領主館へようこそ 26

「ああ、料理人の手配の手紙は出したんで、後は部屋の中だけだよね。
 貴族じゃなくて実務担当だし、そこまで気を遣うことはなさそう。
 ていうか、魔物の調査担当だから多分あんまり部屋とか入らないでほしい系だと思う。
 祭りで忙しいのは理解してくれると思うから」
 中身もだけど、会話を成立させてくれたことにユンは胸をなでおろしつつ、
「調査と慰安なんて組み合わせするの、アリなんでしょうか」
「魔物っていっても、火傷とか擦り傷切り傷みたいな軽いケガで済む程度の小型のやつがたまに出る感じなんだ。
 ふつーに住民が駆除できるレベルのね。
 大型のはアンナばあさん曰く、ここ50年来見ないって。
 僕が知ってる限りも…そうだし。
 調査自体15年前にされたっきりってことで、戦後放置されてたけど一応再調査しようってことになったみたい。
 調査担当の好奇心を満たしつつ、田舎領の祭で楽しみつつってノリでも大丈夫でしょってことだよ」
「そうですか…」
 小屋で見た魔物避けはその50年前の対策なんだろうか。装備しすぎの気がしたが、標準がわからないユンが聞いてもきっとよくわからないだろう。
 聞き返せないことで会話がまた止まってしまった。
 普段日中だともうちょっとコーウィッヂ側から話が振られるのだが、夜だからか多少眠気が出てきているのか黙ったままだ。
 雨音は再び出来上がったユンとコーウィッヂの間を流れる沈黙を埋めていってはくれない。
「コーウィッヂ様は…いつ頃から領主様を?」
 聞いてはいけないかもしれない質問だ、と思いながらもユンはしまったという風に表情を変えることがない。
 それはユンのいつも通りの性質だった。
 わずかばかりコーウィッヂはユンに探るような視線を向けた。
「…10年ちょっと前かな」
「じゃあ戦争が終わる、あの頃に先代から?」
「うん」
 コーウィッヂの探るような視線は変わらない。
「…申し訳ありません」
 ユンはその意図──詮索されたくないのだろう──を察したが、コーウィッヂは対照的に表情を寂し気に曇らせた。
「…僕ね、ほんとのこと言うと、ここの領主の息子じゃないんだ」
 ユンははじかれたように顔を上げた。
「いや、いい。気にしなくていいから」
 大変な時に後を継いだんだな、くらいのつもりで言っただけなのに、コーウィッヂはきっぱりしていた。
「ユンさん、多分前から薄々変だなって思ってたんだよね。
 僕としてもベータとか、村の人とかと話したら、分かるかもなとは思ってたから。
 当たってるよ。その通り。
 よそ者なんだ僕は」
 少しずつ尻すぼみに語気が弱くなるその間、お互いじっと座して、手元までも動かないまま。
「元々は…個人でやってる輸送船の経理兼手伝い要員だったんだ。
 本当にお世話になったし、お世話もしたけど、その間にみっちり稼げた。
 船の仕事ぶりを気に入ってくれた人のなかにはだいぶ割り増ししてくれたところもあったし。
 そんな生活が続いて、いろいろあって…結局、船が解散になってね。
 お金は貯まってて、これからどうしようかと思ったときに、海より今度は山にしようかって。
 人の多い港街を転々としてたから、ひとところに落ち着いて生活したいなって。
 一人で人知れず自給自足してもいいけど、それじゃぁなぁ、と思った」
 ユンにはなんで『それじゃぁなぁ』なのかわからなかった。
 一人で人知れず自給自足、それはそれでいいんじゃなかろうか。
 そんなユンが口をはさむ合間などあるわけもなく、
「港で人づてに、小さい領地の中には若い人が戦で取られていなくなったり、もともと人が少ないところがあるとは聞いていて、そのうちのいくつかに行ってみた。
 で、エトワに行きついたんだ。
 先代は跡継ぎもなく高齢で屋敷にこもりがちになってたもんだから、話をしてそのまま僕が領ごと継ぐことになった」
「国の許可とかはいらないんですか? よその人間に領地を渡すのに…」
「僕が先代の正式な養子になったんだ。そのまま継ぐ体にしたってこと。
 ただ、丁度終戦前後のゴタゴタで国の手続き類はどこも滞ってたから、中央の調査が甘かったのはそうなのかも。
