新説 六界探訪譚 6.第三界ー1

 鳴り響く昼休みのチャイム。
 教室内が話し声と机を動かす音で一斉に騒がしくなる。
 と同時に、弁当臭としか形容しようのない臭いを、一丸となるつもりなんて全くない教室内の生徒一同が醸成し始めた。
 弁当仲間――といってもいつもの二人、四月一日&矢島――と席をくっつけ、会話もそこそこに親父が詰めてくれた弁当箱の蓋を開ける。
 昨日頑張った楕円形のコロッケを半分に切ったものが、湿気と今かけたソースでべとっと箱の形に歪んで、隣のキャベツをしっとり押しつぶしめり込んだ様。
 つぶし損ねたじゃがいもがころころ残っており、のどにつっかえそうになるのを麦茶で流し込む。
 うん、やっぱりさくさく揚げたてよりも湿気がこもった弁当のコロッケ、おいしい。
 男3人、さして会話もなく、宿題見せてとかの事務連絡みたいなやり取りを挟んで飲むように弁当箱を空にすると、鞄にしまって席を立つ。
 ここからが、今日の大一番。
 トイレタイムである。
 タイミング合うだろうか。
 どきどきする。
 でるものも引っ込みそうだ。
 教室を出て、小のときに行くより遠いほうのトイレへ。
 こっちの男子便は特殊教室の影にある。
 利用者が少なく、絶好の男子うんこスポットになっていた。
 ガラの悪い学校だと多分不良のたまり場になるのだろう。
 うちはそこまででもない。
 さらに俺の学年が入学した年は悪かった奴らも中学デビューしたのか入学後におとなしくなり、受験があってもともと静かめな3年、後半からはそれを意識して静かになりだす2年という組み合わせ。
 よって、中学校入学後からずっと、この穏やかなトイレ風景。
 昼に高速で飯を食い終えて直行して来るやつはいないので、この時は大抵俺だけ。
 だれもいない学校の男子便かつ個室というリッチなプライベート空間で、引っ込むかと思われたものをむしろいつも以上にすっきり出して男子便を出る。
 このタイミングで~。
 いた! 佐藤!
 いつもここで俺と入れ違いにこっちのトイレに来る。
 あいつもうんこか?
 多少気になるけどこの際どうでもいい。
 コウダは?
 いない。
 佐藤が俺とすれ違う。いつも通りトイレ入り口に向かうだろう。
 コウダどこだよ。
 振り返ると、スーツ姿のコウダがトイレ入り口の佐藤背後で垂直にゲートを開いていた。
 いつどっから出てきたんだあいつ。
 整髪料で短髪を軽く分けてパリッと後ろに流しているせいか、後ろ姿だけなら学校の先生に見えなくもない。
 駆け寄るともうコウダは穴の中に前進すっぽり入りきってこちらを覗いている。
 急いで駆け寄り、前後左右を確認もせずに慌てて頭から上半身を突っ込み、ゲートをまたいだ。
「どこにいたの?」
 聞きながら額の脱脂綿を外してズボンのポケットにしまうと、多少蒸れていた傷跡がしばらくぶりに外気に触れてひんやりした。
「女子便の中の道具入れ。お前の足音とか聞いて、出たなと思ったタイミングで廊下に出て死角にいた」
 なんだよその泥棒テク。
「で、だ」
 顔を上げる。
 割と明るい。街中だ。雑居ビルの向こうに高層ビルが見える。
 あっちは川か? 橋と、その上に高架が斜めに被さっている。
 見覚えあるぞ。
 二本橋じゃないか?
 そうだ、あのデパート、中島屋。
 とするとあっちは東京駅。
 曇り空の中に、大円百貨店とステーションビルがそびえたってる。
 なんだ、まともじゃないか!
 人っ子一人いないけど、コウダも街の様子を見てほっとしたと見える。
「向こうのほう行ってみるか」
 あっちが二本橋ならコウダが指しているのは今日橋ということになる。
 ヒュッ
 すぐ脇に頬を切るような風圧を感じた。通り過ぎた人、結構でかい気がする。男か?
 続いてすぐそばの角からランニングとゼッケンの小柄な女の人が走っていく。マラソン選手だろうか。
 お! おっぱいおっきい!
