昼と夜のデイジー 13

本当に来るのだろうか。
時間すら言わなかったドルのことが気になって、もう既に夜十一時である。
眠い。
でも、眠りたくない。
―――――だって、箒のこと、気になる。
今日は風もない。
雲もない。
モップでの飛び心地は私にはわからないが、きっと飛びやすいのではないだろうか。
寒いのだろうか。
この間予習と称してドルに読まされた本では、速度が出るに従って風圧は…などと書かれていたが、あれだけの速さで飛んだら吹き飛ばされてしまうのではないだろうか。
ごちゃごちゃ考えているうちに、窓を叩く音が聞こえた。
左下にドルの顔が覗いている。
なんだか切羽詰まっているよう。
声は聞こえないが、口は『ハヤク、アケテ』と動いていた。
窓の鉤をはずし、開けると、ドルが飛び込んできた。
小汚いモップはゴロンと床に転がった。
「うわっ」
ドルが小さく声をあげた。
私はドルの目線の先、窓の外に顔を向けた。
左の頬を、ヒュッと何かが通り抜けた。
竹箒だった。
しかも、動いている。
それは飛来するなりドルをばしばし叩き始めた。
「いてて…やめろって!」
夜であることを配慮して、悲鳴も小声である。
「ドル?」
私は不信な声を出した。
すると箒はピタリと動きを止め、ゆっくりと浮かんでこちらへとやってきた。
そして私の右手に収まると、これまたピタリと止まった。
箒。
まさか。
見覚えが…
「デイジー。
本当に何にも知らないの?」
今度はドルが不信な声を上げる番だった。
私は箒から手を離し、窓を閉めた。
箒は倒れないで縦に立ったまま。
月明かりで見えるこのぼろ具合。
まさにあの日、隠し部屋からなくなった箒だ。
私が再び箒を握ると、今度はモップが起き上がった。
私の方に近づく。
そして。
私の手は、そのモップの柄の部分で叩かれた。
「いたっ!」
思わず箒を放すと、箒とモップは一緒に倒れこんだ。
「ん、これはもしかして」
そう言ってドルは箒のほうを手にとった。
だが、何度やってもただの箒である。
モップのほうも動かない。
モップのほうを手にとると、箒が動くのだ。
「ヤキモチかよ、お前」
私はもう全く展開についていけていない。
「デイジー」
ドルは私に近づいて、囁いた。
「箒に見覚えは?」
私は力強く頷いた。
「隠し部屋にあったの、これ…だと思う」
だんだん自信がなくなってくる。
「だよね…。じゃあ…箒がなくなる前、君はなんかいつもと違うことしてなかったかな?
例えば…箒を拭くとか、蹴るとか…」
「さあ…思い当たらないわ」
もう頭が混乱していた。
声が少し震える。
「…分かった。
今日はこれで帰る。
事情とか状況とかは、明日説明する。
じゃあ」
ため息をついてちょっと諦め顔のドル。
窓を開けるために、ゆっくりとこちらへやって来る。
必然的に、私の近くに来ることになる。
ドルは窓を開け放ち、振り向いて、私の頬に手を当てた。
ドルの手は大きい。
男の手だから、当然だ。
親指で私の唇を少しなでた。そのまま少し止まった。
そのときのドルは、何かを堪えているようだった。
すぐにその手は離れ、いつものようにぽんっと頭を叩くと、箒とモップのほうに戻った。
「お休み」
言葉を出すや否や、ドルはモップに乗った。
浮かび上がったモップとドルは、一直線に窓から飛び出した。
箒はその後を追うように、いや、全く同じ線上をなぞり、窓から出て行った。
あっけにとられながらも、窓を閉め、鉤をかける。
ベッドに横になる。
正気が戻ったのはその辺りだった。
先ず、ドルが自分にしたことを思い出す。
自分の体温が急上昇するのが分かる。
―――――赤面モノじゃないのっ。
そう思いながらその通りに顔が火照っていることで、益々恥ずかしさが増していく。
「…~っ!」
ベッドの中で改めて絶句する。
それはさっきのような、驚きによる絶句ではなく。
ドルの目。
指の感触。
いつものドルじゃない。
ドルが、男であること。
それを強烈に意識せざるを得ないような。
「何…なのよぉ」
その夜、私は例によって浅く短く眠ることしかできなかった。