領主館へようこそ 83

 ベータがやってきて、小屋に直行し、そして。
「多少の応急処置は手紙の返信に書いたとおりできると思う。
 痛み止め程度だがな」
「…そう…」
「すまない」
「いや、ほんと、ベータが謝るこっちゃないよ」
 本当にベータはよく謝るようになった。
 これだけベータが変わるくらい時間がたったのだから、ジーの状態がこうなる程の時間だって立っている。
「元々装置の外殻が劣化しきっていて、わずかな衝撃にも耐えられなくなりつつあったように見える。
 部位もこの辺りだと、体の中心部付近よりも外部の日光や熱の影響を受ける。
 髪で隠していてもな」
「ジー…、」
 なんで言わなかったのか。
 装置の劣化は、『庭』にいたころのあの子達を見ているに、本人は薄々気づいていることが多い。
 時々通信が切れたり、言ったはずの言葉が伝わっていなかったり。
—————『いイと思って』
 『いいと思って』。
 この近距離でもたまに文字が化ける。
 多分、たまに返事がないとこれまで思っていた、あのあたりからもう、既に。
 時間が飛ぶように過ぎていく。
「すまん」
「いや、ありがとう」
 ベータの背を見送る。
 振り返るとユンが立っていた。
「あっ、ごめん、お茶にしようか」
「私はどちらでもいいですよ」
 もう5時近いしおやつどきでもない。
 でも、ユンが折角用意してくれたのだ。それに、
「僕が一服したほうがいい気がするから」
 ダイニングに入ってジョットは自分の席からジーの席をチラリと見て、この場所からナイフを投げつけられた日を思い出した。
 いつか悪友のようになり、このままみんなでここで穏やかに暮らしていくのだと思っていた。
 いつか装置の修理ができるようになるのではないかと祈っていた。
「コーウィッヂ様」
「…っあ…ごめん」
 謝るも、紅茶を口にする気になれず、そのままその水面を眺める。
 茶色い色水に映るジョットの顔。
「ジーさんは…」
 ユンの声が振ってきて、かろうじてジョットは首を横に振った。
「でも、そんなようにはとても…」
 説明しないといけない。
 説明になるような話をしないといけない。
「…ジーにはもともと持病があるんだ。
 完治が難しい病気でね。
 特別な…薬…みたいなのを使ってたんだけど、それが効かなくなっちゃって、バランス取れなくなったって…。
 代わりになるものがないかは前々から調べてた。
 ベータにはそのあたりも頼んでいたんだけど…」
「でも、いくら何でも急じゃ…」
「隠してたっぽい。あいつらしいだろ」
 本当にジーらしい。
 心配かけたくないとかそういうんじゃなくて、ジョットに弱みを見せたくなかったのだろう。
「…あと、どのくらいなんですか?」
「わからない。
 急にその時が来るかもしれないし、ゆっくりと進むかもしれない。
 できることは全部やるけどね。
 とりあえず、運動はしないほうがいい。
 あと、頭をあんまり動かさないほうがいい。
 部屋に籠ってごそごそ何かするのはできると思うけど、他は難しいかな。
 今のところ字は読めてるから、僕の仕事手伝ってもらうつもりではある。
 絶対安静! なんてできる性格じゃないから、ジーは」
「…私にできることはありますか?」
「ない。
 僕が頼んだ仕事を精いっぱいやってほしい。
 ジーの体のことは、ジー本人が一番よくわかってる。
 手を出さないで」
 下手に手を出されると逆効果になる可能性もある。
 『庭』の子らがそうで、マッサージやら薬草両方やらをやった者から順に逝った。
 ユンはそんなジョットを見て気落ちし、多少怯えているようにも見えた。
「…気持ちは、有難いよ、本当に…」
 ユンの固く結んだ唇。
 ジョットは助けてくれと叫びたかった。
「大丈夫だから。仕事に戻って」
 お茶の時間の片付けを放置させてユンをダイニングから出す。
 ティーセットをもって調理場に入ると、ジーのエプロンが掛かっていない壁が目に入った。
 無心に手元を動かし、自分が機械にでもなったような気持ちになり。
 冷たい水が心地いい。
 このまま、氷のようなまま、機械のままで生きていけたら。
 ダイニングを出て少し歩く。
 このまま、ゼンマイ仕掛けの人形みたいに…。
 妄想にとらわれそうになったとき、普段聞きなれない足音がした。
 ユンとコビだ。
 左右に二人、合わせて向かい合って動いている。
 廊下でかち合ってお見合い状態なんだろうか?
「なにやってんの?」
「うわっ!」
 少しだけ赤い顔のユンは、
「いいえ! なんでもないデス!!」
 慌ててぶんぶん手を振って否定している。
 なんともいえず気持ちが緩み、
「そ。じゃ、了解」
 そそくさとユンは慇懃な様子で、
「では、失礼します」
 ユンの去り行く背中と、寄ってきて一礼して立ち去るコビ。
 日常がそこにあった。
 ジョットは書斎に向かい、仕事に戻ることにした。
 さっきより少し体が温まり、足取りがなめらかになった気がした。