新説 六界探訪譚 9.閑話休題ー1

かつて土曜日がここまで落ち着かない事があったろうか。
もちろん悪い意味で。
武藤さんの『お母様』とあのダンスシーン。
弐藤さんへのあの仕草。
佐藤の『地球からじゃ手が届かない』発言。
コウダのあの目。
そして、『まだ続きあるぞ』。
あの日の帰りから睡眠時間を挟んで今の今までずーーーっと頭ん中をぐるぐるぐるぐる。
マジ明日来なきゃいいのに。
武藤さんの『中』があるせいでもともと薄かったその翌日の体育祭の存在感が、さらに薄れる嫌さ加減。
じいちゃんが逝ったときはベクトル違ったからなぁ。
金曜日の昼に四月一日ん家に行く予定を断ったの、失敗だったわまじで。
心から後悔しはじめて早30分。
学習机の上に置かれた基盤ーーこの前拾ったーーの掃除は全く捗ってない。
それどころか、デカい埃に多少近づけてエアダスターを噴射したところ、時々出ちゃう変な白い塊が命中。
ますます取れにくくなってしまって今に至る。
母さんが来る秋休みが来週からで本当によかった。
親父は多分俺の悩みに気付く余裕なんてないはず。
落ち込むオレとは逆に、例年通り変に盛り上がって昨日の夜からせっせと部屋中掃除しだしてたから。
けど、母さんは違う。
多分根掘り葉掘り聞かれて変な気遣いが始まり、そしてきっと言い出すだろう。
『お昼ご飯つくってあげる』って。
苦手な料理を頑張ってるとこを見せることで息子の気持ちを少しでも元気づけようというあれが。
メニューはラーメンか素麺か、麺類なのは間違いない。
どうせ茹で過ぎか半生で、ところどころくっついてるんだろうけど。
それだけならまだいいんだけど。
母さんはこういうとき頑張ってしまう。
そして地雷を踏む。
一風変わったトッピングにしようとか、スープに隠し味しようとかいう、料理下手な奴が絶対やっちゃダメなあの地雷を。
さらに大体晩御飯の時間に準備が間に合わず、食べだしてからも母さんが台所で立ちっぱなしになる。
そのまま初回の失敗を挽回するべく複数回リアルタイムトライして更なる失敗を生み出していく。
結果的にわんこ蕎麦ならぬ、わんこラーメン、わんこ冷麦に。
普通なら『う〜んイマイチ』以上に不味くなりようがない料理が、アレンジの違いで何種類もの異次元を演出する阿鼻叫喚の刺激的なエンタメになっていく。
最後にあれに挑戦するはめになったのは小学校6年生の夏、わんこ素麺だった。
当時の友達連中とネトゲのアイテム集め失敗が原因でケンカして、くさくさしてた時だった。
『期待しといて!』。
あの一言が地獄の一丁目に差し掛かった合図だったんだよな…。
当時をしみじみと思い出す。
一袋198円、二つで300円というお買い得品の普通の素麺。
それは母さんのマジックハンドによって『こ、こんなの見たことねぇ!』って感じにメタモルフォーズし、食卓を制圧していった。
立ち向かうは相羽家男子一同。
取り皿に投下されたブツーーオリジナルレシピによってもはや『白い麺』とは言えなくなっていたーーを、『なかなかイケるじゃないかコレ』みたいな顔して黙々と取り込んでいく親父。
漢だな、と思った。
あれは今まででも数少ない、親父を心から尊敬した瞬間だった。
じいちゃんは『ちょっと胃の調子が悪くて…』。
そして茹で上がったばかりの麺にお湯割りした麺つゆをかけて多少食べ。
『ごちそうさま』と、母さんに作ってくれたことへのお礼、そして食べられないことへの謝罪をしてから、席を離れて寝室へ。
大正解!! と思った。
じいちゃんの誰も傷つけずに丸く収める配慮に感動した瞬間だった。
俺は親父ほどではないものの、頑張って飲んだ。
母さんにありがとうも言った。
そしてリベンジを誓って母さんが帰った後、暫く食卓を極端に和食さっぱり系に寄せ、親父の胃袋が時間をかけて落ち着き、揚げ物が出せるようになると収束宣言となる。
2週間近く要ったからなぁ。
食べるのもしんどいし、気持ちもしんどいし、後の献立もしんどいし。
発端が真面目な親心ってのもよろしくない。
そのうえ母さんは変なところで押しが強く、こうと思いこんだら最後。あの手この手で説得にかかって来た上、絶対折れない。
経営者ってやつだからだろうか…いや、ただ単にそういう性格なだけだろ。うん。
『やらせてください』って母さんから頭下げてまでの押しの一手、もう要求を飲むしかなくなり、結果じいちゃんと親父ーー特にじいちゃんーーが文句言い辛い状況が余計申し訳なかった。
だから極力そういう雰囲気は出すまいと、そのためだけに母さんが来る前に凹みそうな予定を入れないという計算までしてた昨今。
今回のは不可効力だ。
どうしたもんか…。
一番いいのは明日コウダに謝って、向こうもまあいいよってなって、スッキリすること。
でもなぁ。
正直、頭下げる下げないっていうより、もう『中』に入りたくないってのが今の気持ち。
自分が気にしてなかったってのはそうだけど。
でも、だって、やっちゃダメだよ。やっぱり。
こそっと裏口から覗くなんて。
だからって他に代案ないんだけど。でもさ。
あいつがゲス野郎なのだって、間違っちゃいないわけだろ?
