領主館へようこそ 65

 ユンを目の前にジョットの口からはつらつらと嘘が躍り出る。
「元々は…個人でやってる輸送船の経理兼手伝い要員だったんだ」
 あの日からあの人と、途中から増えたチリカ、ベータと4人での逃亡生活。
「本当にお世話になったし、お世話もしたけど、その間にみっちり稼げた」
 僕を、そしてあの人を消しにくる船や馬を返り討ちにして。
 その荷を奪って。
 船の何割かが協力してくれたのはあの人の人徳という奴だろうか。
 最後に襲ってきた船を含めても本当に文字通り沈めた船は少ない。
「そんな生活が続いて、いろいろあって…結局、船が解散になってね」
 だってあの人が追っ手の魔法使いのせいであんな姿になってしまったから。
 呪いがそのままだと、あの人はあの姿のまま、さらなる追っ手を避ける暮らし。
 できるわけがない。
 だからチリカとベータと話し合って、あの人を隠すことにした。
「お金は貯まってて、これからどうしようかと思ったときに、海より今度は山にしようかって」
 崖があるから。
 ベータのありったけでもってあの人を隠す、それができるだけの魔力が詰まった崖が。
 崖は全くそれと関係のない理由で、ジョット自身の罪の標でもあった。
「一人で人知れず自給自足してもいいけど、それじゃぁなぁ、と思った」
 あの人とジョットを、もっと完全に隠してくれる必要があった。
 ジョットの最も罪深い個人的な望みを叶えるためでもあった。
「で、エトワに行きついたんだ。
 先代は跡継ぎもなく高齢で屋敷にこもりがちになってたもんだから、話をしてそのまま僕が領ごと継ぐことになった」
「国の許可とかはいらないんですか? よその人間に領地を渡すのに…」
「僕が先代の正式な養子になったんだ。そのまま継ぐ体にしたってこと」
 戦後の混乱は事をうやむやにするのに最適だった。
「今村にいる古株の人たちで先代の顔知ってるのってアンヌばあさんくらいかな」
 昔は皆散り散りに離れたところに住んでいたのだが、あの場所をジョットが切り開いた後呼び寄せた。
 アンヌばあさんたちだけだったころには少人数の招かれざる客たちも来ていた。
 皆ジョットが片付けた。
 トレビスたちが普段しているのと比べても残酷なくらい短い時間でその人の結末に導くことができる。
 そのことは誰も知らない。
 そういうことを誰にも知られないようにできることこそ、ジョットがあの家族や『庭』で教わってきたことだった。
「ま、だから新しく村人をかき集めて定着させるなんて荒業できたんだけどさ。
 その辺、村長からなんか聞いてたりする?」
 ユンが黙って頷く。
 深く追及する気がなさそうな様子にジョットはほっとした。
 『説得に失敗して彼らがコーウィッヂ様を襲っていたらどうしたんですか?』などという話に発展する可能性がなくなったからだった。
「前にベータ様とお話していらっしゃった、昔の知り合いの方ってどんな方だったんですか?」
 気遣いだと思いたいが。
「…申し訳っ…その…」
 申し訳ないのはこっちのほうだ。
「うん、ごめんね。仕事の時間外なのに気ぃ遣わせちゃってるよね」
「ぃえ…」
 うつむいたらユンの茶色の瞳が余計にランタンの光に照らされる。
 ユンがジョットと違う世界の人間なのだと突き付けているようだった。
─────…ばかだな。それ以前にユンさんは人間なんだから。
 ジッとしているユンに、まあ、これだったら、ちょっとは喋ってもいいだろう、と思ったところだけ話す。
 そんな断片的なことでも、人といて楽しかったころの思い出は話し出すと止まらない。
 思い出すことすべてを零すわけにはいかないけれど、話しながらジワリと滲むそのころの想いにジョットは満たされ、そして徐々に寂しさも思い出していった。
「大人が出る場所には出られるものをすべて兼ね備えたうえで…『愛される子供』ってこんな感じだろうなっていう雰囲気をそのままに大人になったみたいな。
 僕はあの人に人と一緒にいることの良さを教えてもらったんだ。それまでは本当にひどかったから。
 時々羨ましいとも思った。
 僕は『愛される子供』って柄じゃなかったし、今もそうだからね」
「そんなことは」
「きっと出会わなければずっと分からないままで…なにより分かろうとする気もなかったと思う。
 おかげで一つ目標ができたんだ」
 それはそれは罪深い目標が。
「ほんと、ごめん。付き合わせてるのわかって…」
 実はその罪深い目標に付き合ってもらう予定で、召使いに女ばかり雇ってきたのだと知ったらユンはどういう顔をするだろう。
 そんな後ろ暗いことを考えていても照れ笑いができる自分が、ジョットは大嫌いだった。
「コーウィッヂ様」
 ジョットが面を上げると、ユンはすくっと居直っていた。
「私、コーウィッヂ様のこと好きですよ」
 何も考えられない。
 ユンのそばかすが混じった顔は、ふわふわと広がる赤毛に囲まれている。
 普段はきゅっと縛っているのに、無防備なようにも見える。
 そのくせ今その唇から紡いだ言葉とともに、ユンから出ている穏やかな何かが広がって、ジョットを包み込んでしまうような気もした。
─────ジ:僕のこと好き?
─────ジ:僕も君のこと好きなんだ。
─────ユ:ほんとですか?
─────ジ:うん。ほんとだよ?
 心から嬉しそうに笑うユンの姿がジョットの脳裏でシュミレートされ始めた時、
「ほんとですよ?」
 探るようなユンの声に、ジョットの意識は今の目の前と自分の妄想を爆速で行き来した。
 自分にだけ聞こえるように自分の口で『何してんだ僕は』と言い聞かせるように呟くと、ジッとユンの顔を見つめた。
 真剣だ。ということは。
 ジョットは一気に肩を落した。
「ああ、そっか、そうだよね」
─────人として、だな。
 ついちょっと自分に対して白~くなってしまったジョット。
─────いい年こいてほんと何はしゃいじゃってんだ僕は。
 冷静に、穏やかに。
「ユンさん、若いんだよね。
 仕事ぶりがしっかりしてるからもっと世慣れてるかと思っちゃうけど、そうだよ、ウン…そう…。
 いいんだ、ありがとう。
 ユンさんがそう言ってくれると嬉しいよ」
 自分にも強く言い聞かせた。
 そのうえで、今後のユンを守りたい──盗られたくない、に限りなく近い──気持ちとしてジョットは強く付け加えた。
「でもそれ大人は乱発しちゃだめなやつ」
「え?」
「う~ん…」
 ずっと働いてたくせにこんな超箱入り娘ぶりのユンをどうしたものか。
 ジョットは自らの眉間に寄っていくシワをほぐすべく、人差し指を押し当てた。