ぱたっぱたっとゆっくり足音をさせて、利き手の左手に刀を持ったセーラー服姿の安藤さん。
たろうとはなこに向かってまっすぐ歩いていく。
「コウダ、あと何分?」
「あと2分弱」
三人、いや、二体と一人が向かい合うと一気に学校の怪談じみた。
もう鏡がなくてもちょっと顔を動かすだけでお互いの状況が分かってしまう位置。
向こうが気づいたら終わりだ。
「たろうとはなこは何か見てない?」
誰の声だ? 安藤さんの声じゃない。
コウダの耳元にこそこそ話しかけた。
「コウダ、これ誰?」
「安藤さん。普段自分で聞いてる自分の声と録音したのを聞いたのとの違いだ」
コウダは鞄の中からゲートを取り出し、いつでも逃げれるように準備していた。
「さっき下で長谷川さんと、たまたま通りかかった現役引退してる中村さんに聞いたんだけど、大通りで盗賊が出たんだって。
二人組の残党が学校に入ってったらしいの。見てないかなぁ」
中村は隣のクラスにいるけど、現役引退?
それに長谷川?
「お二人とも宵中は縁のある土地だからって本当に気にしてくださってて。
先頭で追った松平さんの情報によると、どうも盗賊の残党にしては変だっていうんだよね。
洋服で、人相がそこまで悪人じゃなかったらしいの。
そいつらが投げてきたものも見せてもらったけど、四文銭じゃなくて現代の百円玉だった。
長谷川さん曰く、もしかすると盗賊じゃなくて『侵入者』だから、私が見に行ったほうがいいんじゃないかって。
増員の方含め皆さんには逃げられないように2階から下を調べたうえで上がってきていただいてるところなんだけど」
わかった。
長谷川さんはたぶん火盗の人。
それであの時校門らへんに留まってたのか。
むやみに追ってくるんじゃなくて状況を冷静に推理して本人にきっちり伝えているとは。
そのうえ組織的に退路をふさがれだしてるんじゃ、教室を出てこの階の別部屋に逃げるという案も無理になってしまった。
コウダは切られたり捕まったりするのを強調して話してたけど、こういうところも恐れられる所以なんだろう。
結果大ピンチだった。
「はなこ、見てない?」
風に揺れる彼女はそれ以上動かない。
よし。いいぞはなこ。
「たろうは知らない?
二人組の男で、黒っぽい服装の」
教室の風景の一部になったたろうは静寂の主の名にふさわしい。
吹奏楽のBGM以外に雑音を許さないあの不動ぶり。
こんなに頼もしく思えたのは初めてだ。お前ってやつは!
安藤さんがため息をついた。
「はなこ」
はなこは動かない。
「たろう」
たろうも、うごかない。
安藤さんがじっと二体を上目遣いで見つめた。
「おねがい」
ピーンとたろうの腕が動き、俺の顔を指さした。
うらぎったなたろおおぉおおおおおおおおおおおおおお!!!
安藤さんはもう体ごとこちらを向いている。
同時にはなこがたろうの正面に立って思い切りビンタをくらわせた。
たろうもその反動でこちらを向く。
お前ってやつは! そうだ振られてしまえ浮気者めっ。
さっと棚に隠れたが、もう手遅れなことはわかりきっている。
「ばれた」
「あと30秒」
もう手鏡をしまったコウダは、壁際すれすれの位置にジッパーを持った状態でスタンバイしている。
でもなぜだろう。
机の横からあのまままっすぐ来るだろう足音が一向に近づかない。
もう一度元のほうを見る。
安藤さんがいない。
いるのはたろうの両肩を握って前後に思いっきり揺さぶっているはなこと、揺さぶられる反動で取り外し式の脳みそがカションカションとはみ出そうになっているたろうだった。
ゆっくりと、足音は教室の来たほうに数歩戻っているようだ。
と、その時。
たん
だん
とん
とん
人がジャンプして着地しているような。
たん
「あと10秒」
だん
とん
とん
近い。
「後ろだ!」
コウダの声と形相に振り返って後ろを向いた。
理科室の机の端に仁王立ちした安藤さんは、両手で持った刀をまっすぐ振り上げている。
彼女はそれを振り下ろしながら机から飛び降りた。
思い切り後ろに下がる。
ヤバイ、間に合わないかも。
持っていた試験管立てを額に当てながらさらに後ずさった。
「あっ」
額の真ん中、髪の毛の生え際らへんが熱い。
液体が鼻を伝ってドロリと流れた。
試験管立ては見事真っ二つになっている。
唇を伝う液体は鉄に汗の塩分で味付けされていた。
「まひろくん」
安藤さんと距離を保ち、尻もちをついていたからだを持ち直す。
「4秒」
2つになった試験管立てのうち1つを投げる。
それは安藤さんの一振りでさらに二等分され左右に飛んで行った。
くそ。こんなことならやっぱりあの脳みそと内臓盗って持っとくんだった。
「3」
あたりが暗い。
BGMは聞こえているが、雷鳴も聞こえ出した。
見えていた窓の外が真っ黒になる。
「どうせあれでしょ。
さっきもパンツ見えないかなぁとか思ってたんでしょ。
おっぱいだのパンツだの、ほんっっっとにどいつもこいつも」
ばれてる!!
これ、絶対テスト中に胸見てたのばれてる!!
でもさっきのは不可抗力じゃないか!?
スパッツだったしちょっとがっか…じゃなくてセーフでしょ!!
「2」
教室の壁が黒くフェードアウトしていく。
もうたろうとはなこがいたあたりは真っ黒だ。
「1」
試験管立てのもう一つを投げたが、安藤さんの赤い金属フレームの眼鏡をかすめて明後日に飛んでいく。
安藤さんは眼鏡の位置を右手の中指で直し、顔の横に真っ直ぐ刀を構えて握りなおした。
「成敗!」
「出るぞ!」
そのまままた斜め上から刀を振り下ろした。
上体を思いきりのけぞらせて、今度はかろうじてよけきる。
すぐに下から燕返しされたそれに対しては、たまたまそのまま倒れこんだから当たらなかった。
安藤さんは仰向けに倒れた俺の横に移動している。
なんとか足を払ってバランスを崩してくれたらと、足を腕で叩くがびくともしない。
木でも蹴っているようだ。
ついに彼女は俺の首に向けて刃を振り下した。
と同時に、両肩の付け根をつかまれた。
死んだ。
これ死んだ。
体が硬直する。
声が出ない。
刀はどんどん俺の体に近づいていくが、喉の上の位置にあった刃が胸、腹、股と遠ざかった。
安藤さんの足が見えなくなり、安藤さんの頭が見えなくなる。
顔のあたりがさっきより明るい。
穴の中の膝の上に振り下ろされる刀だけが見える。
なにかの可能性に賭け足首までピンと伸ばしてまっすぐにする。
わずかに靴の先に当たるのを感じると、床だったはずの背中の下に床がない。
コウダはゲートから引き出しきった俺を地面に置くと、速やかにジッパーを閉じて剥がした。
「大丈夫か」