昼と夜のデイジー 35

デイジーは今日、気付いた事がある。
「…う゛〜ん…」
「…」
「…わたくしはいいと思います! この木の葉の色とか…。
それに、…ど、独創的な…この…うねるような木の幹や混ざり具合が…」
―――――私は画家にはなれないのね。
今日はお茶のあとも天気が良く、晴れて絵の道具の出番となったものの、蓋を開けてみればこの始末。
ドルとヤマダはコメントに困り、メイド長に褒められたのは絵の具のチューブから出したまま塗ったところ。
初日と比べてこの場にいる面子が少ないのだけが救いだ。
馬車の都合上、メイドは一人ホテルに残り。
グィーガヌス刑事らは今日はついて来ず――と口では言っていたが、ちょっと離れたところから内密に後を付けられているんだろう、多分――。
グィーガヌス刑事がもしこれを見たら。
先日の『オジョウサマ』に続いて、金持ちの道楽とか何とか、そんなことを言う、いや言わなくてもそんな顔をする予想は容易についた。
そんな今、ようやくドルがコメントを吐き出している。
「まあ、なんも説明とかしてないですしね。
取り敢えず例によって現状把握したかったんで。
今日はもう時間もないし、次からちょっとずつ。ね」
「そういうもんなの?」
ドルは一瞬言い淀んだ。
「人によるとこもあるけど…」
デイジーは才能のなさを噛み締め、自分が塗ったのよりずっときれいな空色の天を仰いだ。
「何事も初めてはあります。
人にはそれぞれ自分の持ち物ってものがありますよ。
大丈夫」
寝込みがちなデイジーにとって、メイド長の慰めは病床で聞き飽きていた。
ある分野に関してあまりに『持っていない』場合はどうすればいいのだろう。
息抜きのスケッチが軽く恥曝しだった場合は?
ベッドに臥せっていたころ、自分の体について同じように問答し、出た答えはこれだ。
『あきらめるしかない』。
でもデイジーは俯かず、あえて慇懃な口調のドルを凝視した。
「すねないでくださいよ」
メイド長達がいるためか、終始の敬語が嫌で堪らない。
「わかりましたわ」
メイド長に絵の道具を渡し、周辺が撤収されていくのを見つめる。
デイジーの背後にはヤマダがそびえているが、家の入り口に立つメイド長とドルから笑い声が聴こえると、疎外感はひとしおとなった。
行きの馬車も、今日はドルと同じ馬車に乗っていたけれど、斜向かいのドルは隣のメイド長と一言二言会話し、あとは無言。
ドルは窓の外をながめたり、馬車の中やデイジーの隣のヤマダの顔を眺めたり。
ヤマダは元々訝しんでいたドルを、昨日までのあの変な所を凝視する猫のように見つめ続けていたし。
メイド長はメイド長で、今日持って来たおやつなどの事務連絡をして、多少の世間話の体を取り繕っていたし。
昨日あんなにドルと近付いたのに、今日はこんなにも遠くにいる。
そして今日はこれで帰って終わり。
グィーガヌス刑事にアリバイとやらをチェックするためと騒いだためにドルはホテルまで付いてくるものの、これ以上の課外学習はデイジーの体力が持たなかった。
―――――こんなんじゃ全然だわ。
折角の休暇なのに。
折角の時間なのに。
折角の、旅行なのに。
いつもの旅行にしたくない、そう思って来たのに、デイジーの体調や周りの都合が整うと全てが仕事、表面的になっていく。
いっそ倒れたらいいのかと妄想してみる。
が、倒れたデイジーを抱えているのはヤマダであってドルではない。
妄想の中でさえ、ドルはメイド長と会話し、神妙な顔で薬局の場所と医者の居場所を彼女に伝えていた。
―――――まぁ! なんて現実的なんでしょうワタシ! 泣けてくるわ…。
悪態も内心でしかつけない。
こういうんじゃなくて、楽しい夢を見てみたい。
馬車に乗り込みながら、そんな思いは直隠す。
動き出した窓の外の風景は長閑で、デイジーの煩悶など露知らずだ。
「…いいでしょうか?」
「え?」
完全に上の空だった。
馬車内の他の3人の視線を一同に集めていることに気付く。
「あの…もう一度おねがいできます?」
「…大丈夫ですか? お嬢様」
本気で心配げな表情で鞄の中の、おそらく薬箱に手を伸ばすメイド長を静止する。
「ちょっとぼーっとしてしまって…」
「僕の、祖母に会ってもらえないだろうかというお願いをしたのですよ」
「おばあさまに?」
「時々、お嬢様のお話をされていて、お会いしたいとのことらしいのです」
一体全体どんな話をすればデイジーに会いたくなるのだろう。
デイジー自身、『病弱なくせにいたずら好きで、最近ちょっと落ち着いて勉強しだしたけど何時までもつのやら』というのが第三者からみた正当な評価だろうと思っているだけに、考え込んでしまいそうになる。
「明後日、場所はここに来る途中ですし、午後のこの絵の時間くらいは何時も祖母の体調もおちついています。
正直に、この田舎町で、少しでも祖母の楽しみになればと。
不躾なのは承知の上です」
「旦那様は、旅行中の行き先の類は刑事さんに確認が取れていればかまわないとの話でして」
グィーガヌス刑事がNOと言わなければOKなわけだ。
デイジーの予想では多分言わないだろう。
というか、いつもと違う行動で尻尾を出さないか舌舐めずりするくらいではなかろうか。
探るような視線をデイジーに送るドルとメイド長。
「ええ、かまいませんわ」
これで多少なりともドルの気が和らぐなら。
「ありがとうございます!」
ドルは破顔した。
デイジーの目の前が一気に照らされたようになった。
馬車の中は別に変わらないし、ヤマダも変わらないし、メイド長は多少ほっとしたような嬉しそうな顔になっているけれど。
「祖母が喜ぶ」
ドルは言いながらまた喜びを噛みしめるようにうんうんと頷いている。
それを見たデイジーも、一層嬉しくなった。
よかったと思った。
―――――なんで私が喜んでるんだろう。
ほっとするのは、ドルのはずだ。
喜ぶのもドルのはずだ。
デイジーは外野でしかない。
そもそもいままで他人にされるばかりだった『お見舞い』という行事に、デイジーはいいイメージを持っていない。
儀礼的に頼まれて、形を取り繕って、デイジーが好きでもなんでもない花や果物を置いていくだけ置いていって。
あとは父親と商談していたり、母親とアフタヌーンティーパーティーとやら。
デイジーの顔を野次馬しにくるならともかく、場合によってはそれすらせず、メイド長に言伝と『お見舞いの品』を置いていって終わり。
つまり客たちは、デイジーの顔を見る』という仕事をしていた。
ドルの喜びようも、今の私の喜びも、その『お見舞い』とは別のもののように感じる。
別の馬車の轍をなぞったのか、一瞬カクンと揺れた馬車は、持ち直してそのまま真っ直ぐにホテルへと進んでいった。