領主館へようこそ 31

 コーウィッヂはしれっとした顔で食事を取る手を止めないままだけれど、目だけはしっかりとジェレミーのほうを向いたままだ。
「そしてやられた奴の血痕はその足跡から放射状に離れる形で残っていたらしい…」
 怪談話をしているような口調でジェレミーはニンマリした。
「おかしいだろそれ。
 仮にその足跡の主がその場所から切りつけたんなら…切った側、その足跡のほうに、横向きに飛ぶはずだ。
 芝居小屋の演出でさえそうなってるぐらい常識だろ」
「だから余計に都市伝説になっていたんでしょうね。
 『奴は返り血一つ浴びる気がない』なんて言われていました。
 最初は変種の魔物の仕業で調査が漏れたんじゃないかとか言われていたのが、その後数回似たような死に方のやつがカロネアの国境沿いでだけ見つかって、やっぱりなんかおかしいぞということで話が混乱した結果、怪しげな話ができたということです。
 だから結局向こうの国としてはその兵士が言っていたのと同じ『変種の魔物で、戦争末期のあのゴタゴタの中調査が不行き届きだったんじゃないか』ということで、報告を上げたものの話を閉じられたそうです。
 足跡は最初の一回と次の一回だけで、その後はなくて、しかも戦争が終わった辺りで一切そんな話聞かなくなったから、戦争中ってみんな頭おかしいんだろうなと付け加えていましたね」
「調査担当者としては気になるところだが…」
「僕としてもこの辺り崖地なんでね。
 でも…そうですよね、再発していないんじゃ…」
 コーウィッヂが物憂げというか、考え込むというような風になる。
—————そうだった! この辺りも崖地!
 ユンはようやく合点した。
 あの物騒な装備を小屋にしているように、エトワ領の治安のことを気にしていたから今日はあんなにシビアな感じだったのだ。
 その証拠だろうか安心したように、
「なかったことになったほうがいいことってあると思いますよ」
 談笑が再開している。
「そうですよね。本当に、そうです」
 安堵したユンの目の端にチラリとコーウィッヂの表情をうかがうチリカが通り過ぎた時は本当にそうだろうかと一瞬だけ不安になったものの、もうそこまでり気にならなかった。
「全然違う話なんですが、あの御者の方、いったい何者ですか?」
 ジェレミーのカットインはさっきまでのぼんやりした不安の代わりに、ユンにもっと別の重大な不安要素を思い出させた。
—————うちの村、脛傷だらけだったわ!
「お気づきになりましたか」
「自分も本職の端くれですから。
 あんな隙のない方、なかなかお目にかかれない」
 なぜかジェレミーが嬉しそうなのは武闘派の血という奴だろうか。
「珍しくはしゃいでると思ったら、理由それだったのか」
 キシアスの白~い反応をよそに、コーウィッヂが綺麗な嘘を付け加えた。
「デューイはもともと、荷馬車の警備などをしていた傭兵でして。
 もう引退しているんですが、馬車の運行もできるということで、雇っているんです。
 見た目は若いですが、もう三十路をそこそこ超えてるんですよアレで」
 ほぉ~と感心したようなジェレミー。
 ユンは心の中で『騙されていますよジェレミーさん、たぶんホントは盗る方ですよ』とつぶやいた。
 さらにユンよりちょっと上くらいの年齢と思っていたので、三十路越えなのも初耳でいろいろびっくり。
 が、本職・召使いの端くれとして穏やかな表情を保っていた。
 なるほどそうでしたかぁ~と楽しげなジェレミーは、キシアスとテトに気持ち悪いものを見るような目で見つめられていることには気づいていないようだ。
「時間があれば手合わせなどしていただきたいですが、今回の旅程では難しそうなのが残念です」
「そのとおり、無理だ」
 ぴしゃりと言い放つキシアス。
 ユンは少しだけ危惧しはじめた。
 このジェレミーの人となりがどうのこうの、ということではなく、
—————この人、お祭りに行ったら村人の素性、すぐに気づいちゃうんじゃない?
 コーウィッヂが前科者を集めて村を盛り立てたというのは、村おこしという事業に絡めると相当変なエピソード。
 他にも変なことがあり得るのではと不信感を持たれかねない。
 今のところ別館には全くタッチされていないものの、今も犯罪とつながっている怪しい村だと思われたら。
 ユンには隙がどうこうなんて全く分からないが、デューイでこの調子だと村長は…。
「お祭りの時期に合わせることができただけで万々歳だろ」
「まあ、そうですね。その通りですね…」
「そっすよ~!」
 ジェレミーが気づかないでいてくれることを祈るしかない。
 ユン以外の全員も、きっとそう思っていることだろう。
 そう思っていたら急にジェレミーが自嘲的にこぼしだした。
「でも、本当に変な話、今のお話でちょっとだけ安心してしまいました…」
「といいますと?」
「隙の無さが見えるかたで、ということです」
「はあ…」
「と言っても、自分も軍の先輩方から聞き知っているだけなんですけどね。
 なんでも『自分達のような歩兵程度から見ると一般の方と同じように隙だらけに見えて、そんな気配が全くないというのが一番危ない筋』なのだと…。
 例えば密偵や暗殺をしているような人種です。
 一般人から登用されて給料をもらってやる軍の訓練程度ではなく…訓練も相当のものですが、場合によっては子供のころから技術を仕込む。
 御者の方が武器を持っているのは後ろ姿で分かっていたので、隙の無さからそういう方ではないと判断しまして…情けないんですが、ちょっとだけほっとしてしまって…」
 コーウィッヂは疑惑除けのためもあってか、いやに真剣にジェレミーに応えた。
「このあたりに住んでいる人たちにそういった人種はいないですよ。
 皆おだやかに日常を過ごしている。
 ジェレミーさんの言うような気配がどうのというのは僕にはわからないですが…まあ、わからないでいいのは、幸せということですね、きっと。
 僕のことも、皆が守ってくれている」
 しんみりしたところで、あきれたようにキシアスが付け加えた。
「急に談笑を人聞きが悪い話題に発展させるなよジェレミー。
 今回の任務は俺とテトを万が一出現した魔物や肉食動物から守ることだろ。
 森の中で調査中に暗殺されるようなこと、俺もテトもしてないから」
「せいぜいバーで女の子口説き損ねたり二股かけたのがばれてビンタされたりくらいですもんね!」
「…うるせぇわ」
 ジェレミーはぷっと噴出して『すみません』と形だけ謝罪した。
 こんな真面目そうなのにどうやらジーとご同類らしいキシアス。
 『痴情のもつれの刃傷沙汰』はあっても『森の中で調査中にプロっぽい人の手にかかって暗殺』なんて陰謀渦巻くサスペンスストーリーはかなり遠そうだ。
 リアのものだろう軽い足音がダイニングのドアの外を通過していく。
 今の話が聞こえていたらたぶんあきれ顔をしているだろうと思いながら、ユンの心は軽かった。
 リアとは違って絶対聞こえていただろうチリカはしれっとした顔でデザートを運び込む。
 その彼女に対しても、昼間のような妙に癪に障るような心持ちにはならなかった。
 だからユンは、
—————きっと気が立っていて、私がおかしな考え方になっていただけだったんだ。
 そしてその事件が起きたのは、翌日の昼過ぎ頃だった。