあったように見える。
部位もこの辺りだと、体の中心部付近よりも外部の日光や熱の影響を受ける。
髪で隠していてもな」
「ジー…、」
なんで言わなかったのか。
装置の劣化は、『庭』にいたころのあの子達を見ているに、本人は薄々気づいていることが多い。
時々通信が切れたり、言ったはずの言葉が伝わっていなかったり。
—————『いイと思って』
『いいと思って』。
この近距離でもたまに文字が化ける。
多分、たまに返事がないとこれまで思っていた、あのあたりからもう、既に。
時間が飛ぶように過ぎていく。
「すまん」
「いや、ありがとう」
ベータの背を見送る。
振り返るとユンが立っていた。
「あっ、ごめん、お茶にしようか」
「私はどちらでもいいですよ」
もう5時近いしおやつどきでもない。
でも、ユンが折角用意してくれたのだ。それに、
「僕が一服したほうがいい気がするから」
ダイニングに入ってジョットは自分の席からジーの席をチラリと見て、この場所からナイフを投げつけられた日を思い出した。
いつか悪友のようになり、このままみんなでここで穏やかに暮らしていくのだと思っていた。
いつか装置の修理ができるようになるのではないかと祈っていた。
「コーウィッヂ様」
「…っあ…ごめん」
謝るも、紅茶を口にする気になれず、そのままその水面を眺める。
茶色い色水に映るジョットの顔。
「ジーさんは…」
ユンの声が振ってきて、かろうじてジョットは首を横に振った。
「でも、そんなようにはとても…」
説明しないといけない。
説明になるような話をしないといけない。
「…ジーにはもともと持病があるんだ。
完治が難しい病気でね。
特別な…薬…みたいなのを使ってたんだけど、それが効かなくなっちゃって、バランス取れなくなったって…。
代わりになるものがないかは前々から調べてた。
ベータにはそのあたりも頼んでいたんだけど…」
「でも、いくら何でも急じゃ…」
「隠してたっぽい。あいつらしいだろ」
本当にジーらしい。
心配かけたくないとかそういうんじゃなくて、ジョットに弱みを見せたくなかったのだろう。
「…あと、どのくらいなんですか?」
「わからない。
急にその時が来るかもしれないし、ゆっくりと進むかもしれない。
できることは全部やるけどね。
とりあえず、運動はしないほうがいい。
あと、頭をあんまり動かさないほうがいい。
部屋に籠ってごそごそ何かするのはできると思うけど、他は難しいかな。
今のところ字は読めてるから、僕の仕事手伝ってもらうつもりではある。
絶対安静! なんてできる性格じゃないから、ジーは」
「…私にできることはありますか?」
「ない。
僕が頼んだ仕事を精いっぱいやってほしい。
ジーの体のことは、ジー本人が一番よくわかってる。
手を出さないで」
下手に手を出されると逆効果になる可能性もある。
『庭』の子らがそうで、マッサージやら薬草両方やらをやった者から順に逝った。
ユンはそんなジョットを見て気落ちし、多少怯えているようにも見えた。
「…気持ちは、有難いよ、本当に…」
ユンの固く結んだ唇。
ジョットは助けてくれと叫びたかった。
「大丈夫だから。仕事に戻って」
お茶の時間の片付けを放置させてユンをダイニングから出す。
ティーセットをもって調理場に入ると、ジーのエプロンが掛かっていない壁が目に入った。
無心に手元を動かし、自分が機械にでもなったような気持ちになり。
冷たい水が心地いい。
このまま、氷のようなまま、機械のままで生きていけたら。
ダイニングを出て少し歩く。
このまま、ゼンマイ仕掛けの人形みたいに…。
妄想にとらわれそうになったとき、普段聞きなれない足音がした。
ユンとコビだ。
左右に二人、合わせて向かい合って動いている。
廊下でかち合ってお見合い状態なんだろうか?
「なにやってんの?」
「うわっ!」
少しだけ赤い顔のユンは、
「いいえ! なんでもないデス!!」
慌ててぶんぶん手を振って否定している。
なんともいえず気持ちが緩み、
「そ。じゃ、了解」
そそくさとユンは慇懃な様子で、
「では、失礼します」
ユンの去り行く背中と、寄ってきて一礼して立ち去るコビ。
日常がそこにあった。
ジョットは書斎に向かい、仕事に戻ることにした。
さっきより少し体が温まり、足取りがなめらかになった気がした。