領主館へようこそ 68

「特に戦争末期には小型も含めて本当にほぼ出なくなって。
 今はまた大型も含めて幾分か戻っているようですけどね」
 ジョットの身に覚えがある現象をつらつらと口に出すキシアス。
「能力の高い魔法使いの方なんですね。
 そんな大量討伐できるなんて」
「いえ、魔力的にはそんなになんですけどね。
 魔物の生態や、薬草や、本当に博識な方で。
 罠を作ったり、こちらの行動を変えたり、道具を使って討伐したりという一般市民にもできる方法を数々提案・実践してくださったんです。」
 先生の専門知識の数々が高い効果を誇っているのは本当だ。
 が、実のところ戦争末期に小型の魔物が出なくなったのは全くそれとは関係ないことをジョットは良く見知っていた。
「そんなこと可能ですか?」
 好奇心たっぷりの体でジョットはキシアスに問いかけた。
「『普段火を使ったり話したり物を持ち上げたりするのと同じような力を大きくして、魔力がなくても魔力があるのと似たようなことができたら、そしてうまくその力を魔力や魔道具と組み合わせることができたなら、どれだけの力なき人々が救われることだろう』
 先生はその力とやらに『カガク』と名付けていました」
 おそらく今この世に残っている生き物のうち、何よりジョットは『カガク』を知っていた。
 それを聞き続けるのは辛かったが、自分でこれまでついてきた嘘の報いを受けているのだと言い聞かせ、その重さに耐えた。
「そんな先生にあこがれたんですけどね、私には魔力が全然なくて…本当に人並外れてと言っていいほど何もなかった。
 どうも特異体質の一種らしいんです」
─────『じゃあ、この人が例の』
─────『らしいな』
 ついでのような偶然。
 ジョットとジーは誰にも悟られない発見を味わった。
 先生が話していた、ジョットやジーのような生き物を作るために必要な条件、『魔力がない』。
 それを閃く源になった人物。
 『あの子に出会ったとき、これだ! と思ったのよ。
  前提として魔力がなければ、後から注ぎ込んでも拒絶反応で死んだりしないんじゃないかって。
  動物ではなかなかそういう個体をすぐ見つけるのは難しいから、全く気付いていなかったわね。
  善は急げですぐにでも着手したかったのだけど、でも…その子をさらってくるわけにも…。
  え? だって、村の子だったのよ。
  ばれちゃうでしょ?』
 目の前のキシアスは先生がそんな人間だったとは露ほども疑っていないようだ。
「その、先生、という方は今は…」
 ジョットは生きていたらという気持ちと死んでくれていたほうがという気持ちがないまぜになった、奇妙な期待に胸を膨らませた。
「残念ながら、もう…。
 最後にお会いしたのは首都で、確か8年ほど前でしたね。
 先生は戦時中にカロネアでの魔物関連の業績が認められて、国の中央に召しあげられていまして。
 そこからしばらくお目にかかる機会もなく、次は、という」
 ジョットは胸をなでおろすとともに落胆した。
「そうでしたか…」
 これでジョットとジー、特にジーの『装置』の修理に必要な大事な手がかりが失われたことになる。
 あったからって、先生に声を掛けられるわけではないが。
「いや、でも僕としては晩年にお目にかかれただけでよかったと思っているんですよ。
 小さいころは知らなかった意外な趣味も垣間見えて、それまでよりも親しみが沸いたくらいですから」
「意外な趣味、ですか」
 そんなものあの人にあったろうか。
 実験が趣味で、ヤギやウサギといった生き物にも様々な趣向を凝らしていたのを思い出す。
 あの『庭』では動物とすら、つぶやいてコミュニケーションをとることができた。
 だからこそジョットは、人間でなくても、人間ほどは考えられなくても、心があるのだと知っていた。
 同時に、心があると思われている人間がどれだけ心無いことができるのかも知っていた。
「どうも人形収集に凝っていたようでして。
 枕元と窓際にビスクドールなんかを集めて並べていましたね。
 ただ、少し認知が悪くなっていたみたいで、周りが大変そうでした」
「この辺でも年配の方を世話した人から、そういう話、でますよ」
「仕方がない話ですよね。
 先生の場合、人形と子供の区別もちょっと曖昧になっていたみたいで。
 世話役の方に連れられて散歩に出るのに付き合った時なんかほんと…。
 挨拶してくれた女の子に怒鳴り返したんですよ。
 『これは私のビスクドールじゃない!!』って」
─────『ビスクドールと僕がまぜこぜになってたのかな』
─────『多分そうだろ。あの頃は集めちゃいなかったから』
 先生はよくジョットのことを『私のビスクドール』と呼んでいた。
 最高傑作だ、とも。
「そんなだったから、変な噂話まで出回っちゃって」
「子供を引き取って悪いことをした、とか、そういう奴ですか?
 他人のことを勝手に悪し様に言う人の口から出てきがちですが…」
「いや、もっと時と場所にマッチした嫌なネタですよ。
 戦時中に魔法を使って怪しげな人体実験をしていた、というね…」
 世の中というのは時が立てば真実やそれに近い話がちゃんと流布するようになっているらしい。
 ジョットが『庭』からあの人と逃げた時は、完全に緘口できていたのだが。
 どこから綻びたのか考えると、どう見てもあの人の周りからだとしか思えない。
 自分の身に危険が及ぶ可能性があるにもかかわらず、ジョットは嬉しくなった。
─────今も僕はゼタさんに救われている。
 真実を知らないキシアスは、ジョットにとっては無邪気にも見える真剣さでこう告げた。
「戦争は人の心を狂わせるといいますが、先生はその範囲から出ることはなかった…と、僕は、断言できます」
─────『最初から奇跡的に取り繕えるバランスでアタマおかしかったから、そのおかしいゾーンから最後まで一ミリもはみ出なかったのはそうなんだろうな…』
 ジーのあきらめたような呟きの中にいつになくどす黒い感情を読み取ったジョットは、
─────『本当のことを知らないままエトワを生きて立ち去れるようにしてあげたいね』
 そしてこの場にいる最年長者としての矜持で事実も真実も覆い隠した。
「噂話は大きくなるものですからね」
「全くです。そんな噂話をする人が本当にたくさんいるんで、中央に行くことになってからびっくりしましたよ。
 ただ、戦時中はできなかった話だと思うので、平和になったともいえるんですがね」
「こんな食卓、戦時中はあり得ませんでしたしね」
「全くですな」
 あはは…と笑いすら漏れる食卓。
 いつものみんなで囲む食卓とは明らかに異質な朗らかさに満ちていることが、ジョットの胸をえぐっていった。