 じゃあさっきのももしかしたら女だったかも。
 しまったちゃんと見ておくんだった。
「まーくんまって!」
 すれ違いざまに聞こえた。
 『まーくん』か。最初のは女じゃなかったらしい。じゃ、いいや。
 しかしあの子、速かったなぁ。
 シルエットもまともに見れなかった。マラソン選手のスパートってやつかな。体育祭練習中の四月一日とは段違いの速度だった。
 悔やんでいると、その脇を白バイ警官が走っていく。
 通り過ぎた後背後からメット越しになんか叫んでる声が聞こえた。
 白バイ警官が女子のマラソン選手追っかけながら叫ぶ…ストーカー的な粘着性を感じるのは俺だけだろうか。
「お前、あのマラソン選手見たか」
「…揺れてた」
 アホかという顔をされてると思って覗くと、当のコウダは俺の発言を完全無視して真剣な横顔を披露している。
「全体的にこう、変な…。
 輪郭だけはっきりしてて、他がのっぺりしてたような…」
「そうだっけ」
 チチしか見てなかったからなぁ。
 そのあとの白バイはバイクだったし速かったから。
「俺もはっきり見えたわけじゃないんだが…」
 建物は普段見るままだ。コウダが言うようなのっぺりした感じは全くない。
 腑に落ちないまま手首に紐をつけるコウダをよそに、あたりを見回す。
 他に人が歩いている様子はない。
 比較もできないままなんとなく歩き出した。
 高架下を通りすぎ、雑居ビルの間を進む。
 他に音がしない。俺たちの足音が嫌に耳障りに響く。
 徐々にビルがでかく垢ぬけたガラス張りになっていくのは、オリンピックに向けて駅に近いところが色々綺麗にされていってるのもあるだろう。
 あまり普段この辺に来ることはない。前にデパートに連れてこられたうろ覚えの記憶の中には存在しない真新しい建物が目につく。
 これが現実そのままだとすると、佐藤はたぶん最近もこのあたりに来ている。
 あの向こうのでっかい本屋で小難しい本でも買うためかと想像するも、ネットでいいんじゃないかと思ったりしてしまう自分は不勉強なんだろうか。頭いいやつは本屋で買うんだろうか。
 しかし静かだなぁ。風もないし。半袖で汗も出ないちょうどいい気候。
 嵐の前の、ってやつか?
 どーんと八重須の中央を伸びる太い道路は現実そのまま。
 小学校の修学旅行のときにバスから横目で見た以外あんまり俺には縁がないけど、オフィス街らしいでかいビルが並んでる。
 工事中の一角があって、確かその時のバスガイドさんの説明では美術館が建て替え中って言ってたな。
 あの辺に、っとアレか?
 あれぇ?
 美術館予定地がなんか違う。
 周りに柵と仮説の壁があって、敷地内には入れないはず。
 でもここではむき出しの工事現場。
 その中に人だかりができている。
 よく見ると黒っぽい同じ服の、男、それも若い男ばっかりに見えるけど。
 景色やあったはずの柵などをそれが消してしまったようですらある歓声は、あの人だかりから発せられているようだった。
 コウダと顔を見合わせて頷く。
「ここの世界観がもうちょっとわかるかもしれない」
 足早に近づく。
 他に人は相変わらずいない。
 視界の中で大きくなっていく群衆は、近づくほど不自然だ。
 さっきのコウダの言っていた輪郭とかのっぺりとかいう言葉の意味が、視界の中の群衆と徐々に紐づきだした。
 人。なのに、面。
 3次元なのに、どんな角度に動いてもこちらから見ると2次元。
 だんだん姿と発言がはっきりしてくると、明らかなガラの悪さが目についた。
 取り囲んでいる男たちの悪態、罵声、声援の数々。
 ぶっ殺せとかやっちまえとかちびってんじゃねーぞてめぇとかそんな類だ。
 そして、そいつらが取り囲む中央の一段高いところに二人の男が立っている。
 取り囲んでいたのはその観客か。
 変だなぁ。あの動き方。
 なんかこう、人間というか、フィクションというか。
 急に静かになった。その四角い、四隅にポールが立ったロープで囲まれた台の上から誰か喋っている。
「自分で火をつけておいて…か…火事場からにげだすって法はないぜ、ええ?おじょうさんよ…」