領主館へようこそ 3

─────ナニコレ。
 あいにくの曇天だけれど、木々にぐるりと囲まれたその丘。
 馬車の行く手をまっすぐに、真ん中に黄土色の道が続いている。
 門に近づくと壁に囲まれたその向こうにそびえたっていた。
 赤レンガ作りで飾り窓がたくさん。
 今まで2階建ての建物までしか見たことがなかったが、これはその倍以上の高さに見える。
 広さはもっとで、今まで見てきた大きいお屋敷がちょっとした物置に見えてしまうようなレベルだ。
 四隅にある尖塔は緑がかった屋根を帽子のようにいただいていて、てっぺんには星のモニュメント。
 細かいところに彫刻もあるようだけれど、どんなのだか見る暇もない。
 門の手前で一度止まった馬車は、門が開くと再び動き出した。
 前庭は噴水を中央に、精緻に刈り込まれた植え込みを左右に、花たちはそれらの中に絶妙なバランスで咲き誇っている。
 馬車はそんなユンに配慮してなのか、先ごろまで坂道を走っていた時よりずっとゆっくりと進んでいた。
 コーウィッヂは得意げを絵にかいたような自信に満ち満ちた顔で足を組み、その膝のてっぺんに組んだ手を置いて、お上りさんそのもののユンを鑑賞している。
 馬車が止まる。
「あ、と、ドアは…」
「そこ、押すと開くから」
 ユンは生まれて初めて自分で馬車のドアを開けた。
 すでに地面とドアの間にステップが用意されているのは至れり尽くせりそのもの。
 御者の『じい』の仕事が早いことに驚くよりも、自分の足元に気を付けることで精いっぱいのユンは、ふらつく体と脳みそに克を入れて何とかその二段を降り切った。
 改めて息を整え、建物を見る。
 それは馬車という小高い視線から見るよりも、はるかに重厚感を帯びた。
「ようこそ我が家へ」
 領主館。
 これが個人宅。
 事前に聞いていた話の通りならコーウィッヂに同居の家族はない。
 親戚はわからないけれど、独り身だという。
 とするとあと他にいるのはユン以外に雇われているであろう住み込みの使用人たちだけ。
 何人雇っているのか。
 何人が必死で働けばこの広さがこうも手入れされた状態になるのか。
 前の奉公先はユンを含めて6人が働いていたが、ここよりずっと狭かったけど庭にはもっと雑草がひょこひょこ顔を出していたし、縁石が割れたりとかしていて年期が入った感じだった。
 ここは歳月を感じない。
 すごく昔からあるような造りに見えるし、昨日今日建ったわけじゃないはず。
 いや、そう信じたい。
 ユンの足元は馬車から降りてすぐよりもシャキッとしてきたが、考えたことがないことを考えた頭はますますぼーっとしてきた。
「ほら、おいで」
 コーウィッヂに手招きされるまま、ふらふらと玄関の階段を上る。
 コーウィッヂの背丈の2倍以上ある扉。
 ユンは自分で開けられなさそうだと嘆息していると、
「ここだから」
─────ドアの中にドアが付いてる。
 その観音開きのうち左の戸板、本体の中央についている小さなドアのドアノブをコーウィッヂは掴んでいた。
 その大きさは普通のお宅と変わらない。
「失礼します」
 心からほっとしながらそのドアの内側へと足を踏み入れる。
 予想が追い付いていなかったため、ユンは心の準備をしていなかった。
 予想していたら、おそらくそれを全く裏切らない方向での衝撃を受けたろう。
 でもユンにはもうその気力が出てこず、衝撃を受けることすらできなかった。
 白に黒い斑点やヒビのようなが入った石材──高級なのだと噂で聞いたことがあった──で床が埋め尽くされている。
 しかもただ埋め尽くされているのではない。
 微妙な色のトーンの違いで幾何学的な模様になっていて、そのくせ段差一つなく外からの光を反射している。
 その外からの光は、この玄関の吹き抜けの上にある多くの窓から降り注いでいた。
 床だけでなく、階段の手すりや随所にみられる木材の美しい木目もそれを浴びて輝いている。
 当然のように随所に木の葉と果実を模した彫刻が施され、やはりその隙間にもチリ一つない。
 常時人が触ったり歩いたりした後をつけてハタキをかけているとか、箒で掃いているとかでもしない限り無理じゃないのか。
 でも、おかしい。
 誰も出てくる気配がない。
 それどころか、さっき馬車を動かしていた御者の『じい』すら見当たらないのだが。
─────どっかに勝手口があるんだろうな。
 これだけ大きなお屋敷だ。
 むしろないほうがおかしい。1つどころか2~3個あるかもしれない。
「疲れたよね。
 ちょっとここで待っててね。
 お昼の支度するように話してくるから」
「え? あ…は、はぃ」
 コーウィッヂはそう言って、どこにいるのかもはっきり認識できていないユンを置いてどこかへ行ってしまった。
 この部屋から出て行ったのは間違いない。
 が、この部屋とは?
 はたと辺りを見回すと、どうもダイニングのようだ。
 広すぎる。そして無駄にでかい机。
 多分あのお誕生日席に普段はコーウィッヂが座っているのだろう。
 あの椅子だけビロードの背もたれた擦り切れていた。
 しかしやっぱりおかしい。
 主人が帰宅しているというのに出迎え一つないなんて。
 比較的厳しくないといわれていたユンの前の奉公先でさえ、帰宅時の出迎えなしは叱責の嵐だったし、厳しいところだと一発でクビになる。
 そういう時って普通、主人は大声で呼ぶとかして、それでその呼び声一つで誰かしら飛んで来る、召使いってそういう仕事だ。
 広すぎて聞こえない? いやいや、近くで待機しているはずだ。
 その証拠にユンの耳には今、ザッザッという音が聞こえている。
 足音っぽくないけれど。
 何を引きずっているんだかと、音のする背後へを視線を向けた。
 ザザッ!
─────ん?
 何かが視界を横切った。
 が、何も。入ってきたドアがちょっと遠いところに見えるだけだ。
─────絶対いた。
 引っ込み思案な人なのか?
 でもそんなんで召使いなんてやれるかよ、と悪態気味になりながら正面に向きなおる。
 ザッザザザ…
 再び何か引きずるような音。
─────もう。
 とっとと出て来いよ。
 再び何かが視界を横切ったけれど、その人らしき姿はない。
 正面を向く。音がする。
 例の遊びをしているつもりもないのだけれど、結果的に今そんな感じだ。
 繰り返すこと数回。
 ついに、音がしなくなった。
─────あの遊びだとそういう時ってすっごい近くにいて、背中からタッチされて、『鬼交代!』
 ばかばかしい妄想になんだか楽しくなりながら、ユンはゆっくりしていた今までとは違って、一気にスピードを出して振り返った。
 誰も人はいなかった。
 代わりに箒だ。
 さっきまで確実に何もなかったダイニングの、テーブルを取り囲む空間。
 ユンがほんのちょっと手を伸ばせば柄を掴める、そのぐらいすぐ目の前のそこ。
 まっすぐ縦になったそれは、物理法則を無視してふんわりと浮かんでいた。