新説 六界探訪譚 6.第三界ー2

 ボクシングリンクの上、ちょっと物理的に不思議な髪型の、でも顔はイケメンの男が声の主のようだ。
 男はまだ喋っているがざわめきで聞き取りにくい。
 立って席を離れようとしていたロングヘアの綺麗な女の人は、ゆっくりと席に戻っていく。 
 イケメン。綺麗。確かにそう分類できる。でも。
 それはもうはっきりと分かった。
 あの顔。
 この世に生きてる人間の顔じゃない。
 デフォルメされた線と面とわずかな陰影。
 リングサイドに眼帯のおっちゃんが見守る中、女の人が席についてしばらくでカーンとゴングが鳴り、再び歓声が上がった。
「漫画だね」
「サトウくん、セリフ覚えるまであの名作を読みこんでるとは」
 あの相手のテンパ―ぎょろ目のデカい男と二人並んでるのを見て俺もわかった。読んだことないけど、確か実写で映画化されたやつ。
 改めてコウダを見ると、俺が知らない表情でリングに熱視線を向けていた。
 目尻が下がって、黙っているのに口元がぴくぴくしている。
 嬉しい顔? だな、多分。
 時代劇は本人の言う通り本当にビジネスで見てただけだったんだ。
 そして、いつこの漫画読んだんだ佐藤。
 お前のスクールライフにそんな時間ないだろ。
 リングは大盛り上がり。気になる。
 でも移動しないと。
「行こう」
 手首の紐を引っ張ると、コウダがはっとなる。
 見とれていたらしい。悪い、とつぶやいた。
 そんなに? と思うや否や、向かって右側。
 緑色の短髪で腹巻の男。刀、口にくわえてるの含めて3本。に、西部劇っぽい服装で鷹みたいな目つきの男。
 これは分かる。佐藤チョイスはここかぁ。腕が伸びる主人公じゃないのね。
 安藤さんといい佐藤といい、クラス委員二人は刀好きつながりなのかな。
 腹巻男は振り返って相手の正面に向き直り、両手を広げて仁王立ちしている。
 確かにここ名シーンだよね。うん。
 漫画らしく、デカいカタカナが背景に浮かびそうな効果音が聞こえた。
 すぐ向こうの赤っぽい長髪の着物の男と着物だけどミイラ男もそう。鍔迫り合いという言葉にふさわしい。
 他にもいろいろ見えるけど、まず一つ良かった。
 前回と違って巻き添えを食いそうなのはいまんとこない。
 見た目もわかりやすいうえに、ある程度俺も元ネタ知ってる。
 この感じの漫画キャラばっかりならありがた…。
 げ!
「コウダ、佐藤、佐藤!」
 コウダも気づいていたようだ。二人同時に脇道へさっと身を寄せる。
 道の向こうに誰もいないことをチェック。そして佐藤をチェック。
 すぐ向かいのカフェのオープン席でノートPCをカチカチしている。
 聞いたことないオシャレな看板。チェーン店ではなさそう。
 スタボに学ランで入れるんだから抵抗ないのはわかるけど 、中学生にしておひとり様カフェかつノマドかよ。
 俺たちには背中を向けてるから、見つかる心配はまだ低いな。観察観察。
 手元にノートPCと、本。
 左手でノートPCのキーボードをクリックしていて、右手では本を押さえている。
 本のページをめくる気配が全くない。開いてるだけか? なんだ、かっこつけかよ。
 と思った矢先、右手が動いた。
 んん? あれでページめくれるのか?
 人差し指でページ表面をはじいているというか。
 ページをめくるっていうより、フリックしてる感じなんだけど。
 しかもやっぱり一向にページはめくられてない。何やってんだ?
 と、今度はページを人差し指で押している。
 佐藤が本を縦に傾けた瞬間、秘密は明らかになった。
 そういうこと!?
 分厚い本の真ん中。くりぬかれている。
 そしてそのくりぬかれたところにスマホがすっぽり。
 超古典的ハイテクカモフラージュだった。
 なんでそんな?
 まだ本は傾いたまま。何とか画面の表示が見える。
 あ。
 映っていたのはブログとか動画とかじゃなかった。
 コマ割りされた絵とフキダシ。
 漫画。電子書籍だった。
 設定しているのだろう。自動で次ページに切り替わっている。
「行くぞ。こっちだ」
 コウダによって小道の安全が完全確認されたらしい。
 本人迂回のために小道の奥に入った。
「コウダあの本さ」
「まさか普段からカフェであれはないだろう。
 もしやるとしたら」
 だよな。
 どうりで授業中に注意された本が分厚いわけだ。栞がでかい金属製だったのもハイテクカモフラージュの一環か。
 あれ、じゃもしかすると佐藤、授業中クラス委員の作業以外はずっと片手間で漫画読んでるってことに。
 それで塾プラス四月一日のノート借りたくらいでよく学年トップをひた走れるもんだ。
 最初から頭の出来が違う。
 いや、今は劣等感に囚われるのはよそう。
 本人に感づかれなかった。まずそれを喜ぼうじゃないか。
 そして気を取り直そう。
 漫画ばっかりなら『中』の安全は時代劇よりもましだよね?
