あんなちょっとした事件が起こったけれど、その後はコーウィッヂもベータも割とさっと元通りだったのはどういうことだろう。
ユンがいぶかしんだのはほんのつかの間で、今コーウィッヂとベータは二人して二階の空き部屋にこもっているようだった。
夕食の支度をしながらユンは穏やかな気持ちでするするとジャガイモの皮を剥いていった。
ジーがすれ違いざまに顔トレなのか百面相をしているのが気になるが、それでもコーウィッヂのあの空気感と比べたら全然大したことではない。
息が詰まって、本当に空気が薄くなったような感じで。
おかげでコーウィッヂがここの領主なんだなと実感した。
領民や周りを説得したり、ちょっと強引に押しきったりするときはあんな空気を放っているのだろう。
コーウィッヂの愛らしい見た目とは裏腹に、時間が経つにつれ重さが増す感があった。
鍋に放り込んだ食材を煮込み出すと、ぶくぶくとアクが湧き出す。
ちびりちびり汚いそれをお玉で取り除くユンは、あの空気を一旦忘れようと努めた。
洗濯ものをたたみ、アイロンをかけ。
午後のティータイムが近づくと、その準備のすべての動作がユンに午前中の惨事を思い出させた。
今度は大丈夫だろうか。普通にできるだろうか。
というか二人、来るだろうか。
そのユンの不安とは裏腹にみんな定刻にダイニングにやってきた。
普通に定位置についている…ようだったが。
ユンが座る前にジーがベータの隣に座った。
そちら側に回りこもうとしたユンは、どこに座ればいいのかわからない。
おろおろしていると、コーウィッヂが自分の、ベータが座っていないほうの隣──普段はジーの席──を指さしている。
「こっち」
にっこり。
かわいいんだけどなんか怖い。
ジーとベータを見ると、ユンを見て頷いている。
「は、はぁ…」
曖昧な返事をしながら、着座すると、
「いろいろあった」
ベータの一言でコーウィッヂはベータをその笑顔のまま見返した。
ベータが目線をそらす。
どうやら密室で話していたのは設計の話だけではなかったらしい。
でもベータが心が読めるのを知っていてコーウィッヂはベータの隣にユンを座らせていたわけで。
コーウィッヂの笑顔が怖いのはやはり午前中のユンにはなんだかわからない何かを引きずっているということなのだろうか。
どうしていいのかわからない。
うつむくばかりのユンだったが、
「ふっ…くっ…」
笑い声が斜向かいのベータから漏れる。
見ると手に持ったティーカップを震わせながら、なんだか楽しそうにコーウィッヂを見ている。
「いや、ジョットがここまで人間臭くなるなんて、あの頃の誰も思っていないだろうと思ってな」
作り物みたいでちょっと怖いくらいの笑顔だと思っていたユンは、ジーの反応をうかがった。
笑っている。
そして頷いている。
『あの頃』を知らないだろうジーまで同意するなんて。
「なんだよ二人とも」
じとっと二人をにらみながら菓子を手あたり次第に口に詰めだすコーウィッヂだ。
疎外感を感じつつ、今起こっている出来事はどうやら悪いことじゃないらしいと安心しつつ。
自分で入れた紅茶を自分で味わうと、いつもと同じような味がした。
「いいじゃないか。一番望んでいたことだろう?」
「まあ…そうなんだけどさ。思ったよりしんどいよ」
「ならよかった」
恨めしそうなコーウィッヂと、やっぱり面白そうなベータ。
ジーも二人の間に割って入れなくなってきているのか、うつむいて息を吐いている。
「…あの人は喜んでくれたろうか」
ぼそり、とコーウィッヂが言った。
ベータはちらりとユンの顔を見て、ジーの顔を見て、コーウィッヂの顔を見た。
首を横に振るコーウィッヂ。
ベータは言った。
「間違いない。
ああいう人だったからな」
コーウィッヂが寂しそうに笑った。
「ありがとう」
「お互い様だ」
「ベータ、大人になったね」
「あのころよりはな」
穏やかな沈黙。
ユンはほとんどなくなった紅茶のカップをソーサーに下した。
かちゃりと音がする。
コーウィッヂははっとしたように顔を上げてユンに向き直り、うん、と独り言ち、一旦思いっきり息を吸い込んだ後、ベータを思い切り指さしてしゃべりだした。
「こいつ本当にね、めんどくさかったんだよ!
やりたくないと一切やらないし、自分の趣味で本来やるとこから横道に入り過ぎて変なことするし」
「は、はぁ…そうなんですか?」
「そうだよ!
乗り物がいるからって馬買いに行ってもらってたはずなのに、嫌に帰りが遅いと思ったらそのお金で材料買ってペガサス召喚して連れ帰ってきた時はマジでどうしようかと思った」
ペガサスって確か聖獣で、馬に翼が生えてて飛べるとかいうのだったような…。
とりあえず、おつかい感覚で呼べるものじゃないはず。
「あの時はちょっと魔が差したんだ」
「魔がさして聖獣呼び出す馬鹿があるかって話だよ」
「悪かった」
「そうそう、この『悪かった』『すまん』『ちょっと魔が差した』。
これでどんだけ僕が後始末つけたかと思うと、ねぇ?」
「若気の至りという奴だ」
「ほんとさぁ、こう…『俺が君に後始末つけさせてあげたじゃん?』みたいな?
ほんと人生の先輩に対して生意気なんだよも~」
「可愛い後輩と言ってくれ」
「え~!?」
大げさに反発するコーウィッヂに全力で『確かに可愛くはないな』と賛同したが、一瞬焦った。
ベータに…そういえばもうベータの隣じゃないし気にしなくていいのか?
どうやらその通りのようで、ベータは特にユンの脳内発言を気に留めた様子もなく会話を続けている。
コーウィッヂの様子だっていつものコーウィッヂの『も~っ(ぷんぷん)!』になったし、これなら明日以降、大丈夫そう。
ただ、ユンにとっての謎はまた増殖し始めていた。
結局コーウィッヂの実年齢はいくつなんだろう。
ベータという人が年齢不詳な感じなのでなんとも言えないが、昔と言える程度昔に苦楽を共にしての今なわけだ。
とするとやっぱり二十代では若すぎる気がする。
そのうえ現在進行形で耳にしているのはこの二人で旅をしていたような会話だ。
領主とか領主の子息ってそんなことするんだろうか。
そもそもこの領地の成り立ちをユンは何も知らない。
勝手に世襲だと思い込んでいたが、もしかしてそうではないのか?
ついさっきまで和気あいあいとしてくれることを期待していたユンは、そうなった今、今度こそ自分ひとり本当にこの領主館の空気から置いてけぼりされたような気がした。