新説 六界探訪譚 9.閑話休題ー3

来てしまった。
上野公園。
足がなんかむにゃむにゃする。
昨日夜更かししたおかげで午前中一杯寝て過ぎ、やっべ遅刻だと思って脊髄反射でダッシュしたからここまで来れたものの。
そしたらそしたでじっとしてたくない今のこの感じ。
何度ケータイを眺めたことだろう。
公園の時計と見比べさえした。時間、ズレてなかった。当たり前だ。電波繋がってるから。
コウダ、未だ来ず。
まだ10分あるから。
あと9分35秒…。
34、33、32…。
むうー。待ってると長いってこの前四月一日が言ってたな。
あれはカップ麺だったけど、人も待ってると長いぞ。
しかも食い物と違って、コウダが来たことで苦行が終わって喜び来たるってわけじゃないからなぁ。
あ? あれか?
ぼんやりと賑やかな上野公園の広場を眺めると、割とすぐに雑踏の中にそれらしきシルエットを発見した。
ハンチングっていうらしいと分かったあの帽子をかぶったそれは、いつもよりもこそこそして見えた。
俺の思い込みか?
それにコウダも早い?
時計を見るとまだ7分前。いつものぎりぎりじゃない。
コウダは、どう思ってるんだろうか。
俺やっぱ謝っといたほうがいいのか?
しないとだめか?
コウダもコウダだったじゃんか。
次第に大きくなるコウダのシルエットに苛立ちともやもやが手に手をとって俺を支配していく。
嫌な事の後の当事者の臭いはひたすら鼻についた。
「逃げなかったんだな」
一言目も鼻につく。
てか逃げるって選択肢ないじゃん。放置したらまず消えるんだろ、俺が。
くそったれと思っても例によってほぼ動かない表情筋が今日は有り難い。
コウダは俺の横に来ても無表情のまま。
そのまま腰を降ろしたから、俺もそれに倣った。
癪に触るのはそのままだけど。
無言。
無言。
無言。
息が詰まりそうだ。
多分1、2秒なんだろう。
なのにもう10分も20分もそうしてるような気がしてくる。
でもな、やっぱな。ヤなんだけど。うぅ…。
…うん。
引きずるよりずっといい。そうだ。
思い切って力一杯でっかく口を開いた。
「…ぁ」
残念。でっかく開いたつもりの口は、気持ちと裏腹に空気の隙間くらいしか開いていなかったらしい。
あのさ、と言うつもりが、吐息とともに途中で切れる。
だめだぞ、言わないとだめだ。
大人になるんだ。
認めるんだ俺。
あれは、俺の八つ当たりだった。
「ごめん」「わるかった」
かぶった。
かぶったのにびっくりして、一呼吸置いてからコウダの方に首を回すと、コウダも同じタイミングでこちらに首を回していた。
「大人げなかった。すまん」
すぐさまコウダは続けた。
「正直言うと俺もちょっとあれは堪えた。
でも、生活と、お前の次があるから」
「俺…」
俺の言葉を遮って、コウダは続けた。
「一つだけ。
色々『中』で見たけど、あれがその人そのものだってわけじゃない。
武藤さんはあのとき偶々ああだったってだけっだ。
あのちょっと前とか、ちょっと後だったら、全く別物になってるかもしれない。
友達と遊んでたかもしれない。
佐藤くんと仲良くデート中だったかもしれない。
一家団欒だったかもしれない。
俺たちは本当にごくわずかな瞬間を切り取って見た。
だから、それを基に普段のこの人はこうだって、決めつけたりするなよ」
ほっとしたようななんというか。
いつものコウダだ。
「謝罪かと思ったらお説教かよ」
ライトに毒付くと、ライトにお説教返し。
「謝罪兼忠告だ。
来週からのお前の学生生活のための、な」
もっともだった。
実は来週から武藤さんにどんな顔しようかと思ってたとこだったのだ。
佐藤と付き合ってんじゃねーの?
弐藤さんのこと、嫌いなんじゃねーの?