 コウダをちら見すると、なんとも微妙な顔をしている。
「漫画の注意点、言っとくな」
 ああ、やっぱなんかあるんだ。
「時代劇よりはましだ。
 さっきのボクシングしかり、命がけのバトル展開ばっかりじゃない。
 仮にそういうのがあっても敵キャラが決まってるし、何より主人公サイドは殺さないやつが多数派だ。
 通行人狙い撃ちで危害を加えることはほぼあり得ない」
 良かった。ほっとした。
 ついでに周囲の風景から高層ビルが減ってきて、なんか急に空き地が増えたような。この辺に空地なんてないはずだけど。
「ただ、問題はある」
 空き地も増えたが、廃ビルも目につく。
 あそこなんか、土煙立っててさっき壊れたとこみたい。
「先に言っとく。今『中』を出るのも普通は選択肢としてあるけど機会を無駄にしない路線で行きたい。
 だから今回はなしな」
 コウダの話は耳から耳へと抜けていく。
 代わりに土煙の原因がわかった。そのビルの隣の空地だ。
 あのシンプルな顔とつるっとした頭。対峙する相手は多分人類の敵、怪人ってやつだろう。
 さっきファンタジー界の人いたし、もう東京って立地条件は無視なんだな。
 グーパン一発でのされた敵はズーンと体格通りでっかい音を立てて空き地に沈んだ。
 コウダの顔がぴくっとなる。
 そして今度は、耳から耳へと抜けることを俺の本能が許さなかった。
「問題は、敵キャラのでかい攻撃の巻き添えを食う可能性だ。
 一発で街が消えたり、魔法とかいろいろありだから」
 待って待って。それ、問題ってレベルじゃないよね。
 だとすると空き地と廃ビルが増えてきたのと、さっきのヒーローって。
 そしてあそこで目と鼻と口があるってとこ以外全く見たことある動物との共通点がないでっかい生命体を包丁一振りでささっとさばいてるちっこい短髪のコックコート着た男キャラって。
 そして皿に盛られたその生命体の生け作りに向かってみんなで大きな声で『いただきます!!』してる周りのマッチョな団体さんって。
「大丈夫。宝くじみたいなもんだ。
 見つけて逃げてもほぼ手遅れ、対策なし。
 ということで、当たるかどうか心配しても無駄なことは心配しようがない」
 全然宝じゃねーし。
 コウダは前回と似たようなセリフを付け足した。
「まあ、俺だってできればそれ系いなきゃいいなとは思っていたんだが」
 やめてよー。
 前回火盗改め出たのって後半だったし、まだそのセリフだいぶ早いってー。
「一個朗報があるとすると、本人の近くは安全性が高い。
 漫画読む時は第三者視点で、まさか自分が登場するキャラクターになりきってなんてないだろ。
 『中』の本人も同様に別世界の第三者的な扱いだ。
 だから、この世界が滅亡することはあり得ないし、敵の大技が繰り出されても本人周辺だけスルーされる」
 高速ムーンウォークでさっきいたカフェのそばに戻りたい。
 なんでこの『中』が漫画だらけだってわかった後にあの場から離れたんだコウダ。
 …しょうがないか。ある程度移動し続けないといけないんだもんな。
 今日だけはいつも通り村人A以下のセリフ無しモブじゃなくてこの世界の主人公でいたかった。危険すぎる。
 あっちで二本足で立ったパンダとおさげの女の子が殴り合っているのがほほえましい。
 あの画風、多分あの漫画家さんの昔のやつ。有名どころなのはわかるけど、残念ながら今の状況から優先度が下がってしまう。
 ばきっという音とともに顔面相打ちになってパンダとおさげの女の子が倒れこんだ。
 その音をよそに、ぶつけたところでなんの解決にもならない不安をコウダにぶつける。
「人類の敵っていろんな漫画にいるよね?」
 むしろ悪の秘密結社、何社あるのレベルだよね。
 二本橋、王手町にある企業と同じくらいの数あるんじゃないのか。
 しかも漫画ってゲーム化されたりアニメ化されたり実写化されたり舞台化されたり。全世界展開されてるやつすらあるよね。
 ポリポリと頬を人差し指で掻くコウダの頭の向こうが急に明るくなった。
 光の玉がどんどんでかくなっていく。
 光源のすぐ脇に人が見える。
 人、あれ? なんか尻から生えてる。手か?
 違う。
 しっぽだ。
 光源脇から叫び声。ほぼ同時に俺も叫んだ。
「ファイナルフラーーーー…ッ」
「コウダ伏せてーーーーーー!」
 伏せたところでどうにかなるもんじゃないのははっきりしてるけど、頭を抱えて伏せる。
 だって元ネタは全世界展開されてる中でも多分最も有名な。
 しかもよりによって、敵か味方か時期によって変わるキャラの必殺技的な。
 安藤さんの『中』でコウダに言われたセリフが脳裏で蘇った。
『祈れ』