新説 六界探訪譚 6.第三界ー9

「え? …あ」
当の原口が一瞬怪訝な顔をしてうろたえだした。
そう。あんなゆるゆるの蹴りじゃ、フラッとするかその場に転ぶのがせいぜい。
あんなに、しかも真っ直ぐ蹴られたのに斜め後ろに吹っ飛ぶはずない。
まして後ろにいたのは上級生。あの体格の男が一緒に押されて倒れるなんておかしい。
佐藤は後ろで腹を抱えて地面に丸まる金髪を置いて一人立ち上がって言った。
「痛いっ!!」
声デカイけど、それほんとかよ。お前超冷静な顔してるぞ?
そっと鞄を地面に降ろし、服についた砂を払っている。
剃り込みは気付いたのだろう。佐藤が自分で飛んだことに。飛びながら金髪に何かしたということに。
と、コウダが急に俺を更に赤煉瓦の隅っこに押し付けた。
「ちょっ」
苦しい。そして汗臭い。
「もう一人佐藤が来てる。女子連れだ」
またか。もう驚かないぞ。
隙間から両方が見えるポジションを探る。
にしても全力疾走後の男子中学生と30半ばの男の汗って臭い。
この臭いと湿気、絶対傷に悪い。化膿したりしたらコウダのせいだからな。
お、こっからなら女子連れ佐藤も見える。
高校生じゃないか? 制服が違う。しかもまたかわいい…。
不良のほうは、そり込みが佐藤の斜め横に踏み出ているところ。
「おもしれえことしてくれんじゃねぇかああんっ!!!」
胸ポケットから何か出した。折りたたみ式のナイフ。
それの刃を出し、握った右手をすごい勢いで佐藤の顔に。
「止めろ!」
原口のひとことは一歩遅かった。
剃り込みは佐藤の顔にナイフを当て…た?
なぜ疑問形か。
それは突然剃り込みが膝から崩れ落ちたからだった。
佐藤は剃り込みを正面にしていたが、一歩横に避けた。
地面に金属がカランと音を立てて落ちる。
剃り込みは前のめりに倒れ、orzの格好になって体を痙攣させている。
2chと違って笑えない。
どういうことかとビビっていたら、女子と佐藤の会話が副音声のように解説してくれた。
「えー! 巧、空手やってんだ。知らなかったわ」
立ち上がった金髪が叫びながら佐藤の背中に飛びかかった。
「祖母が一応道場やってて。マイナー流派で門下生もいないんだけど、子供できたら後継がせてくれって。
祖父が出した親の結婚の条件だったらしくて」
即後ろを向いた佐藤によって、金髪が出した拳は避けられた。佐藤は金髪の肩の後ろに回っている。
「今時あんだね、後継ぐとか。
お母さん沖縄出身だったよね。将来はそっちに?」
金髪の肘が佐藤に。でも多分これも当たってない。音があんまりしなかった。
佐藤が肘の軌道をずらすように腕で抑えている。
「いや、そういうんじゃないんだ。
後継ぐって言っても、道場を継ぐわけじゃなくて、流派を伝えていってほしいっていうヤツでさ。
マイナーすぎてそういう空手の協会とかにも属してないらしいし、祖父は他界してるし、祖母も普及させる気なし」
佐藤は金髪の足を踏み付け、そのまま向こう側に進んで振りかえった。
今壁際に追われているのは佐藤ではなく金髪。
金髪の蹴りが上がる。
「フーン。そういうもんかぁ。
あれ、じゃあもしかして教えてるのって」
佐藤が金髪の懐には入りなおすのが速い。
「そう。おかーさま…」
蹴り上がった足は肘で止められていた。
「まじかぁー! ウケるし!
でもさ、いつ練習してんの? 巧そんな時間無いでしょ」
逆側の手は上へ。金髪の顎に掌打が入る。
「朝。ショートスリーパーだから睡眠時間は4~5時間で大丈夫」
金髪がヨロめいた所、胸のちょうど中心あたりが、佐藤の揃えられた4本の指によって垂直に突かれた。
「え? じゃあ朝って、4時とか、5時起き?
