新説 六界探訪譚 8.第四界ー8

同時に前に手を伸ばすも、差し出されたコウダの手には届かない。
両足になんとか力をかけ、ぐっと右に身動ぐ。
ぬぅぉぁアアァああああああああああああああ!!!!
ゴツッ…どさっ。
間一髪。
俺の肛門は死守された。
代わりに左の尻たぶの骨が出っ張ってるらへんに直撃。
棒の上から滑り落ち、右の腰らへんも床に打ち付ける羽目になったけど。
ぃっててええ…。
目の前まで漸く降りてきたコウダの手を無条件でつかんで立ち上がる。
足を引っかけたとき、床のへこみの角でアキレス腱も擦ったみたいだ。火傷したような熱さがあって。
生まれたての小鹿にはなりたくないんだけどなぁ。
いたしかたない。
このままコウダの手にしがみ付き暫くキープさせてもらって、なんとか痛みが抜けるのを待とう。
体力的には全然なのに息切れする。
立っていると痛みはじわりと拡散して消えていった。
もういいかな。
ゆっくり直立し、上体を起こして目の前の空間に目をやると。
…おお。
…さっきまでより全然スゲえじゃん。
天井と左右の壁面が埋め尽くされている。
絵や彫刻、その他何なのかもよくわからない物たち。
今の道幅は入ってすぐに見たのと同じく、二人が丁度通れるか、それよりちょっと広いくらいの幅しかない。
この先は拡がったりもしてるように見えるけど…どうだろう。
今回は廊下の果てが見えない。
この作品群、どこまで実体あるんだろ。
手近なとこは全部あるけど。
仮にあっちの方まで全部実体だったとすると、彫刻がある所は道幅が半分以下の所もあるような気が。
通れるか?
果てまで行けるか?
ここ進んでるだけで残り時間なくなるんじゃないか?
それならそれでいいんだけど。
「俺の後ろぴったり付いてこいよ。
距離が出ると紐が引っ掛かり易そうだから」
そのリスクは考えてなかった。
額縁とか彫刻とか、突起物多いもんね。
コウダの一歩に歩みを合わせて一歩。一歩。一歩。
でも。
あ、止まるの?
進んだ。
え、また?
あのさ。
あの…。
ああもう!!
コウダ、上を向いて歩くのは涙がこぼれないようになんだよ。
目に映る円マークがこぼれないようにじゃ、ないんだよ。
まだなのコウダ。
あ、やっと動き出した。
で、またひっかかった。
っとおおおっ。
ガン
イタああっ…。
動いてないといけないのは分かるけど、この調子じゃ進まない気がする。
コウダが物色してるってだけじゃない。
額縁やら彫刻やらオブジェやらって障害物でもある。
毎回こうやって思いもよらない所で足止めを食らっちゃうことになるんじゃあ。
おわっ!!
足元にミミズののたくったような字でちらっとサインが入った洋式便座。これって作品っていうのか? ゴミじゃないのか?
そしてコケそうになってよろめいた着地点には、地面から金属の突起が生えていた。
気付いたけどもう足の勢いが止まらない。
思いっきりその先端の真上に足がおりた。
ごりっとした瞬間。
靴底越しに土踏まずが痛気持ちイイ…!
そのままそれは横倒しに倒れた。
足裏健康法を実戦しちゃったけど、その金属も作品のようだった。
えらく表面がぼこぼこした針金人間。胸も真っ平らな男で脚は棒みたいなのに、平らな土台にくっついた部分はハイヒールみたいでしかもデカい。
コンパスっていうか『入』の字みたいに脚を踏み出すそれには、なんだかんだで顔も付いていた。
足首くじかないで済んだけど、銅像さん踏ん付けちゃってごめん。
で、顔をあげたら今度は目の前に真っ黒な背景から浮かび上がった猿のような怪人の絵。
目を見開いて一人の人間を両手で握り締め、たぶん頭から一口丸齧り後っていうワンシーンが展開されているではないか。
気持ち悪さに体ごと逆を向いたんだけど、そしたらそしたで尖ったものが二の腕にめり込む。
見ると地面に置いてあるのはお寺とか神社にありそうなでっかい釣鐘。実物大。
半分以上が壁にめり込んでるからこっちに出てるのはその一部側面なんだけど。
普通は絶対にないだろうトゲトゲっていうか長い角…いや、象の牙みたいな突起付き。
芸術はバクハツってやつか?
やめてくれ。もうちょっと広いとこで爆発してくれ、邪魔だから。
こんな感じでこの先もじわじわ生傷が増えていくのか。
障害物避けるのって案外体力使うなぁ。体が重い。
そして視界にはいる絵のトーンも全体的に暗かったりグロかったり気持ち悪かったりで、気分的にも重かった。
そのくせ時々思い出したように弐藤さんの写真や似顔絵が発見されるもんだからビビる。
コウダはあまりの数を前に、見る作品を目線の高さと足元に限定したようだ。
コウダにしたって結構ぶつかったり蹴躓いたりしてるけど、俺とは違って痛い素振りは微塵も見せず、黙々と品定め。
さっきまではうーんとうなってたけど、今は薄ら笑みを浮かている。
手元の額縁を床に置いてチェンジ。
…欲得ずくで痛覚どっか行ってるな。
同時に自分の足元以外への危機感もどっか行ってるように見えた。
俺が気ぃつけないと。
吐く息がまた一段と重くなる。
全体的に溜息付きっぱなしのこのトライ。
今も目の前には鬱々とした磔図。
真ん中で十字架にかかった男は、全身からぶつぶつが出ているだけでも気持ち悪いのに、杭が打ち込まれた手足の辺りがきっちり青っぽく変色してる感じが最悪だった。
これよりさっきの猿のほうが拝んだときの御利益ありそうだ。
きびだんご貰える、とか。違うか。
神様に即物的なリターンを求める時点でどうかと突っ込まれそうだけど、そんなことでも考えてないと気が滅入るんだもんな。
もうちょっとましな…ああよかった。今の視界は比較的キモくない。
割とデカそうな皿っていうか、器?
底も丸くて置きにくそうだけど、厚みがあって全部金ぴか。
多少汚れはあるものの、これは見るからに高そうだ。
俺が見てるのに気付いた様子のコウダは不思議そうだ。
「歴史好きなのか?」
はぁ? そんなわけあるか。てかこれなんか関係あんの?
首を横に振ったものの、コウダはもう俺のほうを向いてはおらず。
手元を物色しながら口を動かした。
「ムトウさんの『中』に出てくるってことは美術品扱いで一般公開されてる可能性大だ。
『あっち』には存在しないが、こっちには織田信長が使った本物と証明されたものが残ってるのかもしれん。
さっき本人を見かけたあの部屋も『あっち』だとハノーヴァーの復元模型しか残ってないから真新しくてしかるべきだが、壁の質感が古い感じだったし。
割とよくあるんだ。そういうケース。
ドクロハイは美術品というより歴史文脈が大事なものだから持ち出し品としての価値が低いし、部屋なんて持って出ようもないから俺は興味ないけどな」
「ドクロハイ?」
漢字変換できない。コレ、なんなの??
一瞬コウダが迷ったように見えたけど、すぐ吹っ切れたようで補足してくれた。
「人間の頭蓋骨で作った杯だ」
もう一度金ぴかの器に目を遣った。
…うへぇ。
この真ん中らへんの意味深な模様はそういう…。
誰もが知ってる四英傑、武田・織田・羽柴・徳川のうちの一人の名前が出てきたから凄ぇのは分かったけど。
これもまともじゃなかったかぁ…。