 しかも元々若い人がいた時でさえ、収穫期に村長が税金収めに行く以外村人と何にも接点ないってくらい意思疎通なかったんだって。
 今村にいる古株の人たちで先代の顔知ってるのってアンヌばあさんくらいかな。
 土地が豊かで小さい村だから、領主が何かしなくても領内の自給はできちゃってたんだろうね。
 飢饉の時とかは領主館の奥からご先祖の財産の取り崩しをばらまいたりして賄ってたって言ってた。
 僕が来たときはそれも尽きつつあって、なし崩しで領がなくなる寸前だったわけ。
 そんなんだったから、うやむやのうちに押し込んだと言われれば全否定はできないね」
 多少後ろめたそうにしていた表情を切り替えたコーウィッヂは、
「ま、だから新しく村人をかき集めて定着させるなんて荒業できたんだけどさ。
 その辺、村長からなんか聞いてたりする?」
 ユンが黙って頷くと、コーウィッヂはそっかと小さくつぶやき、そして雨粒が立てるザーザーという響きだけになった。
 ユンは何故かコーウィッヂとの距離感を広げまいと焦っていた。
 『召使いとしてあるべき分水嶺にとどまる』なら黙っているべきだし、ユンはそのほうが距離を近づけるのよりずっと得意なのにもかかわらず。
「前にベータ様とお話していらっしゃった、昔の知り合いの方ってどんな方だったんですか?」
 話すことを仕事やこの村のことから切り離した方がいいのかもしれないと思ったが、コーウィッヂの探るような視線が再びちらついてユンは汗ばんだ。
「…申し訳っ…その…」
 コーウィッヂが目を伏せる。
「うん、ごめんね。仕事の時間外なのに気ぃ遣わせちゃってるよね」
 ランタンのちらつく炎がブルーの瞳に映って燻る。
「ぃえ…」
 消え入りそうな声を出すユンだが、流石に主人を置いて暇を申し上げていなくなるわけにもいかない。
 何より立ち去ったほうがいいところを立ち去らずに居座ったのはユン自身だ。
「あの人はね、普通っぽく見えて実は一番変な人だった」
 口火が切られてなお、ユンはコーウィッヂの様子をちらちらと窺うことはできても、相変わらず正面を見据えられずにいる。
「一般常識や教養は一通りできてたんだけど、なんていうか…半分勘でやってる感じなんだ。
 動物的な愛想の良さと面倒見の良さと世渡り力っていうかな。
 本当に危なっかしくて見ている方は堪らないんだけど、その勘ってやつがなかなか侮れなくてね。
 ユンさん、考えてみて」
 さっきと比べれば少しずつ明るくなっているコーウィッヂの表情は、ランタン以上にユンを照らしていた。
「『こいつ、いい目をしている!』みたいなこと言って、人を選んで雇っちゃうお偉いさんって偶にいるじゃない?
 大体大した事なくて、それどころか時には地雷のトンデモ野郎だったりするんだけどさ。
 そういうのがなぜか全部良い方向で的中する人だったんだよね」
 話の中身よりも、コーウィッヂが楽しそうに思い出しているのにユンもとうとう顔を上げて、なんだか楽しくなって笑った。
「ね? ありえないでしょ。僕もそう思った。
 いつも子供みたいだったよね。
 大人が出る場所には出られるものをすべて兼ね備えたうえで…『愛される子供』ってこんな感じだろうなっていう雰囲気をそのままに大人になったみたいな。
 僕はあの人に人と一緒にいることの良さを教えてもらったんだ。それまでは本当にひどかったから。
 時々羨ましいとも思った。
 僕は『愛される子供』って柄じゃなかったし、今もそうだからね」
「そんなことは」
 コーウィッヂは一人ランタンの炎のほうに目をそらす。
「きっと出会わなければずっと分からないままで…なにより分かろうとする気もなかったと思う。
 おかげで一つ目標ができたんだ」
 ユンどころか誰も寄せ付けないような独り言のようになっているコーウィッヂは、開きかけた口を閉じてユンをじっと見つめた。
「ほんと、ごめん。付き合わせてるのわかって…」
 照れるような申し訳ないようなことをぼそぼそしながら冷たくなった紅茶を飲み干しているコーウィッヂ。
 『愛される子供』って柄じゃないなんて、そんなこと言わないでほしかった。
「コーウィッヂ様」
 コーウィッヂは取っ手をつまんだティーカップを微塵も動かさず、ユンの声に聞き入っていた。
「私、コーウィッヂ様のこと好きですよ」