何すんのそんな早起きして」
金髪が絶叫しながら高層ビルの壁にもたれ、胸を抑えてずるずると下に沈み込む。
「取り敢えず型。わかるように言うと、でっかい壺の口を指先だけで持って内股ぎみに歩くとか」
剃り込みが復活していたようだ。佐藤の後ろから蹴りを入れようとしていた。
「あと、母さんに殴られ蹴られ?」
先程金髪の拳をよけたのと同じようにあっさりと佐藤はそれを回避し、今度はその腕を軽く下へ押さえる。
上体を崩した剃り込みの脇腹に、押さえ込んでいるのと逆の手の指先がめり込む。
「その他もろもろあって、結果これ」
剃り込みが脇腹を抑えて佐藤の足元に丸まった。
「うわ…ごっついなとは思ってたけど、そういうこと?
それちょっと虐待はいってんね…」
佐藤は置いていた鞄を持って立ち上がった。
原口と目が合う。
「しかもさ、母さん、成長期来て遠慮なくなってきてさ。
これまでだって結構なもんだったけど…」
原口は金髪と剃り込みを見ておろおろしていた。
佐藤がおいでおいでと手招きする。
「よく続けてるね。私なら家出しちゃうわ」
原口はびくっと身を震えさせて動かなくなってまった。
蛇に睨まれたカエルって見たことないけど、こんな感じじゃないだろうか。
「嫌いなわけじゃないし、できてるし、単純にできるようになってくのは面白いっちゃ面白いよ。
空手とか格闘技そのものに対する愛とか思い入れみたいなのはないけど」
佐藤が原口と剃り込みの間に歩み寄る。
歩きながら鞄の上にかかっている蓋をめくった。
「それでも最近、母さんの稽古が時々物足りなくって」
本体の外側、メッシュでできたポケット部分にみえたのはあの本。
内側のくり貫き部分は空。
佐藤はそのすぐ横に入っているスマホを取り出した。
「マジで? さっきまでの流れで巧が変態に見えてきたわ」
剃り込みはもう動く気がないらしい。脇腹を押さえたままうずくまっている。
金髪は頭で体を支えて俯きに息を整えているようだった。
「断じてそれは違う」
佐藤は剃り込みと原口の間に屈むと、スマホを見せながら何か喋っている。
そして立ち上がり、手を差し出した。
「稽古がね、基本型ばっかりなんだ。試合って感じの流派じゃないから。
型、大事なんだってのは分かってるんだけどね」
渡される生徒手帳を写真に納め、財布から出させ現金を無造作にポケットに突っ込む。
「だからってどこかの道場とかジムに行ってまで試合したいわけじゃないし、時間もないし。
体力的にもこれ以上はちょっと僕も無理で」
佐藤が剃り込みから受け取った金をポケットに詰める直前、振りかえった。
金髪が、剃り込みの落としたナイフを持って突進してきていた。
「無い物ねだりだよね」
腕全体で円を描くような動きでそれを弾く。
「もう充分やってるって。
今のハードスケジュールにさらに予定入れたら、誰がなんと言おうと私が巧のこと変態認定したげる」
そして手元が崩れた金髪の鳩尾より少し下あたりに、真っ直ぐ掌底を入れた。
金髪が、最初の剃り込みと同じように膝から崩れ落ちていく。
「やめてやめて! それやだ!!
ああでもね、そうか。やっててよかったポイント説明してないよね!」
胸倉を掴み、地面に膝を着くことすら許さずに言葉をかけた。わざとゆっくり。
口の動きが本当に読み取りやすかった。『す・ま・ほ・しゅ・う・り・だ・い』。
ゆっくりと屈みながら腕も下げ、その手を服から離すと、金髪の学ランの内ポケットに手を突っ込んで生徒手帳を取り出して写真に収める。
その間に金髪が取り出した財布の中身を出し、逆さにして振っても小銭が出てこない事を確認。
「一番はね、ちょっと不良に絡まれたくらいならなんとか対応できること。
本気で喧嘩慣れしてる相手だったり、長丁場になったり、大勢で一遍にだと大分厳しいと思うけど、少人数で舐めてかかってくれてる様子なら、目一杯逃げるか最初に見せつけさえすればなんとかなるんだ」
振りかえって、ポケットに入れ損ねた剃り込みからの回収金を拾い上げる。
「代わりに格闘技の漫画とヤンキー漫画は読む気なくなったよね。
現実の方がよっぽどだからさ」
そして佐藤はへたり込む3人を背に、悠然と俺達二人が来た方向へ消えていった。