好きなの? 異物なの? 崇拝してんの? 嫌いなの? 辛いの? 平気なの? 何とも思ってないの?
『普段武藤さんとの接点無いくせに今から不安になったってしょうがないだろっ!』
そんなセルフツッコミを入れるくらい、考えてもしょうがない例のもやもやの一つは、コウダの言葉で多少薄くなった。
「でも、やっぱ後味悪いし、『中』に入らないで済むならそうしたい」
気持ち悪かった内訳ーー動きとかなんとか、あと、矢島の『耳なし邦一』そっくりだったこともーー一通り伝えると、思いもかけない言葉だった。
「俺も『中』になんて入らないで済むなら入りたくない」
空白が出来た。
ちびっこがキャハハと甲高い声を上げて走り回るのがうらめしくなりそうなくらい、大人の空白だった。
「普通はああいう落ち込んでそうなときは荒れるし狙わないんだ。
本人に悪いってのもある。
あと、その…『耳なし邦一』そっくりってのな。
本人が実際にヤジマくんの書いた絵を見たからかは分からん。
本人が自前で作り上げたイメージが、偶然別の何かにそっくりってことは結構多いから」
また空白。
何か思い出してるんだろうか。
あの夫婦プラス子供の3人組を目で追ってるみたいだ。
コウダの次をまちながら、そうするコウダを観察してみる。
父親が抱き上げた子供を下ろすと、目を伏せて話を続けだした。
「世界観の推測に以外で『中』の情報を細かく分析をしだすと堪える。
無理かもしれないが深く思い詰めるな。
あの場で必要だった事柄は3つ。
一つ目。本人が落ち着いて無かった。だから、狭く迷路状になった『中』の形はころころ変わった。
二つ目。本人が侵入者に気を配る余裕すら無かった。本人が俺達の真横を通ってもスルーだった。
三つ目。本人の考え自体が狭くなってて頭の中で嫌な記憶を思い返して堂々巡りするような状態だった。お前が気持ち悪いって言ったような、重たいイメージが繰り返し登場したのはそのせいだ。
このくらいまでにして、あとは捨て置くべきデータとして扱った方がいい。
ただ、最初のアンドウさんのときからずっと、基本、スケジュールが無茶だからな。
侵入には向かない性格やタイミングの、レアケースばっかり集めてる感じだと思っておけ。
普通はもっとマイルドだ」
いい終わって安堵したような表情になるコウダ。
でもね。
「そういう問題じゃないよ」
嫌だな、って事なんだよ。うん。
コウダのしみじみした話し振りに、こっちもしみじみした言い方になる。
返事もしみじみしていた。
「…そうくると思った」
前半は。
「そこで、だ」
ん? なんかやらないで済む案あるの?
コウダからの提案なんて怪しいことこの上ない。
「次は休み明けになるから、それまでの間に慣らし運転でやる練習場所に入ってみないか?」
一瞬考える間が空くものの。
「今更ぁ~?」
思わず声がでかくなる。
だってもう本番やってんじゃん。意味なくない?
しかもこの先『中』に入りたくないっていう俺の気持ちの問題解決にはならないし。
期待して損した。
「さっき言った通り、休み挟むだろ?
だいぶ『中』に慣れて動けるようになってきてるのに、勘が鈍られても困る。
その間お前の消え方も気掛かりだし。
様子見と気分転換兼ねてな」
俺がじとっとしてるのを感じとったようだ。
「誰か特定個人の『中』ってわけじゃないから」
だったら、多少は気が楽か。
でも『中』って人の頭の中なんじゃないのか?
それに、そもそもなんだけど、
「それで死んだら元も子もないじゃないか」
「あそこなら大丈夫。
時間制限はいつもどおりあるけど、他に命に別状はないし、不安要素もほぼないから」
全然安心できないんだけど。
コウダ的な『大丈夫』でしょ? 不安要素も『ほぼ』ない?
佐藤の時にその手のセリフ聞いた後どうなったか、忘れてないからな。
「じゃ、そういうことで」