玄関のドアを開けて、荷物を下ろして。
ジーにつぶやくのは止めた。
「そのままでいいですから、少し待っていてください」
三人を制したその時、ダイニングから暖かな光。
「ユン…さん?」
いつもの昼間と同じように、ランタンを両手で大事そうに握った持ったユンは恭しく頭を垂れた。
「おかえりなさいませ」
ジョットは全然いつも通りではなかった。
自分の家なのに。
「こちらへ」
足が勝手にジョットをダイニングへと運んでいく。
「タオル持ってきます」
ジョットと入れ替わりでユンがダイニングを出ていくと、
「お茶、入れてきますんで」
状況から逃げるように調理場へと逃げていく。
—————なんで??
ユンは落ち着き払っていた。
出るなって言ったのに。
魔物がここに来るかもしれないとあんなに脅したのに。
ジョットの頭のなかだけでぐるぐる回る『な』『ん』『で』の3文字。
移動させようとしたポットを取り落とす→力を使って浮かせて拾う、これを2回。
茶葉をティースプーンからポットに入れたつもりが、横にあったティーカップ(お湯でカップを温め中のため満タン)にインすること1回。
お茶菓子を皿に載せようとしていたのにトレーまで満遍なくばらまくこと2回。
やっと綺麗に取り繕えたところで、ぱたぱたと聞きなれたユンの足音が調理場にやってきた。
「コーウィッヂ様も!」
タオルと服一式を差し出され、平静を装って、
「ありがとう。でも後ろ向いててネ」
ユンは慌てて後ろを向いた。
ポコポコと沸き出したお湯の音と湯気。
ユンの余りにも平静な後ろ姿を凝視しながら着替えるジョット。
わからないことになんとなく腹が立った。
ワイシャツを羽織る直前、ちょうどお湯が沸き始め、いじわる心が顔を出す。
「ユンさん、お湯お湯!」
「えっ、あ!」
慌てて火を止める、いつもの昼間にもありそうなユンの仕草。
ジョットはもう呆然としたりしていなかった。
—————僕、大丈夫だ。
ゆっくりとユンの背後から近づき、耳元でそっと、
「落ち着いて、もう大丈夫だから」
「は、はい」
照れくさそうなふうに返事をされると、今度は全然大丈夫じゃない。
ユンがジョットの用意したティーセットを運び入れるのと一緒に調理場を出る。
いつもはジョットが待っている側。
今はいっしょにおもてなしする側。
疲れ切った3人に、ジョットは堂々とすることができた。
ゆっくりと自席につくと、長いダイニングテーブルの片側に並んで座る3人の方に体を向けて、
「討伐、お疲れ様です」
「…多大なるご協力ありがとうございます」
キシアスの絞り出すような声にも、
「いえ、皆さんのご英断でこういった結果を引き寄せることができたのです」
ジョットがひとしきり話しているのに多少の相槌を打ったキシアスは、一瞬言いよどんだが、
「もったいないお言葉です」
コーウィッヂをまっすぐ視線にとらえて頭を垂れた。
テトとジェレミーもそれに倣うように頭を垂れる。
『黙っておく』事への、最終了解だろう。
その頭の先に『お疲れでしょうから』と菓子皿を差し向けると、全員が手に取った。
『黙っておく』。
ジョットは穏やかに凪いだ自分の心を存分に味わった。
食べ終わったところで暇を申してダイニングを出ていく3人を見送るまでだったが。
「これがなければいつもの夜のティータイムみたいだね」
空になった3人のティーカップを見ながらジョットは、沸々と湧き上がる怒りにも似た激情をできるだけ穏やかにと務めて言葉にした。
「で、なんで起きてダイニングにいたの?」
ユンは目を上げた。
「眠れなかったのと、気になって焦ったのと。
あと、夜中に、3人が帰っていらっしゃったらと…」
「だめ。危ないよって言ったら、危ないんだから」
「はい。申し訳ありません」
「首にしたりはしないよ。
でも、本当に、もうしないでね」
「はい」
—————ほんとに?
口をついて出そうになる。
ただ、そこで攻撃を受けたのはジョットのほうだった。
「コーウィッヂ様こそ、どうして屋敷の外に?」
ユンは少しだけ、いつもよりも口調が強く思えた。
あまりこういう言い方はしない人なのに。
「魔除けの効果をキチンと調べたくて、見てたんだ」
言い訳だった。
「でも、危ないですよ」
「そうだね…危ないね…」
でも、やるしかなかった。
ジョットがやらなければ死人が出ていた。
そして何も起きなかった。
あったと言えば、2つ。
キシアスの積年の想いが見事打ち砕かれたことと、ジョットの中にあった古い古い傷を、3人にがっつり抉られたことだけだった。
ゆっくりとティーカップを置きながら息をつく。
ユンはおもむろにこう言い放った。
「コーウィッヂ様、私は大丈夫です」
ジョットは面をユンに向けた。
「私は…大丈夫、ですから」
ユンは座ったまままっすぐに背筋を伸ばし、なぜか自信満々だ。
ジョットは立ち上がった。
だって、そんなわけ、
「魔物が出たんだよ?
大丈夫なわけないじゃないか」
ユンはすくっと立ち上がり、まっすぐにジョットを見据えた。
赤々とした髪と、紅潮した頬と、そばかすと茶色の瞳。
ランタンの暖かな光がそのままユンの姿形となって目の前に顕現したような。
ジョットは不安になった。
ジョットがこれまで拠り所にしてきたものがどうにかなってしまいそうだからだった。
「大丈夫です。
たぶん、コーウィッヂ様より大丈夫です。
だからお出かけの時は一言ください。
お帰りのお時間も教えていただきたい。
お茶を入れて、お茶菓子も用意して、お待ちしておりますので」
ジワリと氷が解けていくようなしっとりとした快感がジョットのなかに広がっていった。