「様子見てきます」
お茶を出した後すぐにコーウィッヂが戻ってきたが、リアがまだだ。
ダイニングを出ると、玄関から入ってきたリアが見えた。
「ごめん待たせちゃって」
ユンはリアが手に持っている棒のようなものが、見覚えのあるシルエットであることに気づいた。
リアが近くに来ても、ユンは視線を合わせるのすら忘れてそれを見た。
「ジーさんの…」
ジーがいつも持っていたペンだ。
「そ」
ペンの軸の中にインクを溜めておける携帯用のもので、ちょっとした値段だが貰いものだと聞いていた。
ユンと同じようにリアもペンをジッと見ている。
「これね、私があげたやつなの」
リアは苦笑し、
「コーウィッヂ様がね、『ジーに頼まれた』って。
確かにね、『高かったんだから~』ってあげたんだけどさ…ほんと高かったから。
あげたんだからさ…返してこなくてもいいのに…」
懐かしいような苦しいような切ないような顔でリアは一息つくと、
「みんな待ってるね」
手持ちのバッグにペンを放り込み、立ち止まるユンを置いていくような足取りでダイニングに向かっていった。
リアの後から皆の待つそこへ入っていくと、昔話をしているようだった。
と言ってもジーがいたころの話でどこか物悲しい。
「しかし死んだら自分の体を焼いてくれなんてわがまま、コーウィッヂ様に言ってたとは知りませんでした」
リアはどこかにその人がまだいるように聞こえてしまう口ぶりだ。
「たいしたわがままじゃないよ。
あいつがこの屋敷内でやらかしてきた事の数々の尻ぬぐいと比べたらね」
「へぇ~?」
リアは吹っ切れたような口調で、今度こそ本当に優しい顔になった。
「まあ、しゃーないわよね」
村長もリアのそんな顔に、ほっとした様子だった。
でもコーウィッヂただ一人が、そんな二人の向こう側にまだいなくなった人の姿を見ているようだ。
そんな浮かない様子に気づいているのはユン一人らしく、村長とリアは影のない笑い声をあげていた。
デューイはリアの様子を気にしていたようだったが——ジーとの関係を知っていたのだろう。年も近そうだし、気遣いは理解できた——ほっとしていた。
二人が揃って屋敷を出て、デューイもそれについて用事のために村に戻っていく。
残されたユンとコーウィッヂ。
みどりちゃんたち3人はもう早々に仕事に戻っている。
コーウィッヂが動き出す気配は全くないので、ユンはもう一度お湯を沸かしに調理場に入る。
水を汲み、やかんを火にかける。
コポコポと湧き出すまで待ち、茶葉を入れ替えたティーポットに注ぐ。
保温のためにティーコゼをかぶせたティーポット。
そのまましばらく待ち、カップと、新しく菓子を乗せた菓子皿をトレーに乗せてコーウィッヂの方へ。
コーウィッヂはさっきユンが調理場に入る前と同じように、正しい姿勢で、両ひざに手を置いて、ダイニングの誰もいない入り口を見ていた。
持ってきた物をすべてテーブルの上に降ろし、ティーカップに紅茶を注いで無言でコーウィッヂの前に差し出す。
「ありがとう」
なおざりな言葉だった。
置いて行かれたと思っているからだ。
そうじゃないとわかっているのに、心の奥ではそう思っている。
リアは違った。
祖父母を失ったときのユンもリアと同じようだったろう。
—————置いて行かれたんじゃない。『残された』んだ。
だから前に進むことができた。
置いて行かれた人間は泣きじゃくるばかりだけれど、残された人間にはすべきことがある。
ジーとコーウィッヂの関係はわからない。
でも、このままでは、
—————コーウィッヂ様はずっと立ち止まって、ジーさんの面影をまとわりつかせてぐずるばっかりだわ。
リアがあのペンを受け取ったときのような顔を、今のコーウィッヂはできないだろう。
それはユンが思う、素のコーウィッヂではない。
ジーを悪霊にして、それを言い訳にして立ち止まり、コーウィッヂがここでやろうとしている何か——領主としての務め? 村の繁栄? 富と名誉? それが何か、ユンはもちろんわからないが——から逃げる。
コーウィッヂが重たい荷物、たくさんの秘密で覆い隠さないといけないものを背負っているのは察していた。
ユンが好きなコーウィッヂは、それに押しつぶされまいと笑うような人だと、ようやくわかり始めていた。
だからもう決めていた。
「コーウィッヂ様」
コーウィッヂが生気のない顔でぼんやりと緩慢にユンのほうを眺めた。
「私、見ました」
焦点の合わない眼差しのコーウィッヂ。
ユンは決死の覚悟だった。
「ジーさんの首筋に、入れ墨があるのを」
コーウィッヂの目が大きく見開かれていく。
「それと同じような入れ墨が、コーウィッヂ様の首筋にも、ありますよね?
教えてください。
私には字が読めません。
でも、文字かどうかはわかります」
ふわりとコーウィッヂの唇が弛緩して開く。
初めて会った時と変わらず、それは艶やかで魅力的だった。
「ジーさんの入れ墨は、最初の1文字だけで、その右側は傷跡でした。
でも、コーウィッヂ様のは何文字かあったと記憶しています。
もしかして、ジーさんの入れ墨の右にあった傷は、残りの何文字かを消すためにつけたものなんじゃないですか?」
コーウィッヂの顔は驚いたような表情から、少しずつ動き出した。
唇が細かく震えている。
「あの入れ墨は何ですか?
ジーさんとコーウィッヂ様に何があったんですか?」
コーウィッヂは最初、うっすらと笑みを浮かべているだけだった。
でもそのうち、肩を震わせ、
「あはははっはははは!」
大笑いしたかと思うと、手で目をこすっている。
「えっと…」
「いや、いいよ、うん…」
悲しそうな面影だが、少しだけ、なぜかわからないが、悲しさと後ろめたさのようなものがコーウィッヂから消えてきたように見えた。
「座って」
コーウィッヂに促されるまま、斜め向かいの定位置に座る。
コーウィッヂが紅茶をいれてくれる。
汲み終わってポットを置いたその手で、そのままコーウィッヂは自分のシャツのボタンをぷつりぷつりと外しだした。
はだけて見えてくる白いきめ細かい素肌にユンがドキリとしたのもつかの間。
「『魔力がなくても魔力があるのと似たようなことができたら、どれだけの力なき人々が救われることだろう』」
どこかで聞いた。
記憶の中の靄がかかったようになった部分をユンが探っていると、コーウィッヂはシャツをはだけ、
その首筋をユンのほうに向けた。
首筋に書かれている文字がはっきりと見えた。
—————『G10TO0』……?
「マリアンヌ先生はそう言っていたんだ」
—————『先生』…
少し考え、そして、
—————豊穣祭の前に魔物の調査に来た、キシアスさんが夕食のとき話してたのと同じ?
シャツを着なおし、ボタンを留めながら椅子に座りなおしたコーウィッヂは、今度こそ意思のある瞳でユンの目を見つめていた。
ユンは今さらながら気づき、なぜか泣きそうになった。
—————コーウィッヂ様の目の青色と、ジーさんの左目の青色、すっごく似てる…。