癪に触るのだって確かなわけで。
そんなこんなでぐずぐずと。
一度禁じ手って自覚しちゃったらもう雪崩式。
『中』に入った時を思い出す度、『駄目だめダメvvvv』『くそったれがぁああーーーー!』『てかウザイまじで』的なセリフが2chのテロップの如く大量にその光景に被さって流れ、それらをかき消していった。
なんか別の画像でも見たら今のイメージ上書き出来るかなぁ。
のろのろと1階に降りてPCの前に座って電源を入れる。
いつものオレンジの円が表示された。
矢島ん家に行くといつも思うけど、みんな普通これじゃないんだよなー。
四角いマークのやつなんて学校でしか使わないって小学校の途中まで勝手に信じてた。
普段ブラウザで動画なんかをだらだら見るくらいしかしないから、別に不便もない。
親父が安いPC買ってきて色々いじったやつで、ネトゲ非対応スペックってとこだけは玉に瑕なんだけど。
ない袖は振れないってことだからしょうがない。
黄緑の狸のマークのブラウザを起動すると、YourTubeの上昇リストの一番上を取り敢えず再生。
いつもはもうちょっと気乗りするのに、何だかそぞろな感じが消えない。
がらがらと引き戸を開けて親父が帰って来る音で何故かホッとするくらいには、集中できていなかった。
よっこらせ、と荷物を下ろした親父。
チラリとこちらを見ると、休日出勤の荷物を置いて着替え、作業着を風呂場で洗い出す。
何となく俺も風呂場の方に行ってみた。
親父の背中が丸まって揺れている。
ブラシで襟を擦る音とリンクするそれを見ていると、頭ん中のおかしなブレもそれに沿ってリズミカルになっていった。
洗面台の鏡を見る。
午前中に抜糸した後の額の傷は真っ直ぐな線になっていた。
糸の跡も多少残るかも。
ああ、だめだまた色々ぶり返してきた。
何となくその場で首を横に振ってみる。
「傷、痛むのか?」
いつの間にか横で洗濯機に作業着を放り込んでた親父は不信に思ったらしい。
じっと親父を見て止まり、NOの意味で軽くまた首を横に振る。
親父は、ん、と了解の一声を出して居なくなった。
かと思いきや辺りを見回している。
はー、掃除漏れチェックか。御苦労様。
てかなんでそんな掃除好きなの?
親父がPCの前に座ってしまったけど、スマホは空いてる模様。
「スマホ貸して」
「ん」
手元のスマホを俺に差し出し、軽く猫背のいつもの姿勢に戻ると、マウスに右手をそっと置いた。
Wifi&スマホで見る動画はPCよりも快適。
SNSチェックをし出すけど、やっぱり気もそぞろ。
そもそも苦手だから。
つぶやいたり会話したりっていうのがリアルで苦手な人間でも、ウェブならできるだろうなんて一体誰が決めたんだ。
あれもこれも苦手、そういう奴だっているんだぞ。
流れるスレを追いながら、苛立ちを転嫁、いやそっち方面にも分割増幅させていく。
さっきよりも苛立ちの本質が相対的に小さくなったような?
あー、もう根っこからくさりそうだ。
時間だけが過ぎて行く。
だいぶ早い晩飯の支度しようか?
うー。
どうしよう。