疲れた。
夕食も終えたユンは高速で支度してベッドに倒れこんだ。
あとはもう寝るだけ。
疲れの質がおかしいことにも気づいているが、静かで虫の声だけ響く新しい自分の部屋は心地よく。
もう全身が泥のようだ。
ここまで疲れたのは前の雇い主になぜかいきなり依頼された『知り合いの土地の草むしり×1週間』以来。
早いとこ寝ないと。
明日は朝5時起床で朝食作り。
このままだと起きれない可能性すらある。
色々おさらいとかもしたいけれど、どうやっても無理だった。
枕に頭をのせ、最後の力を振り絞って掛布団を引っ張り上げる。
自分の体温で暖かくなっていく布団のなかで瞼が重くなる。
が。
ペタッペタタタッ
なんの音だ。
ペタッペリペタタッ
眠気と拮抗して聞こえる怪音は、明らかに屋敷内から。
だんだん大きくなる。でも、そんなに近くはない。
ペタタタッペリッ
音が止まった。
普段のユンなら見に行くのだが。
─────音止まったし、もういい。いいや。
コビやシロヒゲが夜中掃除したりしていると聞いた。
箒とモップのイメージではないし変だけれど、そんなことより眠かった。
とにかく、夜中になんかしてたりするんだから、音ぐらいするだろう。
ユンは考えるのにも疲れていた。
だからそう思ったのを最後にその日は記憶が途絶えた。
*****************************
「朝から贅沢だね…!」
コーウィッヂは朝のダイニングテーブルを一目見るや感嘆した。
ジーはガッツポーズをしている。
「たいしたものでは」
本当にない。
焼いたパンとサラダと、ありまちのベーコンをカリカリに焼いたやつと切っただけのチーズ。
「パンが焼かれているってのがもう画期的なんだよ。
『食べられる』って状態を満たしたものはこれまですべて食事と呼んできたからね」
こんなんで感動してもらえるならユンとしては大変ありがたい。
メニューは前の雇い先のまかないレベルで何とかなりそうだ。
昨日の夕食などから、目の前の男二人が思いのほか大飯喰らいだとわかっていた。
3食はそれなりの労働量だし、昨日はああ言っていた二人だけれど、超謙遜していて実際にその通り出してみたら『こんなんじゃダメ』とかあり得る話。
朝、ぶっちゃけ昨日の疲れが取れ切らないまま調理場に来たユンは不安なまま食材を選んでいたのだ。
ジーに手伝ってもらおうにも、朝ユンが調理場についた時には来る気配すらなかった。
そしてあらかた準備が整ってからやってきて、いきなり頭を下げだした。
ジー的な『食べられる』が本当にコーウィッヂが昨日話していた通りの感じで、今朝はユンの初調理場だから普段と同じくそのレベルのつもりだったのだろう。
勝手に手出ししたことを詫びるユンに手を左右に振り振り感謝を示したジーは、特に気を悪くしたこともなさそうだった。
カリカリだぁ…とつぶやいてベーコンをちびちび食べるコーウィッヂ。
ジーはもう食べ終わっており、ぐっと親指を立ててユンに感謝の熱視線を送っていた。
「ありがとうございます」
この感じなら昼以降もいけそう。
「ユンさん、今朝連絡が来て。制服の採寸、明日に延期で」
「はい。承知しました」
朝食がてらの業務連絡を終え、ダイニングをかたずけきるとシロヒゲがすかさず床を拭いてくれており、もう助かって助かってしょうがない。
前の雇い先ではそんな頻度で掃除なんてできず、ヘロヘロになったところで夜にやらないといけなかった。
コーウィッヂが『助かってる』と言っていた意味が翌日すぐ実感できるとは。
でもユンにはまだ一つ、気になっていることがあった。
拭き掃除。
初日、そして今も思う。
案内してもらった屋敷内のどの場所をとっても、ほぼ完璧だった。
平たいところなら普通に布で拭けば誰でもできるのだが、すみっこのほうはなかなか難しい。
ユンはその辺、細かくやれるほうで、前の雇い先でも好評だったので実は自信があるところでもあった。
が、この屋敷の完璧ぶりはレベルが違う。
部屋の隅の隅にもチリ一つなく、モップで何とかなる範囲は超えている気がしていた。
それどころか恐ろしいことに、ホコリを払うことさえはばかられるような彫刻も同じようにピカピカ。
ものすごく深い彫り込みの間も、だ。
ホコリが詰まっていないなんておかしい。
新品だってここまでだろうかと思うくらいだ、
唯一の例外が調理場で、今シロヒゲが通り過ぎたところのすみっこはユンが理解できるモップの限界点まで掃除されていて、角のほうは流石にちょっと残っている。
シロヒゲがこっちを見ていない隙を見計らってユンは痕跡を検証した。
ここがこれなら、やはりあの廊下のすみっこの超人的拭き掃除ぶりは。
─────みどりちゃん。
紹介はもうちょっと後でと言われていたが、ユンはがぜん興味が沸いていた。
─────この掃除テク、ぜひ盗みたい。
特に美術品の清掃がここまでできればちょっとした特殊技能じゃないだろうか。
そういうのが好きな金持ちのところに高給で雇われるのだって夢ではない。
万一ここを辞めざるを得なくなったときのため、常時スキルは磨く、それに越したことはないと思っていたユンは、師匠と呼べそうな存在の姿に思いを馳せた。
日中合間に事務処理の内容などをジーに聞きつつ、昼の支度をしつつ。
そんなこんなしているとあっという間に日が暮れる。
その間も、目に入るみどりちゃんの完璧な仕事の跡。
てんやわんやでわからないところもありながら、ジーに確認しながら進めていると、もう夕食の食卓に着くまではあっという間だった。
「今日どうだった?」
「あっという間でした」
「そっか。
僕としては二日目にして大助かりだけど、ハイペースで飛ばし過ぎないようにね」
─────やさしい…!
未だかつて言われたことのない労いにじ~んとしているユンをよそに、
「あと、気になるところとかあった?
例えばジーの態度が悪いとかさ」
ジーはコーウィッヂを肘でつついた。
「いえ、特には…」
「ほんとに?
いいよ、遠慮しなくって。
こっちも聞かれないと気づかないこと、あるから」
コーウィッヂの心遣いに、42歳という本当か嘘かわからない年齢がちらつく。
それは聞かない約束だと勝手に決めていたユン。
だから代わりに聞いてみた。
「みどり…さんって、どんな方なんですか?」